EP 4
帝国最強の不器用な独占欲と、限界オタクたちの『尊死』
「おい、お前ら。……人の妻にベタベタと触りすぎではないか?」
ルナミス帝国の帝都、中央広場。
極上の『地球のスキンケア』によってお肌が完全復活し、歓喜の涙を流して私にすがりついていた二人の女神――ルチアナ様とカグヤ様の動きが、その極寒の声を聞いた瞬間にピタリと凍りついた。
広場の入り口から、周囲の空気を物理的に圧迫するような凄まじい覇気を纏って現れたのは、私の愛する夫であり、帝国最強の戦神であるオルフェウス様だった。
背後には数十名の精鋭騎士たちがズラリと並んでいるが、彼らすらも大公の放つ殺気に青ざめ、一歩後ろに下がっている。
「きゃっ……」
オルフェウス様はズンズンとこちらへ歩み寄ると、私の腰をグイッと引き寄せ、有無を言わさずに逞しい腕の中へと閉じ込めた。
彼の広い胸にすっぽりと収まり、トクン、トクンと力強い心音が耳に伝わってくる。
「勝手に出歩くなと言っただろう、アマネ。……それに、こいつらは何だ。不快な神気を垂れ流して、我が妻を困らせていたようだが?」
オルフェウス様は、ルチアナ様とカグヤ様をまるで害虫でも見るかのような冷徹な目で見下ろした。
相手は、このアナステシア世界を創造した『世界神』である。普通なら、その存在を感じ取っただけで平伏すのが人間というものだが、彼にとっては「愛する妻のティータイムを邪魔した不審者」以上の認識はないらしい。
「ひぃっ!? な、何よこの男! 人間の分際で、神である私たちにこんなプレッシャーをかけてくるなんて……っ!」
「わ、わたくしたちの神気が、この男の放つ殺気で完全に押し負けていますの……! まるで、修羅の化身ですわ!」
先ほどまで「月人君のプロデュース方針」で宇宙規模の喧嘩をしていた二人の女神が、オルフェウス様の圧倒的なオーラに完全に怯えきり、ベンチの端でガタガタと震えながら抱き合っている。
「オ、オルフェウス様。落ち着いてくださいませ。私が勝手にお出かけしたのがいけないのです」
私は顔から火が出そうになりながら、彼の腕の中で小さく抗議した。
「ですが、この方たちは決して怪しい者ではありませんのよ。……ただの、『推し活』にお金を使いすぎて金欠と肌荒れに悩んでいる、ちょっと不器用な限界オタクの方々ですわ」
「……げんかいおたく?」
オルフェウス様が、聞き慣れない単語に眉根を寄せた。
「ええ。好きなアイドルを応援するために、徹夜で配信を見てお肌をボロボロにしてしまったり、クレジットカードを限度額まで使ってしまったり……。その、少しだけ愛が重すぎる迷子のようなものですの」
私が前世の給湯室での経験を踏まえて『完璧なオブラート』に包んで説明すると、オルフェウス様は深いため息をつき、私の腰を抱く腕の力を少しだけ緩めた。
「……君は、本当に底抜けに優しいな。こんな得体の知れない者たちにまで、手を差し伸べようとするとは」
彼はそう言うと、私を庇うように立ち塞がったまま、ゆっくりと私の髪に手を伸ばした。
そして、周囲に大勢の騎士や市民、さらには神様たちがいることも全く意に介さず、私の艶やかな髪に、そっと、とても優しく唇を落としたのである。
「えっ……ぁ……っ」
チュッ、という小さなリップ音が、私の耳元で熱く響いた。
戦場では鬼神のように恐れられる男の、あまりにも甘く、そして深い愛情の籠もった仕草。
ドクンッ、と私の心臓が大きく跳ね、全身の血がカァァッと顔に集まっていくのが分かった。
「オ、オルフェウス様……皆が見て、ますから……っ」
「見せておけばいい。君が私のものだと、この世界のすべてに知らしめる良い機会だ」
オルフェウス様は、赤面して俯く私を愛おしそうに見つめた後、再びルチアナ様とカグヤ様へと鋭い視線を向けた。
しかし、その目には先ほどの絶対零度の殺気はなく、代わりに『強者の余裕』と、一人の男としての凄まじい威圧感が宿っていた。
「……アマネが、君たちの面倒を見るというなら許そう。我が妻の慈悲に感謝することだな」
オルフェウス様の低く響く声が、広場に静かに落ちた。
「だが……もし少しでも、君たちが彼女の笑顔を曇らせるような真似をしたなら」
チャキッ。
オルフェウス様の親指が、腰に佩いた魔剣の柄を僅かに弾いた。
「相手が世界を創った神であろうと、俺は絶対に容赦しない。その存在ごと、斬り捨てる」
――ッ!!
広場の空気が、物理的に凍りついた。
単なるハッタリではない。彼が本気で「愛する女を守るためなら、神をも殺す」と決意していることが、その一言に込められた圧倒的な熱量から伝わってくる。
(あぁっ、もう……オルフェウス様のバカ……っ。こんなの、心臓が爆発してしまいますわ……っ!)
私は限界OLの冷静さなど完全に吹き飛び、彼の胸に顔を埋めて、ギュッとその服の裾を握りしめることしかできなかった。
前世で、手柄を奪われ、誰からも守ってもらえずに過労死した私。
そんな私が、今世では、こんなにも強く、不器用で、そして誰よりも深い愛を持つ人に、世界のすべてを敵に回してでも守ると言われているのだ。
……しかし。
この最高に甘く、ロマンチックな(そして少し物騒な)夫婦のやり取りを目の当たりにした二人の女神の反応は、私が予想していた「恐怖」や「怒り」とは、まったく異なっていた。
「……」
「……」
ルチアナ様とカグヤ様は、抱き合ったまま、目を見開いて硬直している。
怒りで震えているのだろうか? それとも、あまりの恐怖に声も出ないのだろうか?
そう思った次の瞬間。
「……と、尊いぃぃぃっっ!!!」
「てぇてぇですわぁぁぁっっ!!!」
二人の女神が、顔を真っ赤に染め上げ、ベンチから転げ落ちるほどの勢いで絶叫した。
「なっ……!?」
予想外の奇声に、オルフェウス様がギョッとして目を丸くする。
「何なのよこの大公!! 最高じゃないの!! 圧倒的な権力と武力を持ちながら、一人の奥さん(アマネ)にだけは激甘でデレデレの過保護……!! 少女漫画のヒーローの最適解、歩く『スパダリ(スーパーダーリン)』じゃないのぉぉっ!!」
「アマネ様のあの恥じらって胸に顔を埋める仕草!! それを愛おしそうに見つめる大公閣下!! なんですのこの完璧な身長差と体格差は!! 絵画!? いいえ、これは全宇宙の芸術の到達点ですわぁぁっ!!」
ルチアナ様とカグヤ様が、両手で顔を覆いながら、地面をバンバンと叩いて身悶えしている。
彼女たちは『限界オタク』なのだ。
三度の飯より「尊い(萌える)」シチュエーションを愛し、推しの供給のためなら命を削る生き物。
そんな彼女たちの目の前で、帝国最強の戦神と、美肌コスメを与えてくれた心優しいヒロインの『究極のイチャイチャ』を見せつけられたのだ。オタクの脳内麻薬が爆発しないはずがなかった。
「ちょっとカグヤ! アマネってば、月人君のファンとして最高なだけじゃなくて、カップリングの受けとしても天才的じゃないの!?」
「ええルチアナ! わたくしたち、今日から月人君と並行して、この『大公×アマネ』のカップリングを箱推し(夫婦ごと推すこと)しますわよ! これは天界の国庫を空にしてでも、スパチャを投げる価値がありますの!!」
「っしゃあ! リボ払いの枠、まだ五万残ってたわね! 今日から私はアマネ推しよぉぉっ!」
二人の女神は、オルフェウス様の殺気など完全に忘れ去り、キラキラと輝く瞳で私たちを凝視し始めた。
その視線は、もはや「神」のものではない。完全に「尊い推しカプを最前列で拝む限界オタク」のそれである。
「……アマネ。こいつら、急にどうしたのだ? 頭でも打ったのか?」
オルフェウス様が、ドン引きした顔で私に囁きかけてくる。
「……オ、オルフェウス様が、あまりにも恥ずかしいセリフを大声で言うから、彼女たちの何か(オタクの琴線)を刺激してしまったんですのよ……っ」
私は赤面したまま、彼の胸をポカポカと叩いた。
「お嬢、旦那様! 逃げるっすよ! あいつら、完全に目がいっちゃってるっす!」
「危険ですわ! 私のアイドルとしての防衛本能が『あいつらには関わるな』と告げていますの!」
遠くから様子を窺っていたフェイトさんとリーザさんが、青ざめた顔で手を振っている。
しかし、時すでに遅し。
完全に『新しい推し』を見つけてしまった限界オタクの行動力は、いかなる神の奇跡よりも素早く、そして厄介なのだ。
「ねえねえアマネ! 私たち、アマネのお家(大公邸)に遊びに行ってもいい!? 今ならアマネの尊い生活を眺めるだけで、ご飯三杯はイケる気がするの!」
「わたくしも行きますわ! さあ大公閣下! わたくしたちはアマネ様公認のお友達(オタク仲間)ですの! 早く極上のティータイムの続きをセッティングしなさいな!」
ルチアナ様とカグヤ様が、ずいっとオルフェウス様に詰め寄り、完全に大公邸に上がり込む気満々で鼻息を荒くしている。
「……チッ。どいつもこいつも、我が妻の周りに群がりおって」
オルフェウス様が舌打ちをしたが、私が「お客様ですから、無下にはできませんわ」と袖を引くと、彼は渋々といった様子で剣から手を離した。
「ふふっ。分かりましたわ。お二人とも、大公邸にご案内いたします。美味しいお菓子とお茶で、続きのお話をしましょうね」
こうして、地球のコスメと大公の激甘な独占欲によって完全に陥落(推し変)した二人の女神を引き連れ、私たちは大公邸へと帰還することになったのである。
これから大公邸の庭で、地下アイドルとコイントス中毒者、そして限界オタクの神々が入り乱れる『カオスな光のライブ』が開催されることなど、オルフェウス様はまだ知る由もなかった。
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