EP 3
限界オタク神のすっぴん事情と、地球の『極潤』スキンケア
「魔法の……美容アイテム?」
ルチアナ様とカグヤ様が、同時にパチクリと目を瞬かせた。
ルナミス帝国の帝都、中央広場。
先ほどまで「月人君のプロデュース方針」と「スパチャのマウント」で宇宙規模の神気をぶつけ合っていた二人の絶世の美女は、今やすっかり『推し活による金欠と肌荒れに悩む、普通の限界オタク』の顔になっていた。
「ええ。お二人とも、連日の推し活で少しお肌がお疲れのようですから。私がとっておきのものをご用意いたしますわ」
私が優しく微笑むと、カグヤ様がフンッと鼻を鳴らし、自らの美しい髪をファサリと掻き上げた。
「人間ごときが、神であるわたくしたちに美容を語るおつもり? わたくしが普段使っているのは、月の泉から湧き出る聖水と、世界樹の朝露をブレンドした超高級化粧水ですのよ。そんじょそこらの安物で、このカグヤの肌が満足するはずが――」
「私、もらうわ!!」
カグヤ様の言葉を遮るように、ピンクの芋ジャージ姿のルチアナ様が、私の両手をガシッと握りしめてきた。
「ル、ルチアナ!? アナタ、神としてのプライドはありませんの!?」
「プライドで肌が潤うかってのよ! こっちはリボ払いのせいで、化粧水どころか乳液すら底を尽きかけてるの! 月人君の配信を見るために毎晩ブルーライトを浴びまくって、お肌の水分は砂漠状態! タダで美容アイテムをくれるっていうなら、ゴブリンの泥水だって顔に塗ってやるわよ!」
「ひぃっ……! 貧乏神の執念、恐ろしいですわ……っ」
神の威厳を完全にかなぐり捨て、血走った目で私にすがりつくルチアナ様。
前世のブラック企業でも、月末でお金がない時のOLたちは、会社の給湯室にある無料のティーバッグを巡って血みどろの争いをしていたものだ。私はその哀愁に満ちた姿に、深い共感の涙を禁じ得なかった。
「お任せください、ルチアナ様。カグヤ様も、だまされたと思って一度試してみてくださいな。……こちらへどうぞ」
私は二人を広場の隅にあるベンチへと案内し、脳内で静かに【善行ポイント通販】のウィンドウを開いた。
見返りを求めない、ただ純粋に「推し活に疲れた女性たちを癒やしたい」という善行の心。
地球のコスメ技術は、過酷な労働とストレスに晒される現代の女性たちを救うために、日夜凄まじい進化を遂げている。ある意味では、異世界の魔法陣よりも複雑で繊細な『化学の魔法』なのだ。
私が空間から実体化させたのは、二つのアイテムだ。
一つ目は、地球の美容大国が誇る【高密着・極潤シカ(CICA)配合プレミアムシートマスク(10pt)】。
二つ目は、最高級の保湿力を誇る【濃厚・深夜のシンデレラリペアクリーム(15pt)】である。
「な、何かしら、この銀色のピカピカした袋は。魔法のスクロール(巻物)?」
「あら、良い匂いがしますわね。ハーブの香り……?」
私がシートマスクの袋を開封すると、美容液がヒタヒタに染み込んだマスクから、ティーツリーとラベンダーの爽やかで心安らぐ香りが漂い出した。
「これは『シートマスク』と呼ばれるものですわ。お肌を修復する特別なハーブの成分と、たっぷりの水分がこの布に閉じ込められています。……さあ、少し冷たいですが、お顔に乗せますよ」
「えっ、ちょっ……ひゃあっ!」
私は、ルチアナ様の顔にシートマスクをピタッと貼り付けた。
極薄で密着力の高い最新のシートは、まるで第二の皮膚のようにルチアナ様の顔の凹凸に吸い付いていく。
「な、なにこれ! すんごい冷たくて気持ちいいぃぃっ! お、お肌が……干からびた私のお肌が、水分をゴクゴクと飲み込んでるのが分かるわ! なんなのこの浸透力!」
ルチアナ様が、ベンチの上でバタバタと足を動かして歓喜の声を上げる。
そのあまりに気持ちよさそうな反応に、強がっていたカグヤ様もゴクリと喉を鳴らした。
「……そ、そこまで言うなら、わたくしも試してあげないこともありませんわ」
「ふふっ、もちろんですわ。カグヤ様もどうぞ」
私はカグヤ様の美しい顔にも、同じようにシートマスクを貼り付けた。
「……ああっ」
カグヤ様の口から、抗いがたい恍惚の吐息が漏れた。
「こ、これは……月の泉の聖水よりも、はるかに粒子が細かく、肌の奥の奥まで浸透してきますわ……! しかもこのハーブの香り、徹夜のスパチャ合戦で昂ぶっていた自律神経が、優しく解きほぐされていくようですの……っ」
こうして、ルナミス帝国の帝都の中央広場で。
ピンクの芋ジャージを着た女神と、全身ハイブランドの女神が並んでベンチに座り、顔に真っ白な『シートマスク』を貼り付けて上を向いているという、最高にシュールでカオスな光景が完成した。
「……お嬢。あいつら、顔に白い布を張り付けて何やってるんすか? なんかの宗教儀式っすか?」
「アイドルの私には分かりますわ! あれは絶対にお肌に良いことをしていますの! ズルいですわ! 私もやりたいですの!」
「アマネの出すもの、みーんな良い匂いがするねー」
遠巻きに見ていたフェイトさんとリーザさんがドン引き(半分羨望)し、リンちゃんが呑気にクッキーをかじっている。
周囲の市民たちも、「神様が顔を白くしてベンチでくつろいでいる……」と完全に理解が追いつかず、遠くから拝み始める者まで現れていた。
「さて、お二人とも。十五分ほど経ちましたから、マスクを剥がしますね」
「ああっ、もうそんなに時間が? まだ剥がしたくないわぁ」
「永遠にこの潤いの中にいたいですの……」
名残惜しそうな二人から、ペリッとシートマスクを剥がし取る。
その瞬間、二人の顔から放たれた『光』に、私は思わず目を細めた。
ピカーーーッ!!
「ま、まぶしっす! なんだあの発光現象!?」
「神気が……いえ、これは純粋な『美肌のオーラ』ですわ!」
シートマスクを剥がした二人の肌は、内側から発光しているかのように白く、そして真珠のように滑らかに輝いていた。
徹夜の推し活でできていた目の下のクマは完全に消え去り、乾燥で開いていた毛穴は一つ残らず引き締まり、まさに『永遠の十七歳』という自称が真実であるかのような、究極のゆで卵肌が完成していたのである。
「す、すごいですわ……! これがわたくしの肌!? 指で触れると、吸い付くようにモチモチしていますの!」
「嘘でしょ!? 私の砂漠肌が、オアシスになってる! むしろちょっと触っただけで水滴が滴り落ちそうなくらい潤ってるわ!!」
私が手渡した手鏡を覗き込みながら、カグヤ様とルチアナ様が震える声で絶叫した。
「お二人とも、まだ終わっていませんわ。極上の水分を入れた後は、しっかりと『蓋』をしなければなりませんからね」
私はトドメとばかりに、【濃厚・深夜のシンデレラリペアクリーム】の小瓶の蓋を開けた。
こっくりとした濃厚なテクスチャのクリームを指に取り、二人の肌に優しく、マッサージするように塗り込んでいく。
「ひゃんっ……! な、何このクリーム! 凄く濃厚なのに、肌に乗せた瞬間にとろけて馴染んでいくわ……!」
「あああぁぁぁっ……! 潤いが……極上の潤いが、肌の中に完全に閉じ込められましたわ! まるで、見えないシルクのヴェールで顔全体を優しく包み込まれているような……っ!」
地球の最先端コスメ技術の前に、異世界の神々は完全に陥落した。
二人は自分の頬を両手で包み込み、まるで初めて恋を知った乙女のように、頬を赤らめてうっとりとしたため息をついている。
「……完璧ですわね」
私は満足げに頷いた。
どんなに高位の神様であっても、その本質が「女性」であるならば、美しくなることの喜びには絶対に抗えないのだ。
「ア、アマネ……あなた、ただの人間じゃないわね! この世のすべての美を司る、美容の神の化身なんでしょ!?」
ルチアナ様が、私の手を取ってガタガタと震えながら拝み始めた。
「お願い! この『しーとますく』と『くりーむ』、いくら出せば買えるの!? 今月の限度額はいっぱいだけど、オリン(主神)のハゲ頭を叩いて国庫から予算を引っ張ってくるから、私に売ってちょうだい!!」
「ズルいですわルチアナ! アマネ様、わたくしには信者から巻き上げた……いえ、献上された『蓬莱の玉の枝』がありますの! これを担保にしますから、そのクリームを一生分、わたくしの月の世界に定期購入させてくださいな!!」
完全に『美の虜』と化した二人の女神が、私の足元にひれ伏して地球のコスメを要求してくる。
神の威厳など、もうどこにも存在していなかった。
「お二人とも、そんな大金は必要ありませんわ」
私がニコリと営業スマイルを浮かべると、二人は信じられないものを見るように目を見開いた。
「え……? 嘘でしょ、これだけの奇跡を起こすポーションが、タダだっていうの!?」
「ええ。これは、私が勝手に用意したものですから。それに……お二人は、誰かを愛し、誰かを応援するために、ご自身をすり減らしてまで頑張っていらっしゃるのでしょう?」
私は、ルチアナ様とカグヤ様の美しい手を取り、優しく包み込んだ。
「朝倉月人様というアイドルを支え、その輝きを世界に広めるために、ご自身を削ってまで『推し活』に励むその情熱。……私は、そんな真っ直ぐな愛を持つお二人のことを、とても素敵だと思いますわ」
私が心の底からの称賛(限界オタクへのリスペクト)を口にすると、二人の目から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「アマネぇぇぇっ……! あんた、なんでそんなに優しいのよぉぉっ! 私のスパチャなんて、天界の他の神々からは『無駄遣い』ってバカにされてばっかりだったのにぃぃっ!」
「うぅぅっ……アマネ様……! わたくしの、わたくしの孤独なオタ活を、こんなにも優しく全肯定してくれるなんて……っ! あなたこそ、本物の女神ですわぁぁっ!」
ルチアナ様とカグヤ様が、子供のように声を上げて泣きながら、私に抱きついてきた。
推しを支えるために生きるオタクにとって、「推し活を頑張っているあなた自身も素敵だ」と肯定され、労ってもらうこと。それは、どんな高級なエステよりも、心に深く突き刺さる最高の癒やしなのだ。
(ふふっ、これでまた、厄介なお客様……いえ、素敵なご友人が増えましたわね)
私は、二人の女神の背中を優しくポンポンと撫でながら、心の内で小さくガッツポーズをした。
ゼファー商業国の視察団を『しじみ汁』で制圧したのに続き、今度は天界のトップである神々を『地球のコスメ』と『全肯定のおもてなし』で完全に掌握してしまった瞬間であった。
「……ねえ、アマネ。私、決めたわ」
涙を拭ったルチアナ様が、真剣な顔で私を見つめた。
「私、月人君の次に、アマネのことを推すことにする! アマネの『単推し(※月人君との兼任)』よ!」
「わたくしもですわ! アマネ様の優しさと、この極上のクリームの虜になりましたの! これから毎日、アマネ様に会うためにこの大公邸に遊びに来ますわね!」
「えっ」
予想外の重すぎる『神からの推し宣言』に、私はピシリと笑顔を固まらせた。
毎日遊びに来る? 神様が? この大公邸に?
……それはそれで、非常に面倒くさいことになりそうな予感がするのですが。
「おい、お前ら。……人の妻にベタベタと触りすぎではないか?」
その時。
広場を包んでいた温かく感動的な空気を、一瞬にして凍らせるような、極寒の低い声が響き渡った。
「ひぃっ!?」
「な、なんですの、この恐ろしい殺気は……!」
ルチアナ様とカグヤ様がビクッと肩を跳ねさせ、私から飛び退いた。
声のした方向――広場の入り口に立っていたのは、ルナミス帝国最強の戦神であり、私の愛する夫。
数十名の精鋭騎士を引き連れた、オルフェウス様であった。
彼の深い紫の瞳は、私に抱きついていた二人の女神を、まるで羽虫でも見るかのように冷酷に見下ろしている。
大公邸を抜け出して広場で騒ぎを起こしていると聞きつけ、慌てて(そして猛烈に機嫌を損ねて)迎えに来てくれたらしい。
「オ、オルフェウス様……」
私が困惑して声をかけると、オルフェウス様はズンズンとこちらに歩み寄り、有無を言わさずに私の腰をグイッと引き寄せた。
「きゃっ……」
逞しい腕の中にすっぽりと収められ、彼の広い胸の鼓動がダイレクトに伝わってくる。
「勝手に出歩くなと言っただろう、アマネ。……それに、こいつらは何だ。神気を垂れ流して、我が妻を困らせていたようだが?」
オルフェウス様は、ルチアナ様とカグヤ様を睨みつけながら、私を庇うように立ち塞がった。
相手が世界を創った『神』であろうと、一歩も引く気のない絶対の包容力と、不器用すぎるほどの圧倒的な独占欲。
(ああっ、もう……オルフェウス様ったら、こんな白昼堂々、皆の目の前で……っ)
私は顔から火が出そうになりながら、彼の腕の中で小さく身をよじった。
限界OLの『善行通販』が引き起こした神々のマウント合戦は、大公様の容赦のない『激甘な牽制』によって、新たな波乱の幕開けを迎えようとしていたのである。
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