第七章 神々の限界推し活と、大公邸のサイリウムの海
大公邸の秘密のティータイムと、地下アイドルの『太客』レーダー
ルナミス帝国の帝都の中心にそびえ立つ、豪奢な大公邸。
その広大な敷地の片隅にある、使用人や厨房の者たちが使う清潔なパントリー(配膳室)で、私は密やかなティータイムを楽しんでいた。
前世のブラック企業時代、私のささやかな癒やしといえば、給湯室でこっそりと飲むインスタントコーヒーと、引き出しに隠しておいた特売のチョコレートくらいのものだった。誰の足音にも怯えず、温かい紅茶をゆっくりと味わえる今の環境は、私にとって奇跡のように尊い時間である。
「ん〜っ! アマネ、この丸くて甘いサクサク、すっごく美味しい! 口の中でホロホロって溶けて、お花畑みたいな香りがするよ!」
「ふふっ、ゆっくり食べてね、リンちゃん。まだまだたくさんあるから」
私の向かいの席で、金髪の愛らしい少女――その正体は、第六の聖獣『麒麟』の化身体であるリンちゃんが、両手でクッキーを持ちながら幸せそうに頬張っていた。
彼女の周りには、文字通りキラキラとした清浄なオーラが漂っており、一緒にいるだけでマイナスイオンを全身に浴びているような気分になる。神々のドロ沼恋愛劇や派閥争いから逃げてきた彼女にとって、私のお茶会は最高のオアシスになっているらしい。
テーブルの中央に置かれているのは、地球の高級洋菓子店で売られている【極上バターの特製クッキーアソート缶(15pt)】だ。
最近、大公邸の庭師さんの腰痛をマッサージしてあげたり、迷子の子猫を助けたりしてコツコツと貯めた【善行ポイント通販】のポイントを奮発して取り寄せたものである。
異世界アナステシアにも美味しいお菓子はあるが、地球の厳選された発酵バターとアーモンドプードルをふんだんに使ったクッキーの風味は、また格別だ。
「アマネの隣にいると、本当に空気が綺麗で落ち着くね。天界のタイムカードなんて、もう一生切らなくていいかも……」
「それはダメだよ、リンちゃん。無断欠勤は社会人として一番やっちゃいけないことだからね。あとでちゃんと連絡だけは入れておきなさいね?」
「はーい」
限界OLの染み付いた習性でつい説教くさくなってしまうが、リンちゃんはニコニコと笑ってクッキーのおかわりを要求してきた。
平和だ。ゼファー商業国の視察団を「特濃しじみ汁」と「ゲロオムレツ」で完膚なきまでに制圧・調教してから数週間。大公邸には、波風一つ立たない穏やかな日常が戻ってきていた。
このまま、誰にも邪魔されることなく、大公様(オルフェウス様)と静かで温かい日々を過ごしていけたら――。
バンッ!!!
私がそんなフラグのような平和な思考に浸っていた、その瞬間。
パントリーの分厚い木製の扉が、まるで爆破されたかのような勢いで蹴り開けられた。
「ハァッ……ハァッ……! アマネ様!! 緊急事態ですわ!!」
そこに立っていたのは、ルナミスデパートの特売で買った『芋ジャージ』に『健康サンダル』という、王族とは思えないフル装備に身を包んだ、絶世の美少女だった。
海中国家シーランの正統なる人魚姫にして、ルナミス帝国で極貧ポイ活サバイバルを展開する地下アイドル、リーザさんである。
「どうしたの、リーザさん? また交番の前で反復横跳びをして、カツ丼を要求したらお巡りさんに怒られたの?」
「違いますわ! そんなセコいシノギの話ではありませんの!」
リーザさんは血走った目でパントリーに転がり込んでくると、私の両手をガシッと掴んだ。彼女の美しい瞳の中には、はっきりと『¥(金貨)』のマークが浮かび上がっている。
「私の……私の地下アイドルとしての『強欲の第六感』が、ビンビンに反応していますの! 帝都の中央広場に、とんでもない金払いの良い『太客』の気配がしますわ!!」
「……太客?」
「ええ! しかもただの金持ちではありません! 『金銭感覚が完全に崩壊している』かつ『承認欲求に飢えている』という、アイドルにとって最高にして究極の搾取対象……もとい、救済すべき迷える子羊の匂いがプンプンしますのぉぉっ!」
リーザさんが興奮のあまり、鼻息を荒くして熱弁を振るう。
要するに、カモになりそうな金持ちを見つけたから、今すぐ路上ライブを仕掛けに行きたいということらしい。
「おいおい、景気のいい話が聞こえてきたっすね。金銭感覚が崩壊した金持ちがいるんすか?」
「ひゃっ!?」
突然、天井の梁の影から、見覚えのある長身の男がフワリと飛び降りてきた。
A級冒険者にして、私の専属護衛であるフェイト・ラックさんだ。今日も今日とて、大公邸の警備任務をサボってパントリーの天井裏で昼寝をしていたらしい。
「フェイトさん……。今日こそは真面目に門の警備をしているって、さっき騎士団長さんが言っていたはずですが?」
「あー、それがっすね。今朝コイントスしたら『裏』が出ちゃいまして。持病の『門の前に立つと右足の小指が痒くなる病』が発症したんで、有休を申請したところっす」
「そんなふざけた病気で有休が通るわけないでしょう! 給料泥棒!」
「痛いっす! お嬢、耳を引っ張らないでほしいっす! でも、金銭感覚のバグった金持ちがいるなら放置できないっすよ! 俺のコイントスとリーザの歌を組み合わせれば、そいつの財布から軍資金(パチンコ代)を無限に錬成できるかもしれないっすからね!」
クズとクズが、パントリーの中で完璧な共鳴を果たしている。
私は深く、深くため息をついた。
前世のブラック企業でも、こういう「目の前の利益に飛びついて後先考えない営業マン」の尻拭いをさせられるのは、いつも私のような事務職の人間だった。
帝都の中央広場といえば、ルナミス帝国の顔とも言える場所だ。そこで大公邸の専属護衛と居候の地下アイドルが、詐欺まがいの集金ライブを行って騒ぎを起こせば、最終的にオルフェウス様の顔に泥を塗ることになってしまう。
「……はぁ。分かりました。あまりにも不審な人物なら、自警団に通報しなければなりませんからね。私も一緒に行きます」
「本当ですの!? やった! アマネ様の【善行ポイント通販】で、ライブ用のペンライトや光るうちわを出してくださいな!」
「私はスポンサーではありませんよ。リンちゃん、少しだけお出かけするけど、お留守番してる?」
「ううん、私も行く! アマネと一緒ならどこでも楽しいもん!」
リンちゃんがクッキーの欠片を口の周りにつけたまま、元気に立ち上がった。
こうして、私たちは大公邸を抜け出し、穏やかなティータイムから一転して、騒がしい帝都の中央広場へと向かうことになったのである。
*
ルナミス帝国の帝都、中央広場。
普段は美しい噴水を中心に、商人や市民たちが穏やかに行き交う洗練された場所だが、今日ばかりは様子がおかしかった。
広場の中心に、不自然なほど大きな人だかりができている。
市民たちは遠巻きにヒソヒソと囁き合いながら、中心にいる『何か』を恐る恐る観察していた。
「クンクン……間違いないですわ。あの人だかりの中心から、莫大な富の気配と、それ以上に『ヤバい執念』の匂いがしますの!」
「お嬢、あいつら絶対に関わっちゃいけないタイプの奴らっすよ。俺のギャンブラーの勘が『全額スるから引け』って全力で警告してるっす」
先ほどまでノリノリだったフェイトさんですら、少し顔を引きつらせている。
私たちは人混みをかき分け、広場の中心へと視線を向けた。
そこにいたのは、周囲のファンタジーな世界観から完全に浮きまくっている、異常な雰囲気の『二人の女性』であった。
一人は、色あせたピンク色の芋ジャージに、底のすり減った健康サンダルを履いた、ぼさぼさ髪の女性。しかし、その顔立ちは信じられないほど美しく、彼女の周囲だけ空間が歪むような圧倒的な神気が漏れ出している。
彼女は片手に『ピアニッシモ・メンソール』の細いタバコを挟み、もう片方の手で、板状の魔導具の画面を血走った目で凝視していた。
「……だから言ってるでしょ! 先月の『月人君・おやすみボイス付き限定SSR』のガチャで、天井まで回して大爆死したのはシステムのエラーよ! 私の世界神としての権限で、あんな確率表記は絶対に許さないんだからぁぁっ!!」
ジャージの女性が、広場に響き渡る大声で叫んでいる。
そして、その彼女とバチバチに睨み合っているもう一人の女性は、対照的に、頭の先からつま先まで、地球の超高級ハイブランドの最新コレクションで完璧に武装した、これまた絶世の美女であった。
「はっ、貧乏神はこれだから嫌ですわね。たかだか天井(300連)程度でピーピー騒ぐなんて、神の恥ですわよ。わたくしなんて、信者からの献上品を質屋にブチ込んで、月人君の生配信に一晩で金貨一万枚の『赤スパ(超高額投げ銭)』を叩き込みましたのよ! 月人君が『カグヤちゃん、いつもありがとう♡』って私の名前を呼んでくれた時のあの快感……! アンタみたいな無課金勢には一生分からない世界ですわね!」
「む、無課金じゃないわよ! リボ払いよ! 私のクレカの限度額が100万円しかないから、月末はもやし生活してるのよ! アンタみたいに、信者の宝物(燕の子安貝とか)をソッコーで売り飛ばすような血も涙もない錬金術ができないだけだわ!」
「それを『推しへの愛の差』と呼ぶんですのよ! オホホホホッ!!」
ルナミス帝国の広場のど真ん中で。
絶世の美女二人が、完全に地球のアイドル『朝倉月人』のオタ活の規模と、課金額のマウントを取り合って、醜い口喧嘩を繰り広げていたのである。
周囲の市民たちは、「ガチャ?」「スパチャ?」「リボ払い?」と、聞いたこともない専門用語の応酬に完全に怯えきっていた。
「……アマネ様。あの方々、見た目はすっごく綺麗なのに、言ってる内容がルナミスパーラー(パチンコ屋)の借金まみれのオジサンたちと同じですわ……」
「お嬢、アレはダメっす。俺みたいな清く正しいギャンブラーとは格が違う、本物の『依存症』っす」
リーザさんとフェイトさんが、ドン引きした顔で私に囁きかけてくる。
だが、私の見立ては少し違った。
前世のブラック企業時代、私には重度のアイドルオタクの同僚がいた。彼女たちは、推しのライブチケットや限定グッズのためなら、生活費を削ってでも全国を飛び回り、時に同担(同じアイドルを推すファン)と血みどろの争いを繰り広げていたのだ。
(……あ、これ、ダメなやつですわ)
私は、限界OLの長年の経験と直感から、広場で暴れている彼女たちの『正確な生態』を一瞬で理解してしまった。
(ただの太客じゃありません。あれは、絶対に触れてはいけない『同担拒否の限界オタク(しかも神様クラス)』です……!)
私の静かな隠居生活の空に、またしても特大のトラブルの暗雲が立ち込めてきたのを感じながら、私はそっと頭を抱え、深すぎるため息をこぼしたのだった。
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