EP 10
「極上の慰労会と、アイドルの不屈の錬金術」
ルナミス帝国の帝都、大公邸。
エントランスの茂みから、凄まじい質量の金貨と共に転がり出てきたダメ人間二名の前に、絶対零度の殺気を纏ったオルフェウス大公が立ちはだかっていた。
「……なるほど。私とアマネの神聖な時間を盗撮し、あまつさえそれを見世物にして小銭を稼いでいたと。そういう理解で間違いないな?」
大公の紫の瞳には、文字通り一切の慈悲がなかった。
背後に浮かび上がる般若の幻影が、今にも物理的な牙を剥いて二人に襲いかかろうとしている。
「ひぃぃぃぃッ! ち、違うっす! これはただの生態調査というか、記録映像というか……!」
「そ、そうですわ! ファンのみんなが、大公閣下の尊いお姿を見たいと熱望したから、アイドルとしてその声に応えただけで……!」
金貨の山に埋もれたまま、二人は涙と鼻水を流して命乞いを始めた。
しかし、そんな苦しい言い訳が帝国最強の戦神に通じるはずもない。
「貴様らの強欲な言い分は、冥界の門番にでも語るがいい」
大公が腰の魔剣の柄に手をかけた、まさにその時。
「お待ちください、オルフェウス様」
私は彼の腕にそっと触れ、完璧な営業スマイルで彼を制止した。
「……アマネ? 君はこんな不埒な輩を庇うのか?」
「庇うわけではありませんわ。ただ、ここで剣を抜いて血を流せば、せっかく彼らが綺麗に修復してくれた庭や石畳が汚れてしまいます。それに……」
私はしゃがみ込み、彼らを押し潰している『莫大な金貨の山』をニコニコと見つめた。
天界の女神ルチアナや、魔皇国の魔王ラスティアがインフラ予算レベルで投げ銭した、本物の純金の山である。
「この金貨、すべて大公邸の維持費と、今後の私の『おもてなし活動』の資金として全額没収(接収)させていただきますわ。配信機材も没収です」
「な、なんですってぇぇっ!?」
「俺の……俺のパチンコの軍資金がぁぁっ!!」
二人は、命より重い(かもしれない)金貨を全額没収されると聞き、この世の終わりのような絶望の叫びを上げた。
「さらに罰として、明日から一ヶ月間、大公邸の全トイレ掃除と、馬小屋の清掃を命じます。もちろん、食事は三食『豚神屋の特盛り』……ではなく、具なしの塩おにぎりと水のみです」
「鬼っす! アマネお嬢は血も涙もない悪魔っすぅぅっ!」
「さようなら私のセレブ生活……こんにちは塩むすび……」
白目を剥いて気絶した二人を騎士たちに引きずって行かせ、大公邸のエントランスには、ようやく本当の平和が訪れた。
「……君のその容赦のない『罰』の与え方、私も学ぶべきかもしれないな」
オルフェウス様が、呆れたように苦笑しながら私の頭を撫でてくれた。
*
その日の夜。
騒々しい一日を終え、大公邸の最も奥まった場所にある、大公専用のプライベートサロン。
重厚なマホガニーの扉は固く閉ざされ、部屋の中は暖炉の揺らめく炎と、アンティークのランプの柔らかな光だけに包まれていた。
「……昼間は、あの馬鹿共のせいでとんだ邪魔が入ってしまったからな」
大きな革張りのソファに深く腰掛けたオルフェウス様が、私をひょいと抱き上げ、そのまま自分の膝の上へと乗せた。
「きゃっ……オルフェウス様」
「やっと、君を誰の目にも触れずに独り占めできる」
彼の大きな手が私の腰を抱き寄せ、もう一方の手で私の髪を優しく撫でる。
昼間の冷徹な大公の姿はどこにもなく、そこにはただ、私を深く愛し、慈しむ一人の男の熱があった。
「今回のゼファー商業国との交渉、君のおかげで帝国の歴史に残る大勝利となった。君のあの『完璧なおもてなし』と『胃袋の掌握術』には、私ですら恐れを抱くほどだ」
「ふふっ。お褒めいただき光栄ですわ。でも、私はただ、お客様に喜んでいただけるよう、少しだけ『限界OL』の頃の経験を活かしただけですの」
私は彼の首に腕を回し、その広い胸に頬をすり寄せた。
前世のブラック企業時代。どれだけ完璧な接待をこなし、大きな契約を取ってきても、上司はそれを自分の手柄として奪い、「お前はただの飾りだ」と私を見下し続けた。
そして今世の元婚約者エギルも、私に闘気や魔力がないというだけで「無能」と切り捨てた。
しかし、目の前にいるこの帝国最強の男は違う。
私の『目に見えない価値』――人柄や、気遣い、そして料理の腕を誰よりも高く評価し、こうして惜しみない称賛と愛情を与えてくれる。
「君は、私の自慢の妻だ。……君のその優しさと強さに、私は完全に骨抜きにされている」
「オルフェウス様……」
彼が私の顎をそっと持ち上げ、その美しい紫の瞳が真っ直ぐに私を射抜いた。
暖炉の火に照らされた彼の顔が近づき、昼間、途中で終わってしまったキスの続きが、今度こそ静かに交わされた。
触れ合うだけの優しいキスから、少しずつ深く、熱いものへと変わっていく。彼の逞しい腕に閉じ込められ、私はただ、その甘い熱に溶かされていくのを感じていた。
誰にも邪魔されない、極上の慰労会。
私は彼に抱きしめられながら、今世でのこの穏やかで愛に満ちた生活を、何があっても守り抜こうと心に誓っていた。
――しかし。
私が前世で愛読していた『マーフィーの法則(失敗する余地があるものは失敗する)』は、異世界においても絶対の真理であった。
*
「(フフフ……回ってますわ! 完璧なアングルですの!)」
サロンの隅。
美しい観葉植物の大きな葉の裏側に、親指ほどの大きさの『小型魔導ドローンカメラ』が、音もなく空中に浮遊していた。
そのレンズは、ソファの上で熱く愛し合う大公とアマネの姿を、バッチリと捉えていたのである。
そして、その映像を受信しているのは、大公邸の離れにある使用人用の小部屋。
便所掃除の罰を言い渡されたはずのリーザさんが、エンジェルすまーとふぉんを片手に、暗闇の中で瞳を「¥」のマークにして妖しく光らせていた。
「(昼間の固定カメラは囮ですの! アイドルの執念(集金欲)を甘く見ないでくださいな! 大公閣下の警備の目は誤魔化せても、私のスパチャ回収は止められませんわぁぁっ!)」
彼女が配信ボタンを再びオンにした瞬間、ゴッドチューブのサーバーは再び限界を迎えようとしていた。
『キタァァァッ!! 夜の部、開幕!!』
『昼間よりもさらに甘々じゃねぇか! 大公様の色気がヤバい!!』
『アマネ様、完全にトロけてる……! 尊死するぅぅっ!!』
『全財産持っていけ! 慰労会スパチャだぁぁっ!!』
ピロリンッ! ピロリンッ! ピロリロリロリロリーンッ!!!
天界のルチアナや、魔皇国のラスティアが、昼間の興奮も冷めやらぬまま、さらなる『追いスパチャ』を狂ったように連打し始めた。
リーザの部屋の足元には、チャリン、ジャラッ!と、実体化した金貨が再び滝のように降り注ぎ始める。
「お、おいリーザ……。お前、マジで懲りねぇっすね。バレたら今度こそ首が飛ぶっすよ……?」
部屋の隅で塩むすびを齧っていたフェイトさんが、ドン引きしながら呟いた。
「アイドルに引退はありませんの! それにフェイトさん、この金貨の山を見ても同じことが言えますの? 五割……約束しましたわよね?」
リーザが黄金に輝く金貨の山を指差すと、フェイトの顔から恐怖がスゥッと消え去り、ギャンブル狂のクズの笑みが浮かび上がった。
「……ヒャッハー!! やっぱお嬢と大公閣下のイチャイチャは最高のドル箱っす!! もっと寄れ! カメラもっとズームするっす!!」
「言われなくても分かってますわ! さあ皆様、どんどん投げ銭(投資)してくださいな!」
完全に調教されたはずのダメ人間コンビは、恐怖よりも『金』の魅力に抗えず、再び最悪の共犯関係を結んで暗躍を始めていた。
彼らの足元に降り積もる金貨の山が、やがて部屋の床を突き破るほどの質量になるまで、あともう少しの時間を残すのみであった。
限界OLの完璧なおもてなしと、ダメ人間たちの大暴走で幕を閉じたゼファー商業国の視察騒動。
しかし、彼女のその『底知れぬ外交力』と『胃袋掌握術』の噂は、すでに大陸全土へと広がり始めていた。
次に大公邸を訪れるのは、いったいどこの国の、どんな厄介な者たちなのか。
ルナミス帝国におけるアマネの騒がしくも幸せな日常は、まだまだ波乱を含んで続いていくのである。
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