EP 9
「大公の激甘イチャイチャと、強欲のゲリラ配信」
ルナミス帝国の帝都、大公邸のエントランス。
厄介なゼファー商業国の視察団を乗せた馬車が完全に見えなくなり、ようやく訪れた静寂の中。私とオルフェウス様は、柔らかな昼下がりの風に吹かれながら二人きりで向かい合っていた。
「アマネ。君の完璧な『おもてなし』に、私からも褒美を与えなくてはならないな」
帝国最強の戦神であり、冷徹な為政者として知られる彼の深い紫の瞳が、今はただ一人の男としての熱を帯び、私だけを見つめ下ろしている。
彼の大きな手が私の腰を抱き寄せ、もう一方の手が私の頬を優しく撫でた。
「オ、オルフェウス様……こんな真昼間の、お外で……誰かに見られたら……っ」
「誰も見ていないさ。もし見ていたとしても、私の妻を愛でることを誰が咎められるというのだ。……ずっと、こうしたかった」
私の抵抗など無意味だと言わんばかりに、彼は私を逞しい胸の中に深く閉じ込めた。
彼の顔がゆっくりと近づき、その美しい唇が、私の唇にそっと重ねられる。
戦場では絶対に隙を見せない男の、驚くほど優しく、そして甘い口付け。触れ合うだけのキスから、少しずつ熱を帯びた深いものへと変わっていく。
ブラック企業で心をすり減らしていた前世の私が、こんなにも誰かに求められ、大切にされる日が来るなんて。限界OLの胸の奥がキュンと鳴り、私は顔を真っ赤にして彼の広い背中に腕を回した。
絵画のように美しい、至高のイチャイチャ空間。
二人の世界に完全に没入し、周囲の気配など一切気にしていなかった。
――いや、「誰も見ていない」というのは、完全に私たちの思い込みであった。
「(フフフ……回ってますわ! アングル、ピント、採光、すべて完璧ですの!)」
エントランスからわずか数メートル離れた、美しく刈り込まれた植え込みの茂みの中。
そこには、口の周りに先ほどの月見バーガーのオーロラソースを少しつけたままの芋ジャージ姿の少女――極貧地下アイドル・リーザさんが、自作の『魔導配信カメラ』を構え、瞳を「¥」のマークにして息を潜めていた。
「(タイトルは『緊急生配信! 帝国最強大公の激甘デレ・限界突破リアリティショー』ですわ! さあ、全宇宙のファンの皆様! この尊い映像の対価を、じゃんじゃん投げ銭してくださいな!)」
彼女が配信開始のスイッチを押した瞬間。
神々が運営する全宇宙ネットワーク『ゴッドチューブ』のサーバーに、凄まじいトラフィックが流れ込み始めたのである。
*
『ギャアァァァッ!! なにこの超絶イケメン大公様!!』
『普段は氷のように冷酷なオルフェウス様が、こんなに甘々な顔をするなんて!』
『アマネ様、照れてるの可愛いー! 尊い! 尊すぎる!』
『昼間からこんな刺激の強い映像を無料で見ていいのか!? いいや、払う! 払わせてくれぇぇっ!』
ピロリンッ! ピロリンッ! ピロリロリロリロリーンッ!!!
リーザのエンジェルすまーとふぉん(配信端末)の画面が、かつてないほどの『莫大なスパチャ(投げ銭)のエフェクト』で完全に埋め尽くされた。
ルナミス帝国の臣民はもちろんのこと、国境を越えた獣人王国や、他国の貴族の令嬢たちまでが、この「最強カップルの純愛」に狂わされ、財布の紐を物理的に引きちぎっていた。
さらに、天界や魔界のトップ層までもが、この配信に食いついていた。
「(キャーッ! たまんないわね! アイドルの月人君のライブも最高だけど、このリアルな純愛リアリティショーは別腹よ! えーい、国庫の予算から投げ銭よぉぉっ!)」
アバロン魔皇国でモニターに齧り付いている魔王ラスティアが、国のインフラ予算(金貨数万枚)をノータイムでスパチャとして叩き込む。
「(あぁぁ……浄化されるわー。ガオガオンの社内ドロドロ不倫劇を処理して荒みきった私の心に、この純真なキスが染み渡るぅぅ。……えーい、魔法カードの上限まで課金よ! リボ払いでいいから!)」
天界のコタツ部屋で芋ジャージ姿で寝転がっている女神ルチアナも、自身のクレジットカードの限度額限界まで投げ銭を連打していた。
「(す、すごいですわ……! アイドルとして私が汗水流して歌った時の何百倍もの金貨が、秒速で稼ぎ出されていきますの……!!)」
茂みの中で、リーザさんは歓喜のあまり白目を剥きそうになっていた。
自分が必死に営業するよりも、この『大公とアマネの尊い日常』を背後から盗撮(配信)することこそが、最も効率の良い集金システム(錬金術)である。彼女の強欲なアイドル魂は、完全にその真理に到達してしまっていた。
「おい、お前。こんな茂みの中で何やってるっすか?」
その時、庭の清掃を終えたばかりのフェイトさんが、不審に思って茂みを覗き込んできた。
「ひぃっ!? ふぇ、フェイトさん! しっ! 声がデカいですわ!」
リーザさんは慌ててフェイトの口を塞ぎ、茂みの中に引きずり込んだ。
「何すか、汗臭いっすよ。……って、これ、魔導カメラっすか? まさかお前、大公閣下とお嬢の……あの神聖な時間を盗撮して配信してるんすか!?」
「『尊いお裾分け』と言ってくださいな! 見てください、このスパチャの額を! これで今夜は、ポポロ村の高級寿司の出前が頼めますわよ!」
リーザがエンジェルすまーとふぉんの収益画面を見せると、フェイトの目の色が変わった。
そこに表示されていたのは、A級冒険者が一生かかっても稼げないような、天文学的な数字の金貨の額であった。
「……じゅ、じゅるり」
「黙っていてくれるなら、フェイトさんにも二割……いや、三割分けますから! だからカメラのピント合わせを手伝ってくださいな!」
「三割!? ……舐めんなっす。俺の口止めの相場は高いっすよ。五割なら口を噤むっす。俺の、ルナミスパーラー(パチンコ)の軍資金が欲しいっす!」
「ご、五割!? この足元を見る強欲サボり魔が……! 分かりましたわ! 契約成立ですの!」
大公邸のダメ人間二人の間で、最悪のクズ交渉が成立した。
フェイトはすぐにカメラの三脚(代わりに使っている木の枝)を支え、リーザは画角を調整し、二人は息を合わせて極上のイチャイチャ映像を世界中に垂れ流し続けた。
――しかし。
彼らは、天界のシステムの恐ろしい仕様を理解していなかった。
神々や視聴者から送られる『スパチャ(投げ銭)』は、単なる電子データではない。システム上、物理的な金貨や宝石として、配信者の足元の空間に直接『転送』される仕様だったのだ。
チャリン……。
ジャラッ。
「ん……?」
フェイトが首を傾げた。
茂みの中で、彼らの足元に、どこからともなくピカピカの金貨が数枚落ちてきたのである。
「リーザ、なんか金貨が落ちてきたっすよ?」
「あら? 配信の収益が実体化しているんですわ! さすが神々のシステム、振込が早くて助かりますの――」
リーザがホクホク顔で金貨を拾おうとした、その瞬間だった。
ジャララララララララララッ!!!!
ズザザザザザァァァァァッ!!!!
天界のルチアナや、魔皇国のラスティアが叩き込んだ『インフラ予算レベルの超絶スパチャ』が、限界まで圧縮されて実体化し、茂みの上空の空間から、まるで滝のように雪崩れ落ちてきたのである。
「あばばばばっ!? ま、待って! 量が多すぎますのぉぉっ!!」
「ぎゃあぁぁぁっ! 金貨の重みで圧死するっすー!!」
凄まじい質量の金貨と宝石の山が、茂みの中にいた二人を物理的に押し潰し、耐えきれなくなった金貨の雪崩が、茂みを突き破ってエントランスの石畳へとザバーーッ!と溢れ出した。
チャリン、チャリーンッ……!
私たちの足元まで、キラキラと輝く無数の金貨が転がってきた。
その異音と光景に、私とオルフェウス様はゆっくりと唇を離し、視線を落とした。
「……金貨?」
私が首を傾げる。
オルフェウス様が、ゆっくりと顔を上げ、金貨が溢れ出してきた『茂み』の方へと冷え切った視線を向けた。
そこには、金貨の山の下敷きになりながら、魔導カメラをこちらに向けてピクピクと痙攣しているフェイトさんとリーザさんの姿があった。
「……」
「……」
エントランスに、この世の終わりよりも重い沈黙が降りた。
「……なるほど。そこにある茂み。誰かいるな?」
ゴゴゴゴゴッ……!!!
先ほどの甘い雰囲気から一転。オルフェウス様の背後に、再び『般若の幻影』が、それも先ほどの数百倍の濃さでハッキリと実体化して浮かび上がった。
「ヒィィィィッ!!?」
金貨の山に埋もれたダメ人間二名から、言葉にならない絶望の悲鳴が上がった。
大公の怒り(プライバシーの侵害に対するガチギレ)という最高のオチがつき、配信画面の向こう側の視聴者たちは、今日一番の大爆笑を叩きつけていたのである。
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