EP 7
「外交の完全勝利と、地獄の庭園修復(土木)作業」
ルナミス帝国の帝都、大公邸の重厚な会議室。
本来であれば、今日はゼファー商業国の視察団と、今後の両国の貿易に関する『血で血を洗うような過酷な外交交渉』が行われるはずの場であった。
「……それで、こちらが我がルナミス帝国が提示する、新たな通商条約の草案だが」
オルフェウス大公が、威厳に満ちた声で羊皮紙の束をテーブルの中央に滑らせた。
その内容は、関税の大幅な引き下げや、ゼファー側の技術提供の義務化など、帝国側にとって『圧倒的に有利(強気すぎる)』な条件がずらりと並んでいた。普段のゼファー商業国であれば、鼻で笑って一蹴し、席を蹴って帰るような内容である。
大公邸の文官たちも「いくらなんでも条件が厳しすぎるのでは……」と冷や汗を流して見守っていた。
しかし。
「おおっ! 素晴らしい! なんと完璧で、両国の未来を見据えた素晴らしい条約案であろうか!」
草案を一読した視察団長・ゲルド侯爵は、なぜか感動の涙を流しながら、テーブルをバンバンと叩いて絶賛し始めたのである。
「えっ……? いや、侯爵、よく読んでいただきたい。ゼファー側の関税負担が――」
「細かい数字などどうでもよい! このような素晴らしい国と、無駄な関税の駆け引きなどしている時間がもったいない! 我々ゼファー商業国は、このルナミス帝国が提案する条件を、無条件で全面的に受け入れますぞ!!」
「そうだそうだ! ルナミス帝国万歳!!」
ゲルド侯爵と取り巻きの貴族たちは、まるで洗脳されたカルト信者のように目を輝かせ、次々と条約書にサインと印章を押し始めた。
その異様な光景に、オルフェウス様と文官たちは完全に言葉を失っていた。
無理もない。彼ら視察団の目は、条約書など見ていなかった。彼らの視線は、部屋の隅でティーポットを持ち、完璧な営業スマイルを浮かべて控えている『一人のメイド服の少女』にのみ釘付けになっていたのだ。
「さあさあ、侯爵様。温かいお茶のおかわりはいかがですか?」
「ああっ、アマネ様! いただきます! あなたの淹れるお茶を飲めるならば、国境の砦の一つや二つ、喜んで差し出しましょう!!」
「私もです! アマネ様、どうか私のグラスにも!!」
ゲルド侯爵たちは、究極の二日酔いを【特濃しじみ汁】と【極上だし茶漬け】で救済されて以来、完全にアマネの『胃袋掌握術』の虜(信者)と化していた。
アマネを「おもてなしの聖母」として崇拝する彼らにとって、彼女がいるルナミス帝国に敵対するなど、神に背くも同然の行為だったのである。
「……おい、アマネ。君は昨晩、彼らに一体どんな魔法をかけたのだ?」
オルフェウス様が、呆然としながら私の耳元で囁いた。
「魔法など使っておりませんわ。ただ、体調を崩されたお客様に、少しばかり『限界OL流の温かいケア』を差し上げただけです」
私はニコリと微笑んだ。
前世のブラック企業で、接待相手の心と胃袋を完全に掌握し、無理難題な契約を笑顔でもぎ取ってきた私の営業スキルが、異世界の外交でも通用することが証明された瞬間であった。
「……君を敵に回すことだけは、絶対に避けねばならんな」
帝国最強の戦神が、私の底知れぬ外交力にほんの少しだけ背筋を凍らせながら、深々とため息をついた。
こうして、ルナミス帝国とゼファー商業国の通商交渉は、一滴の血も流れることなく、帝国の『完全大勝利』という形で幕を閉じたのである。
*
一方、外交の完全勝利から数時間後のこと。
大公邸の庭園では、華やかな会議室とは打って変わって、地獄のような光景が広がっていた。
「ゼェ……ゼェ……! うぉぉぉっ! 石を運べ! 土を埋めろ! 休んでる暇はねぇっす!!」
「はぁ、はぁ……! お肌が日焼けしてしまいますわ! でも、手が止められませんのぉぉっ!!」
全裸での剣の素振りと、高速の反復横跳びで庭を破壊し尽くしたダメ人間コンビ(フェイトとリーザ)が、ツルハシとスコップを握りしめ、滝のような汗を流しながら土木作業(庭の修復)に従事していた。
昨晩の泥酔のツケと、アマネから言い渡された『罰ゲーム』である。
「おらおら、手が止まってるぞ、貴様ら。明日の朝までにこの庭を元の状態に戻さねば、どうなるか分かっているだろうな?」
庭の隅に置かれたパラソルの下で、オルフェウス大公が冷たい目で彼らを見下ろしている。彼の背後には、ルナミス帝国の精鋭騎士たちがズラリと並び、逃亡を一切許さない完璧な包囲網を敷いていた。
「ひぃっ! や、やってるっす! 一生懸命やってるっすから、剣に手をかけないでほしいっす!」
フェイトさんが、泣きながらスコップで土を掘り返す。
しかし、彼らがこれほどまでに必死に労働している理由は、大公の殺気だけではなかった。
彼らの視線の先、庭の片隅には、巨大な木箱が山積みになって置かれている。
その木箱には、ドクロのマークと共に『ルナミス帝国軍・旧型レーション(ゲロオムレツ)全量廃棄予定品』という恐ろしい文字が刻まれていた。
「……フェイトさん、リーザさん。休憩時間ですよ」
私が麦茶の入ったピッチャーを持って庭に現れると、二人は飛びつくように駆け寄ってきた。
「アマネお嬢! 腹減ったっす! もう力仕事でフラフラっすよ! 今日のまかないは、豚神屋のラーメンっすか!? それともカツ丼っすか!?」
「お腹と背中がくっつきそうですわ! 甘いパンケーキが食べたいですの!」
期待に目を輝かせる二人に対して、私は一切の感情を排した、能面のような笑顔を向けた。
「何を言っているのですか? 私は医務室でちゃんと伝えたはずですよ。『庭の修復が終わるまでの食事は、ゲロオムレツの支給になります』と」
私が空間収納から取り出したのは、茶色い真空パックに入った、黄色いスポンジ状の四角い塊――ルナミス軍の伝説の兵器『ゲロオムレツ』であった。
「……ッ!!」
その禍々しい塊を見た瞬間、フェイトさんとリーザさんの顔から、すべての血の気が引いた。
「嘘……でしょ……? それ、兵士が食べた瞬間に吐き気を催して、暴動が起きたっていう伝説の廃棄レーションじゃないっすか……!」
「嫌ですわ! アイドルがそんな腐った靴下みたいな匂いのするゴミを食べたら、胃袋が汚染されて声が出なくなってしまいますのぉぉっ!」
二人は恐怖のあまり、互いに抱き合ってガクガクと震え始めた。
「文句を言うなら、食べなくても結構ですよ。ただし、別の食事は一切出しません。……さあ、一口どうですか?」
私がゲロオムレツの袋を少しだけ開けると、中から「強烈な胃酸と腐敗した靴下の混ざったような、絶望的な異臭」がモワァッと漂い出した。
「ヒィィィィッ!! 臭いっす! 目が、目がァァァッ!!」
「ごめんなさい! 私が悪かったですわ! 深夜のラーメンも、庭の破壊も、全部私が反復横跳びしたせいですのぉぉっ!」
二人はゲロオムレツの脅威に完全に屈服し、涙と鼻水を流しながら地面に土下座した。
「反省しているなら結構です。では、さっさと庭を元通りにしなさい。明日の朝までに間に合わなければ、明日の朝食も、昼食も、夕食も……ずーっと『これ』ですからね」
私が営業スマイルで宣告すると、二人の目つきが変わった。
「うおおおおぉぉぉっ!! やるっす! 死ぬ気でやるっす!! ゲロオムレツだけは絶対に食いたくねぇぇっ!!」
「限界突破ですわ! 人魚の底力、お見せしますのぉぉっ!!」
恐怖(食の絶望)に駆り立てられたダメ人間二人は、先ほどまでの疲労も忘れ、A級冒険者と人魚姫の身体能力のすべてを『土木作業』に極振りし始めた。
フェイトさんが残像が見えるほどの速度でツルハシを振るい、リーザさんが音速の反復横跳びで土を固めていく。
その凄まじい作業スピードは、ドワーフの建築職人すら裸足で逃げ出すほどの効率であった。
「……アマネ。君の『兵器』の使い方は、軍の戦術教本に載せたいほど見事だな」
オルフェウス様が、呆れを通り越して感心したように呟いた。
「ふふっ。罰を与える時は、相手が一番嫌がるものを効果的に使うのが、人の上に立つ者の鉄則ですからね」
私は微笑みながら、二人の労働風景を眺めた。
外交の完全勝利と、問題児たちの完璧な調教。
限界OLの『事務処理能力』と『アメとムチ』により、大公邸の騒動は、見事なまでに(そして恐ろしいほど効率的に)解決へと向かっていたのである。
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