EP 6
「究極の二日酔いと、限界OLの回復魔法(しじみ汁)」
翌朝。
ルナミス帝国の帝都にそびえる大公邸のゲストルームには、地獄のような重く澱んだ空気が満ちていた。
「う、うぐぅ……。あ、頭が……頭蓋骨の中でドワーフの鍛冶職人がハンマーを振り下ろしているように痛い……。吐き気が……」
ゼファー商業国の視察団長、ゲルド侯爵は、豪華な天蓋付きベッドの上で、青白い顔をして芋虫のように丸まっていた。
彼の周囲のベッドや長椅子には、取り巻きの貴族たちが同じように白目を剥き、うめき声を上げながら転がっている。
無理もない。
昨晩、彼らはアマネが用意した『度数40度のイモッカ仕込み・極上ワンカップラーメン』という、ジャンクの極みと強アルコールが融合した悪魔の劇物を胃袋にぶち込んだのだ。
その結果、完全に理性を吹き飛ばした彼らは、鼻に金貨を詰めて「ハゲたぬきのポンポコ節」を夜更けまで踊り狂い、大公邸の広間を地獄のダンスホールに変えてしまった。
その代償が、この『究極の二日酔い』である。
胃袋は激しく荒れ、肝臓は悲鳴を上げ、全身の水分が奪われて口の中は砂漠のように乾ききっている。
「み、水を……誰か、水をくれ……。それに、癒やしの魔法を……」
ゲルド侯爵が震える手を伸ばすが、彼らが護衛として連れてきた魔法使いも、一緒にワンカップラーメンを食べて泥酔し、部屋の隅で気絶していた。
もはや、自国に帰る体力はおろか、ベッドから起き上がることすらできない。
「……おしまいだ。天下のゼファー商業国の視察団が、ルナミス帝国の酒と麺に完全に敗北し、こんな無様な姿を晒すなど……」
ゲルド侯爵は、割れるような頭痛の中で、己の外交的敗北を悟り、シーツを握りしめて絶望の涙を流した。
――コンコン。
その時、ゲストルームの分厚い扉が、控えめにノックされた。
「皆様、おはようございます。アマネでございます。朝食をお持ちいたしましたわ」
扉が開き、朝の爽やかな光と共に、完璧なメイド服風ドレスに身を包んだ私が、銀のワゴンを押して入ってきた。
私の顔には、昨晩の彼らの乱痴気騒ぎを嘲笑うような色は一切ない。あるのはただ、病人を労わる一流ホテルのコンシェルジュのような、慈愛に満ちた微笑みだけだ。
「あ、アマネ嬢……。す、すまないが、朝食などとても胃が受け付けん。我々は今、猛烈な二日酔いで……吐き気が……っ」
ゲルド侯爵が口元を押さえながら、弱々しく首を振った。
「ええ、存じております。昨晩は大変盛り上がっておいででしたから。……ですので本日は、二日酔いのお体に最も優しく、胃腸と肝臓を癒やす『特製の朝食』をご用意いたしましたの」
私はワゴンをベッドの脇に寄せ、脳内で【善行ポイント通販】のウィンドウを開いた。
前世のブラック企業時代、連日の接待と飲み会でボロボロになった私の胃袋と肝臓を救ってくれた、地球の『二日酔い特効薬(食事)』。
私が空間から実体化させたのは、地球の定食屋が誇る【極上・特濃しじみエスプレッソ(濃厚しじみ汁・5pt)】と、料亭の味【天然真鯛の極上だし茶漬け(10pt)】である。
「まずは、こちらの温かいスープからどうぞ」
私は、お椀になみなみと注がれた『特濃しじみ汁』を、ゲルド侯爵の震える手にそっと持たせた。
「スープ……? この、白濁した汁が……?」
ゲルド侯爵は怪訝そうな顔をしたが、お椀から立ち昇る、磯の香りと味噌の深く優しい匂いが、彼の乾ききった鼻腔を優しく撫でた。
その匂いだけで、荒れ狂っていた胃袋が「それを早く寄越せ」と激しく主張し始める。
ズズッ……。
侯爵が、恐る恐るしじみ汁に口をつけた。
「――ッ!!??」
その瞬間、ゲルド侯爵の瞳孔が限界まで見開かれた。
「な、なんだこれはぁぁっ!? 濃厚な貝の旨味が、乾ききった喉を潤し、荒れた胃壁に染み渡っていく! そして、この温かさが全身を巡り……重かった頭痛が、嘘のようにスゥッと引いていくではないか!」
当然である。
地球の【しじみ】に大量に含まれる成分『オルニチン』は、アルコールの分解を劇的に促進し、疲労した肝臓を回復させる最強の栄養素なのだ。
そこに、味噌の塩分とアミノ酸が加わることで、二日酔いの体にとって、これはポーション(回復薬)すら凌駕する『命の滴』となる。
「ああっ……! うめぇぇっ! 五臓六腑に染み渡るぅぅっ!!」
ゲルド侯爵は、貴族の作法も忘れ、お椀に顔を突っ込むような勢いで、しじみ汁を一気飲みした。
「さあ、お次はこちらです。胃に負担をかけないよう、温かいお出汁でサラサラと召し上がってくださいね」
私が続いて差し出したのは、【天然真鯛の極上だし茶漬け】だ。
輝くような白米(米麦草)の上に、新鮮な真鯛の薄切りと、香り高い三つ葉、そしてアクセントのワサビが乗せられ、そこに黄金色に輝く熱々の『特製カツオ昆布出汁』がたっぷりと注がれている。
「こ、これは……米をスープに浸しているのか? だが、この黄金の汁から漂う、上品で奥深い香りは……っ!」
ゲルド侯爵はスプーンを手に取り、出汁を吸ったご飯と真鯛を一緒にすくい上げ、口に運んだ。
サラサラッ……ジュワァァァ……!
「……あぁぁぁ……っ」
ゲルド侯爵の目から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。
「優しい……。なんという優しさだ……。真鯛の甘みと、この『お出汁』と呼ばれる魔法のスープの深い旨味が、傷ついた私の体を、まるで母親の腕のように優しく包み込んでくれる……っ。ワサビのツンとした香りが、ぼやけた頭をシャキッと目覚めさせていく……っ」
彼は泣きながら、だし茶漬けをサラサラとかき込み続けた。
他の貴族たちも、私から配られたしじみ汁とだし茶漬けを無言で貪り食い、あちこちから「あぁ……」「生き返る……」「ママン……」という、すすり泣きにも似た歓喜の吐息が漏れ始めた。
前世の限界OL時代、私は知っていた。
二日酔いで死にかけている相手に対して、説教や嫌味を言うよりも、「黙って最高のケア(しじみ汁と消化の良い食事)」を提供することこそが、相手の心に最も深く刺さる(依存させる)ということを。
「ふぅ……お腹がいっぱいになりましたら、こちらのお薬(胃薬・3pt)を飲んで、もう一度ゆっくりとお休みくださいませ。視察のスケジュールは、こちらで調整しておきますから」
私が完璧な慈愛の笑みを浮かべて胃薬と水の入ったグラスを差し出すと、ゲルド侯爵はベッドの上で、私に向かって深く、深く頭を下げた。
「ア、アマネ様……! あなたは……あなたはルナミス帝国が誇る、おもてなしの聖母だ!!」
「え?」
「我々は愚かだった! 平民上がりだとあなたを侮辱したこと、心の底から謝罪する! このような完璧な気遣いと、神の領域にある料理を作れる女性が、大公妃に相応しくないはずがない!!」
「アマネ様万歳! アマネ様万歳!!」
取り巻きの貴族たちも、ベッドから這い出して私に向かって土下座を始めた。
彼らの目は、もはやルナミス帝国の粗探しをする厄介な視察団のものではなく、完全に「アマネ様のご飯と優しさなしでは生きられない信者(虜)」のそれに変わり果てていた。
(……ふふっ。ちょろいものですわね)
私は心の中でガッツポーズをした。
これで、ゼファー商業国との外交交渉は、ルナミス帝国にとって圧倒的に有利な条件で進むことが確定した。胃袋と肝臓を完全に掌握された彼らは、もう二度と私やオルフェウス様に逆らうことはできないだろう。
「もったいないお言葉ですわ。さあ、冷めないうちにどうぞ」
私は営業スマイルを崩さず、彼らの世話をメイドたちに任せてゲストルームを後にした。
*
外交の火種を完全に鎮火(掌握)させ、ホッと一息つきながら大公邸の廊下を歩いていると、医務室の扉が少しだけ開いているのに気づいた。
隙間から覗くと、そこにはベッドの布団にすっぽりと包まり、青白い顔で震えている二つの影があった。
「うぅ……気持ち悪いっす……。頭が割れそうっす……」
「アマネ様の手作りラーメン、最高でしたけど……アルコールの威力が人魚の許容量を超えていましたわ……。吐きそうですの……」
昨晩、全裸で剣を振り回し、鼻に五円玉を詰めて庭を破壊し尽くした、大公邸のダメ人間コンビ(フェイトとリーザ)である。
彼らもまた、自業自得の『究極の二日酔い』に苦しんでいた。
「あらあら。大公閣下から逃げ切ったと思ったら、自滅して苦しんでいるようですね」
私は腕を組み、冷ややかな視線で彼らを見下ろした。
視察団には完璧なケアを提供したが、身内(しかも勝手に盗み食いをして庭を破壊した犯人)には、しっかりと『お仕置き』をしておかなければならない。
私は脳内で再び【善行ポイント通販】を開いた。
しかし、今回取り出したのは「しじみ汁」ではない。
「フェイトさん、リーザさん。二日酔いで苦しそうですね。……とっておきの『お薬』を用意しましたよ」
私が空間から実体化させたのは、地球のバラエティ番組で罰ゲームとして使われる、超激苦の【極濃・センブリ茶(1pt)】をなみなみと注いだジョッキであった。
「あ、アマネお嬢……! さすがっす! 優しいっす!」
「ありがとうございますわ! 喉がカラカラでしたの!」
何も知らない二人は、私が差し出した濁った緑色のお茶(センブリ茶)を、奪い合うようにして一気に喉に流し込んだ。
ゴクッ、ゴクッ……。
「……」
「……」
二人の動きが、ピタリと止まった。
そして次の瞬間。
「ぶ、ぶふぁぁぁぁぁぁっ!!??」
「に、苦いぃぃぃっ!! なんですのこれぇぇっ!? 泥と毒草を煮詰めたような、絶望的な苦みがぁぁっ!!」
二人はベッドの上で悶絶し、白目を剥いてのたうち回り始めた。
「良薬口に苦し、と言いますからね。……さて、体調が戻りましたら、大公閣下と一緒に、庭の修復作業(力仕事)を徹夜で手伝っていただきますからね。もちろん、終わるまでご飯は『ゲロオムレツ』の支給になりますから、覚悟しておいてください」
私はかつてないほどの『真っ黒な営業スマイル』を浮かべて言い放つと、絶叫する二人を医務室に残し、優雅な足取りで立ち去った。
限界OLの『完璧なおもてなし』と『的確なアメとムチ』により、大公邸に再び(物理的な)平和が戻ろうとしていた。
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