EP 8
「魔人ギアンのメンタルブレイク(お祈り)」
ルナミス帝国の地下迷宮の最下層。
芋ジャージ姿の地下アイドル・リーザさんが放った奇跡のライブバフにより、能力が100倍に跳ね上がったフェイトさんと、主神レベルに覚醒したヴァルキュリアさんの神聖なサイリウム(聖剣)攻撃。
その規格外の暴力(ライブの余興)の前に、魔王軍の幹部である大悪魔ギアンは、文字通り手も足も出ずにボコボコにされ、迷宮の岩壁に深くめり込んでいた。
「がっ……あぁ……っ。ば、馬鹿な……。俺は、神話の時代より恐れられし大悪魔ギアンだぞ……。それが、こんな……ただの光る棒と、チンピラの剣で……」
ギアンは全身から黒い煙を上げ、白目を剥きながらピクピクと痙攣している。
彼の周囲には、ゴッドチューブの配信を通じて世界中のファンから投げ込まれた莫大な金貨が、山のように降り積もっていた。
彼が数千年の怨念を込めて作り上げた『絶対脱出不可能・絶望の地下迷宮』は、今や完全に【大人気アイドルの神ライブ会場】へと成り下がってしまったのだ。
「俺の……数千年の計画が……。俺の可愛い部下たち(魔物)が、お布施を置いて逃げ出した挙句、俺自身もこんな……」
ボロボロになり、プライドを完全にへし折られた大悪魔。
普通なら、ここでとどめを刺して完全勝利を喜ぶところだろう。
しかし、限界OLとして数多の修羅場(クレーム処理や取引先とのトラブル)をくぐり抜けてきた私の『社会人スキル』は、ここで終わることを許さなかった。
(……施設の管理人さんをここまでボコボコにしてしまったら、後でどんな面倒なクレーム(呪い)が来るか分からないわ。ここはしっかりと『アフターケア』をして、穏便に引き下がってもらわなくては)
私は空間収納から、手作りのサンドイッチを取り出した。
具材は、先ほどリーザさんが狩ってきた極上の霜降りボア肉のロースト。そして、それに挟むのは、大公邸の菜園から持参した、青白いオーラを放つ瑞々しいレタス――あのトラウマ野菜『折れたス【コンペ敗退(お祈り)種】』である。
「……管理人様。お仕事、本当にお疲れ様です」
私は壁にめり込んでいる大悪魔ギアンの元へトコトコと歩み寄り、慈愛に満ちた(事務的な)微笑みを浮かべて声をかけた。
『……あ? なんだ貴様は……。俺を、笑いに来たのか……小娘……』
ギアンが血走った目で私を睨みつける。
「いいえ。色々と私たちの不手際で、こちらの施設を荒らしてしまい、申し訳ありませんでした。夜勤でお腹も空いているでしょう。もしよければ、夜食にこちらをどうぞ」
私は、香ばしいボア肉とシャキシャキの『折れたス』がたっぷり挟まったサンドイッチを、ギアンの口元へと差し出した。
『……ふん。人間の恵みなど……受けるか……』
ギアンは顔を背けようとした。
しかし、彼自身が迷宮に放った『飢餓の呪い』の余波が、彼自身の胃袋にも微かに影響を与えていたこと、そして何より、A5ランク相当の極上ボア肉とガーリックバターの暴力的な香りが、彼の悪魔の本能(食欲)を強烈に刺激した。
『ぐぅ……っ』
ギアンは抗えず、反射的にそのサンドイッチにガブリと噛み付いてしまった。
「美味しいですか?」
『……バカな。ただの草と肉の分際で、なんだこの圧倒的な旨味とシャキシャキ感は……』
ギアンがレタスを咀嚼した、その瞬間だった。
彼の脳内に、突如として『冷たく、感情の一切こもっていない事務的な女性のテレパシー』が響き渡った。
『……この度は、当地下迷宮経営企画コンペティションに、多大なる時間と労力を割いてご提案いただき、誠にありがとうございました』
「……は?」
ギアンの咀嚼が、ピタリと止まった。
彼の血走っていた瞳から、怒りや憎しみの色がスゥッと抜け落ち、代わりに『得体の知れない社会的な不安』が広がっていく。
『社内にて慎重かつ厳正なる審査を重ねました結果……誠に遺憾ながら、貴殿のご提案(絶望の迷宮による人類抹殺計画)は、弊社の求める方向性と合致せず、今回は採用を見送らせていただくこととなりました』
「ふ、ふざけるなッ……! 俺の計画は完璧だった! 飢餓の呪いも毒の沼も、最高のギミックだったはずだッ!」
ギアンは虚空に向かって叫んだが、脳内の無慈悲な声は止まらない。
『……大変素晴らしい着眼点(飢餓の呪いをスパイスにし、毒の沼を温泉にするという斬新なリゾート発想)ではございましたが、コンプライアンス(アイドルライブの無許可開催地としての利用)の観点から、維持管理コストの回収が困難であるとの判断に至りました。ご期待に沿えず恐縮ですが、何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます』
それは、自分が数千年かけて作り上げた「渾身の事業計画」が、一切の情を挟まれずに事務的に全否定されるという、絶対的な拒絶。
魔王軍幹部としての誇りを持っていた彼にとって、その【お祈りメール】の破壊力は、ヴァルキュリアさんの神聖魔法よりも深く、致命的に心を抉る劇物だった。
『なお、貴殿の今後のご健勝と、他迷宮でのご活躍を、心よりお祈り申し上げます』
チィィィン……。
ギアンの中で、何かが完全に折れる音がした。
「祈られた……。俺の、数千年のダンジョン経営計画が……お祈りされちまったぁぁぁぁっ!!」
大悪魔ギアンは、ボロボロの巨体を丸め、両手で顔を覆って崩れ落ちた。
「いやだぁぁっ! 企画書書き直すからぁ! 毒の沼のPHバランス見直すからぁっ! 予算も削るからぁぁっ! ママーッ!!」
なんと、神話の時代の大悪魔が、完全に幼児退行を起こし、地面を転げ回って大号泣し始めたのである。
「……アマネお嬢、マジで悪魔っすね。物理でボコボコにした後に、相手の誇り(プロジェクト)を社会的に完全否定するとか、エグすぎるっす」
能力100倍のバフが切れてヘロヘロになったフェイトさんが、ガクブルと震えながら一歩後ろに下がった。
「はわわ……! アマネさんの慈愛により、大悪魔が完全に浄化されてしまいました……! やはりアマネさんは女神です!」
ヴァルキュリアさんも、恐怖と畏敬の混じった目で激しくメモを取っている。
「え? 私はただ、お仕事の後に新鮮なサンドイッチを差し入れただけですよ?」
私は首を傾げた。
私が手を下したわけではない。彼が自らのダンジョン管理の甘さで企画を否定された(自滅した)だけだ。私はただの「労い」をしたに過ぎない。
「アマネ様! アンチ(大悪魔)も大人しくなりましたし、スパチャも回収しましたわ! これでいつでも地上に帰れますの!」
芋ジャージに大量の金貨を詰め込んだリーザさんが、ホクホク顔で戻ってくる。
私たちは無事に、死の地下迷宮でのグランピングとライブを満喫し、すべての脅威を(精神的にも)完全に排除した。
あとは地上に帰る手段を探すだけ。
――しかし。
事態を完全に収束させる『最大の嵐』は、まだ終わっていなかった。
ドゴォォォォォォォォンッ!!!
突如、迷宮の天井から、巨大な落盤のような凄まじい轟音が響き渡った。
最下層の分厚い岩盤が、まるでビスケットのように砕け散り、パラパラと小石が降り注ぐ。
「ひぃっ!? な、なんだ!? 今度は何が落ちてくるんすか!?」
フェイトさんが悲鳴を上げる。
愛する妻(予定)が地下に落とされたと知り、迷宮の正規ルートなどすべて無視して、『壁と床を物理で粉砕しながら直下してきた』帝国最強の男。
怒髪天を衝く大公の、超絶脳筋レスキュー(物理)が、いよいよ最下層の天井をぶち抜いて到着しようとしていたのである。
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