EP 5
「フェイトの有給申請と、アイドルの強欲営業」
ルナミス帝国の地下迷宮、最下層。
温泉(元・毒の沼)の効果で完全に弛緩しきっていた私たちの前に、地鳴りのような轟音と共に、無数の赤い眼光が押し寄せてきた。
「ひぃぃっ!? な、なんすかあの数は! ダンジョン・ボアに、巨大な毒蜘蛛、それにオークの群れまで……完全にスタンピード(魔物の暴走)じゃないっすか!」
フェイトさんが、顔面を蒼白にして叫んだ。
魔人ギアンが全層からかき集めた凶悪な魔物の大群が、よだれを垂らしながら私たちを完全に包囲している。
「はわわ……! 数が多すぎます! アマネさん、リンちゃん、私の後ろへ!」
ヴァルキュリアさんが純白の翼を広げ、聖剣を構えて私たちの前に立ち塞がった。しかし、いくら天界の聖騎士とはいえ、これほどの数を一人で相手にするのは骨が折れるだろう。
「……フェイトさん、出番ですよ。A級冒険者としてのお給料分、しっかり働いてくださいね」
私が冷静に声をかけると、フェイトさんはブルブルと首を横に振った。
「む、無理っす! 俺、ヒノキ風呂で完全に『オフの体』になっちまったんすよ! 今から残業(戦闘)だなんて、絶対に嫌っす! ……こうなったら!」
フェイトさんは腰のミスリルソードを抜く代わりに、ポケットから一枚の『運命の金貨』を取り出した。
「コイントスで決めるっす! 表(能力2倍)が出たらヒーローになってやる! でも、裏が出たら……親戚の犬の四十九日なんで、有休取ってサボらせてもらうっす!」
彼は親指で金貨を天高く弾き飛ばした。
クルクルと回転した金貨が、石畳の上に落ちる。
――コロン。
出た目は、無慈悲な『裏』であった。
「……ッッ!!」
その瞬間、フェイトさんの全ステータスが1%にまで激減し、強制的な『寝込みデバフ』が発動した。
「うぅっ……急に、急に猛烈な頭痛と腹痛が……っ。俺、今日はお休みを……いただき……ます……」
フェイトさんは白目を剥いて、そのまま石畳の上にバタリと倒れ込み、完全に戦闘不能と化してしまったのだ。
「あらあら。またお休みですか。後で冷えピタを貼ってあげますね」
私はため息をついた。
前世の限界OL時代にも、繁忙期でトラブルが起きた瞬間に「お腹痛いんで帰ります」と言って逃亡する後輩がいたものだ。こういう時は、残された人間でどうにかするしかない。
魔物の群れが、いよいよ私たちに牙を剥こうと飛びかかってきた。
――その時である。
「……ちょっと、そこの泥臭い獣ども」
低く、しかし恐ろしいほどの『圧』を持った声が響き渡った。
立ち上がったのは、仕上がった美肌を輝かせる芋ジャージ姿の絶世の美少女――人魚姫リーザさんだ。
「私がせっかく、タダ飯とタダ風呂を満喫して、最高の気分で休んでいる時に……大勢で押し掛けてきて、私の時間を『無料』で奪おうっていうんですの?」
ゴゴゴゴゴッ……!
リーザさんの全身から、アイドルの『強欲』と『狂気』のオーラが立ち昇る。
「私のステージ(視界)に入るからには、タダで済むとは思わないことね。……アマネ様!」
「はい、何でしょう?」
「アイドルが歌うには、ステージと照明が必要ですわ!」
彼女の意図を察した私は、限界OLの『イベント設営スキル』を発動し、脳内で【善行ポイント通販】を開いた。
空間から実体化させたのは、【演説用の頑丈なみかん箱(5pt)】と、【充電式ポータブルLEDスポットライト&メガホンマイクセット(15pt)】である。
迷宮の薄暗い最下層に、ピカァッ!と眩いスポットライトの光が灯り、みかん箱の上に立つ芋ジャージの少女を神々しく照らし出した。
「完璧なステージですの! さあ、野良犬ども……私の歌を聴いて、命を置いていきなさい!!」
リーザさんはメガホンマイクを握りしめ、地下迷宮の空気を震わせるほどの美声で、自らの持ち歌を熱唱し始めた。
『五円! 五円! 御縁! 御縁! ハイ!』
『五円! 五円! 御縁! 御縁! ハイ!』
(※どこからともなく、キラキラリーン☆という謎のSEが響く)
『♪銅でもない 銀でもない』
『♪狙い打つのは 真鍮のゴールド!』
『♪穴の向こうに 未来が見える』
『♪覗いてみてよ 私とキミのディスタンス!』
それは、彼女のユニークスキルたる『人魚姫の歌声』。
本来であれば、味方に強力なバフや奇跡を起こす神聖な力だ。しかし、今の彼女の心にあるのは純度100%の「すべてを奪い尽くす」という強欲である。
『♪スーパーのレジじゃ 嫌な顔(ヤメテ!)』
『♪お賽銭箱なら ドヤれるの(神様ー!)』
『♪だったら私の チャット欄』
『♪「お賽銭」って呼んでも いいでしょ?(いいよー!)』
彼女の美声が迷宮に響き渡った瞬間、襲いかかろうとしていた魔物たちの動きが、ピタリと止まった。
魅了されたのではない。
彼女の歌声に乗せられた『強制的な搾取の魔法』に、魂を鷲掴みにされたのだ。
『♪絶対無敵のスパチャアイドル!』
『♪五円が積もれば 山となる!』
『♪御縁をちょーだい キラキラ☆キラリ』
『♪推しの生活 支えてちょーだい!』
「グ、グギャァァァッ……!?」
魔物たちが、恐怖に満ちた悲鳴を上げた。
なんと、彼らの体から、ドロップアイテムである『魔石』や『高級な毛皮』、さらには『極上の肉の部位』などが、物理的にポンポンッと剥がれ落ち、リーザさんの足元の「みかん箱」の周りへと、まるで投げ銭のように吸い込まれていくではないか。
『♪絶対無敵のスパチャアイドル!』
『♪穴の数だけ 幸せあげる!』
『♪五円で繋がる 無限のループ』
『♪ハイ! ハイ! スパチャよろしく!』
「ピギィィィィッ!!(俺たちの命と貯金が吸い取られるぅぅっ!!)」
魔物たちは完全にパニックに陥った。
彼らは、自分たちの身ぐるみ(素材)を強制的に剥がして『貢がせる』という、この芋ジャージの少女の恐るべき宇宙的強欲さに、本能的な死の恐怖を感じたのだ。
結果。
数百匹に及ぶ魔物の大群は、リーザさんに近づくことすらできず、手持ちのドロップアイテムをすべてその場に放り出すと、来た道を猛スピードで逆走し、蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまったのである。
後には、みかん箱の上に立つドヤ顔のリーザさんと、彼女の足元に築かれた『高級素材と魔石の山』だけが残された。
「ふふっ。ご静聴、そしてたくさんの投げ銭、ありがとうございましたの! 次のライブもよろしくねー!」
リーザさんはアイドルスマイルで手を振り、深くお辞儀をした。
「はわわ……! 魔物の大群を、己の歌声(と強欲)だけで完全に撃退してしまいました……! リーザさん、恐ろしい子……っ!」
ヴァルキュリアさんが、剣を構えたまま震える手でメモを取っている。
「まあ、大勢のお客様がいらっしゃったのに、お帰りになってしまいましたわ。でも、たくさんのお土産(素材)を置いていってくれて、親切な方々ですね」
私は、山積みになった高級肉や魔石を空間収納にしまいながら、ホクホク顔で微笑んだ。
限界OLの『イベント機材』と、極貧地下アイドルの『強欲ライブ営業』の奇跡のコラボレーション。
魔人ギアンが放った死のスタンピードは、アマネたちに指一本触れることなく、ただ大量の「貢ぎ物(食材)」を置いて逃げ出すという、完全なギャグ展開で幕を閉じたのであった。
*
【幕間:精神崩壊寸前の悪魔と神】
「…………は?」
神界(GOD)のモニター室。
魔王軍の大悪魔ギアンは、モニターに映る信じられない光景に、完全に言葉を失っていた。
「お、俺の……俺が心血を注いで育て上げた、迷宮の最凶魔物軍団が……。ただのジャージを着た小娘の『歌』を聴いて、自分の魔石を置いて逃げ出した、だと……!?」
「だから言っただろうが!! あいつらの周りには、常識が通用しねぇバグキャラしか集まらねぇんだよ!! なんだあのカツアゲアイドルは!!」
炎上神ワイズが、ついに胃痛の限界を迎えて床を転げ回っている。
「許さん……。絶対に許さんぞ!! 我が迷宮をピクニック会場にした挙句、我が愛すべき部下たちを財布代わりにしおって!!」
ギアンの黒いオーラが、モニター室の壁にヒビを入れるほどに膨れ上がった。
「こうなったら、罠など生ぬるい……! この大悪魔ギアン様が、直接最下層に赴き、奴らの魂をこの手で引き裂いてくれるわ!!」
これ以上のコメディ(屈辱)に耐えきれなくなった魔人が、ついに自ら立ち上がり、アマネたちを抹殺するために動き出した。
しかし、彼らはまだ気づいていなかった。
アマネを地下に落とされたことを知ったルナミス帝国最強の男――オルフェウス大公が、すでに理性を完全に吹き飛ばし、迷宮の上層から『壁という壁をすべて物理で粉砕しながら』、猛スピードで最下層へと直下しているという、最悪の事実を。
本物の絶望(大公の怒り)と、最高のアイドルライブの激突まで、あとわずかであった。
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