EP 5
「追放された夜、最強の親友(麒麟)を拾う」
ルナミス帝国の夜は、ひどく冷え込む。
華やかな軍事祝賀会が開かれている中心街から離れ、居住区の外れへと歩を進めるにつれて、街灯の数はまばらになり、石畳の冷気が足元から這い上がってきた。
けれど、私の体は少しも寒くなかった。
肩からすっぽりと羽織った【善行ポイント通販】の『高機能フリース素材のフード付きマント』が、魔法のように私の体温を逃がさず、ふかふかと包み込んでくれているからだ。
ふと、空を見上げる。
満天の星が、澄み切った夜空に瞬いていた。
前世で限界OLだった頃も、終電を逃して深夜の東京を一人で歩いて帰ることが何度もあった。あの時の夜空は、ビルのネオンと排気ガスに霞んでいて、星なんて一つも見えなかった。ただ「明日も仕事か」「死にたい」という重い絶望だけを引きずって、冷たいアスファルトの上を亡霊のように歩いていた。
それに比べたら、今の私はどうだろう。
家もない、お金もほとんどない、婚約者にも捨てられたホームレス令嬢だ。
それなのに、足取りは羽が生えたように軽く、心には清々しい風が吹いている。自分の意志で歩く夜道が、こんなにも自由で美しいものだったなんて、思いもしなかった。
「さて、今日はこの辺りの広場で野宿かしらね」
居住区の端にある、小さな噴水広場のベンチを見つけ、私は歩みを止めた。マントにくるまれば、一晩くらいなら十分にやり過ごせるだろう。
そう思ってベンチに腰を下ろそうとした、その時だった。
「きゅるるるるるるるぅぅぅぅ……」
静かな広場に、地鳴りのような、すさまじい腹の虫の音が響き渡った。
「えっ?」
驚いて音のした方を見ると、噴水の陰に、小さな影がうずくまっていた。
月明かりに照らし出されたのは、十歳前後だろうか、ボロボロの布切れを纏った少女だった。しかし、その身なりに反して、彼女の髪は星屑を溶かしたように輝く美しい黄金色で、どこか人間離れした、不思議な気配を漂わせていた。
「うぅ……お腹すいた……もう三日、霞しか食べてないよぉ……」
少女はへたり込んだまま、涙目で自分のお腹をさすっている。
私は迷わず、彼女のそばに駆け寄った。
「あなた、大丈夫? こんな夜更けに一人で……」
「あ……お姉ちゃん、誰? ……あ、もしかして、食べ物、持ってる……?」
少女は私の顔を見るなり、すんすんと鼻を鳴らした。どうやら、私の手持ちの鞄から微かに匂いがしたらしい。
とはいえ、私が持っているのは着替えと数冊の手帳だけだ。食べ物など入っていない。
けれど、困り果てている彼女の姿を見て、私は自然と微笑みかけていた。
「少し待っててね」
『チャリン♪』
その瞬間、脳内にあの澄んだ音が響いた。
困っている人に手を差し伸べようとした純粋な意志が、善行としてシステムに検知されたのだ。
私はすかさず【善行ポイント通販】のウィンドウを開いた。昨日までの残りポイントと、今の加算分を合わせれば、十分な食事が買える。
私は迷わず、地球のコンビニの定番である『鮭と梅の温かいおにぎりセット(10pt)』と、身も心も温まる『具だくさんの豚汁(15pt)』を購入した。
ふわりと光が瞬き、私の両手には、湯気を立てるおにぎりと、温かい豚汁の入った容器が現れた。
「はい、これをどうぞ。熱いから気をつけてね」
「えっ!? な、なにこれ! すっごくいい匂い!」
少女の瞳が、星のようにキラキラと輝いた。
彼女は引ったくるようにおにぎりを受け取ると、大きな口を開けてガブリと噛み付いた。
「んんんーーーーっ!! 美味しいっ!! なんだこれ、お米がふっくらしてて、中の赤いのがすっぱくて、でも甘くて……!」
「それは梅干しよ。こっちの豚汁も飲んでみて。お野菜とお肉がたくさん入っているから」
「はふっ、ずずずっ……うわあああ! 体中がポカポカする! 死ぬほど美味しいよぉぉぉ!」
少女は感動のあまり大粒の涙を流しながら、あっという間におにぎりと豚汁を平らげてしまった。
そのあまりの見事な食べっぷりに、私は思わずクスリと笑ってしまった。
「ふふっ。お口の周り、お米がついてるわよ」
「あ、ほんとだ。えへへ」
私がハンカチで彼女の口元を拭ってあげると、少女は嬉しそうに目を細めた。
「お姉ちゃん、ありがとう! 私、リンっていうの! お姉ちゃんは?」
「私はアマネ。アマネ・ヴァイオレットよ」
「アマネお姉ちゃん! 命の恩人だよ! でも、どうしてお姉ちゃんみたいな綺麗で優しそうな人が、こんな夜中に外にいるの?」
リンの無邪気な問いかけに、私は少しだけ視線を落とした。
「……家を、追い出されちゃったの。婚約していた人から『無能だ』って見捨てられてね。でも、全然悲しくないのよ。むしろ、ずっと私を利用して縛り付けていた鎖から解放されて、せいせいしているわ」
「無能? お姉ちゃんが? あんなに美味しいご飯を出せるのに!?」
リンは信じられないといった顔で首をブンブンと振った。
そして、急に立ち上がると、小さな両手を腰に当てて、えっへんと胸を張った。
「その男、絶対に見る目がないバカだよ! アマネお姉ちゃんは、こんなに優しくて、私のために温かいご飯をくれた最高の人だもん!」
リンのその真っ直ぐな言葉が、私の心の奥底にじんわりと染み込んでいった。
前世でも、今世でも、私に近づいてくる人は皆、「私が何をしてくれるか」「どれだけ役に立つか」という打算ばかりだった。
でも、目の前のこの少女は違う。ただ純粋に、私の「優しさ」そのものを肯定し、価値を見出してくれている。
「ふふっ、ありがとう、リン。そんな風に言ってもらえたのは、初めてよ」
「よし、決めた!」
リンは私の手をごわっと両手で握りしめ、満面の笑みを浮かべた。
「アマネお姉ちゃんは、今日から私の『最高のお友達』ね! お姉ちゃんが一人ぼっちなら、私がずっと一緒にいてあげる! お姉ちゃんをいじめる奴がいたら、私が雷で黒焦げにしてやるんだから!」
雷で黒焦げ、という物騒な表現には苦笑したが、その温もりがひどく嬉しかった。
孤独だった私の心に、恋愛とは全く別の、温かで絶対的な「友情」という名の灯りがともった瞬間だった。
私はこの時、まだ知らなかった。
この天真爛漫な少女リンの正体が、アナステシア世界の神々すら畏目をおく幻の第六聖獣『麒麟』であり、これから私が歩む道の最強の守護者となることを。
私たちは夜の冷気の中、フリース素材のマントに二人でくるまり、身を寄せ合ってベンチで眠りについた。
不思議なほど安心感に包まれた、最高に心地よい夜だった。
*
――同じ頃。
夜が明けようとしているルナミス帝国軍の駐屯地では、異様な空気が漂い始めていた。
「……おい、予備の絆創膏はどこだ! 昨日のあれがないと、靴擦れが痛くて訓練に集中できん!」
「厨房の者ですが! 朝食の準備が追いつきません! 昨日の祝賀会で配られたあの『栄養ドリンク』がないと、体が鉛のように重くて……!」
早朝から、兵士や使用人たちの間で混乱が生じていた。
エギルの考案した『二郎系超回復理論』による過酷な訓練。これまでは、アマネが裏でこっそりと地球の胃薬や栄養剤、機能性の高い絆創膏を配って回っていたからこそ、彼らの肉体と精神はギリギリのところで持っていたのだ。
だが、その「裏の支柱」であったアマネは、もうこの屋敷にはいない。
魔法で肉体だけを治癒されても、胃の激痛や神経のすり減りは蓄積していく。限界を超えた兵士たちの顔からは、みるみるうちに覇気が失われていった。
「ええい、朝から騒がしい! 貴様ら、たるんでいるぞ!」
そこへ、何も知らないエギルが不機嫌そうに現れた。
「俺の部隊は帝国最強だ! あの1馬力の無能女を追い出して、部隊の効率はさらに上がるはずだ! さあ、今日も朝から特盛りの豚神屋ラーメンを食らい、闘気を高めるのだ!」
エギルの怒声に、兵士たちの顔が絶望に染まる。
有能な指導者を気取っているエギルは、自分の足元がすでに音を立てて崩れ始めていることに、まだ全く気づいていなかった。
*
そして、夜が明けた居住区の外れ。
朝日が差し込む中、噴水広場のベンチで眠る私とリンの前に、一台の豪奢な馬車が静かに停車した。
車体に刻まれているのは、帝国軍の最上位を示す『漆黒の剣と月』の紋章。
馬車の扉が開き、そこから降り立ったのは、深い夜闇のような瞳と、圧倒的な覇気を纏う長身の男だった。
「……こんな所で、何をしている」
その低く響く声が、私の新しい運命の幕開けを告げようとしていた。
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