EP 2
「施しは受けないアイドルと、限界OLの朝食」
「ええと……つまりあなたは、海中国家シーランから来た人魚姫であり、親善大使でありながら、現在はルナミス帝国の地下アイドルとして活動している、リーザさん……ということでよろしいですか?」
薄暗く、冷たい空気が漂う地下迷宮の最下層。
私は、さっきまで下水溝に向かって「キャベツの芯があぁぁっ!」と号泣していた絶世の美少女(芋ジャージ姿)に、持っていたハンカチを差し出しながら尋ねた。
「グスッ……はい、そうですの。ルナミスデパートの特売で買ったこのジャージを見れば、私がただのモブではないと分かるはずですわ」
リーザさんは鼻をかみながら、胸を張った。ジャージの胸元にはデカデカと『芋』という謎の刺繍が入っている。ツッコミどころしかなかった。
「ていうかよ、お前みたいな立派な身分の姫様が、なんで大公邸の裏口で野良犬とキャベツの芯を奪い合ってたんだよ?」
フェイトさんが、呆れたように頭を掻きながら尋ねる。
「決まっていますわ! 大公邸のようなお金持ちのお屋敷のゴミ捨て場には、栄養満点の高級野菜の切れ端が捨てられているからですの! 今日も野良犬のタロウと激しい死闘を繰り広げて、ようやくキャベツの芯を勝ち取ったと思った瞬間に、足元に穴が開いて……っ!」
思い出したのか、リーザさんは再び両手で顔を覆って泣き崩れてしまった。
話を聞く限り、彼女はキャルルちゃん(自称・光の聖女)のシェアハウス仲間らしく、極限のポイ活とサバイバル生活を送りながら、自前の『みかん箱』の上で歌を歌う地下アイドルをしているらしい。
ギュルルルルルゥゥゥゥッ……!
その時、リーザさんのお腹から、地響きのような豪快な音が鳴り響いた。
彼女は顔を真っ赤にして、慌ててお腹を押さえる。
「リーザさん、お腹が空いているのでしょう。もしよければ、私のご飯を少し分けてあげますよ」
私が微笑んで提案すると、リーザさんはビクッと肩を震わせ、そして、なぜかキリッとした表情を作って首を横に振った。
「い、いいえ! 結構ですの! 私は気高きアイドル! 施しなんか絶対に受けませんわ! ファンの方からの正当な貢ぎ物以外で、見ず知らずの方からご飯を恵んでもらうなんて、アイドルのプライドが許しませんの!」
そう言うと、彼女はジャージのポケットをごそごそと探り、クシャクシャになったビニール袋を取り出した。
「私には、この『パンの耳』と『茹で卵』という、完璧なフルコースがありますから! 全くお腹なんて空いていませんわ!」
リーザさんは意地を張って、カチカチに乾燥したパンの耳を齧り始めた。モソモソと飲み込みづらそうにしているその姿は、見ているこちらが胸を締め付けられるほど不憫だった。
(……ああ。なんか、思い出すわね)
私は前世の記憶をよみがえらせていた。
ブラック企業に入社してきたばかりの、一人暮らしの新入社員。実家に頼ることもできず、給料日前になると「私、全然お腹空いてないんで!」と強がりながら、給湯室でこっそり具なしのカップラーメンをすすっていた後輩の姿を。
あんなに意地を張っている子に、「恵んであげる」という態度は一番傷をつける。
限界OLとして後輩の世話を焼き続けてきた私の『包容力』が、ここで黙っているはずがなかった。
「……そうですか。でも、こんな薄暗くて寒い場所では、少し温かいものが食べたくなりませんか? 私はちょうど、朝食の準備をするところだったんです」
私は脳内で【善行ポイント通販】のウィンドウを開いた。
空間から実体化させたのは、地球の高級ホテルで出される【極上・厚切りフレンチトースト(15pt)】と、【淹れたてのダージリンティー(5pt)】だ。
フタを開けた瞬間。
たっぷりの卵液とミルクを吸い込んで黄金色に焼き上げられた、分厚いフレンチトーストから、芳醇なバターとバニラの香りが爆発的に広がった。さらに、その上に惜しげもなくかけられたメープルシロップの甘い香りが、ジメジメとした地下迷宮の冷気を一瞬にして「高級ホテルの朝のテラス」へと塗り替えていく。
「な、なんだこの甘くて暴力的な匂いは……ッ!」
フェイトさんがゴクリと喉を鳴らした。
「はわわ……! 神の国のパンケーキよりも輝いています……っ!」
ヴァルキュリアさんも目を輝かせる。
「美味しそうに焼けました。私は少し小食なので、全部は食べきれないかもしれませんわ。……リーザさん、もしパンの耳に飽きたら、私の『食べ残し』を手伝っていただけませんか?」
私は、ナイフでフワッフワのフレンチトーストを切り分け、そこから湯気が立ち昇るのを見せつけるように、リーザさんの方へと差し出した。
「……ッ!!」
リーザさんの瞳孔が、極限まで見開かれた。
アイドルのプライドか。それとも、極限の空腹か。
彼女の脳内で繰り広げられた壮絶な葛藤は――わずか0.1秒で決着がついた。
「食べますぅぅっ!! 手伝いますぅぅっ!!」
リーザさんはパンの耳を放り投げ、猛烈な勢いでフレンチトーストに飛びついた。
「んん〜〜ッ!!」
一口食べた瞬間、彼女の目から滝のように涙が噴き出した。
「美味しいっ……! 外はカリッとしているのに、中はプリンみたいにトロトロで……ッ! バターのしょっぱさと、この甘い蜜が口の中でとろけ合って……ああっ、生きてて良かったぁぁぁっ!!」
彼女は、もはや自分がアイドルであることも忘れ、お皿についたメープルシロップまで舐め回す勢いで、あっという間に平らげてしまった。
「ふふっ、お粗末様でした」
私が微笑みながらダージリンティーを手渡すと、リーザさんはそれをごくりと飲み干し、その場で私に向かって深々と、あまりにも見事な『土下座』を決めた。
「アマネ様……! いえ、私の最高のパトロン(ダーリン)!! このご恩は一生忘れませんわ! 私の胃袋は、今この瞬間からアマネ様のものですの!!」
完全に餌付け(掌握)が完了した瞬間であった。
「……相変わらずお嬢の飯は、どんな人間のプライドも秒で粉砕する劇物っすね……」
フェイトさんがドン引きしながら呟いている。
「アマネ様! この極上の朝食のお礼に、私が最高のステージを披露しますわ!」
リーザさんはガバッと顔を上げると、ジャージのポケットから『五円玉』を取り出し、おもむろに自分の鼻の穴にギュッと詰めた。
「えっ……リーザさん? 何を……」
「ミュージック、スタートですの!」
地下迷宮の最下層に、リーザさんの高らかな(そして少し鼻にかかった)美声が響き渡り始めた。
『♪た、た、たぬきのお腹は ポンポコポンポン!』
彼女は、ジャージの腹をまくり上げ、自分のお腹をポンポコと叩きながら満面の笑みで踊り出した。
『♪月よ~月で~頭は ハーゲハゲでピーカピカ~』
『♪お尻はツールツル~ ターマターマはマ〜ルマル~!』
「(ソレ! ヨイヨイ!)」←自分で合いの手を入れている。
「……」
私とフェイトさんとヴァルキュリアさんは、完全に言葉を失っていた。
「あはははっ! 面白いお歌ー! たぬきさんのお歌だー!」
リンだけが、キャッキャと笑って手を叩いている。
絶世の美少女(人魚姫)が、芋ジャージ姿で鼻に五円玉を詰め、お腹を叩きながら下ネタスレスレの宴会芸『ハゲたぬきのポンポコ節』を全力で歌い踊っているのだ。
その光景は、もはやシュールという言葉すら生ぬるい、完全なカオス空間だった。
*
【幕間:絶望を期待した悪役たちの困惑】
「……おい、ワイズ。これは一体どういうことだ」
神界(GOD)のモニター室で、炎上神ワイズの横に浮かぶ巨大な黒い影――魔王軍の大悪魔『魔人ギアン』が、低くドスの効いた声で唸った。
彼らが用意したのは、ルナミス帝国地下に広がる『絶対脱出不可能・死の迷宮』である。
暗闇と冷気に包まれ、絶望と恐怖で泣き叫ぶ令嬢たちの姿を、ゴッドチューブで生配信し、視聴者を恐怖のどん底に突き落とすはずだったのだ。
しかし、モニターに映し出されているのは。
『♪み~んな合わせて 腹太鼓~! ポンポコ ピーヒャラ テーンツルリン!』
高級ホテルのようなバターとメープルシロップの匂い(映像からでも伝わってくる多幸感)の中で、絶世の美少女が鼻に五円玉を詰めて宴会芸を披露し、一行がのんびりとティータイムを楽しんでいるという、謎のコメディ映像であった。
「な、なんでだ!? なんであいつら、俺の死の迷宮に落ちて、朝から優雅にフレンチトーストなんか食ってんだよ!! しかもなんだあのジャージの女は! どこから湧いて出た!?」
ワイズは頭を抱えて絶叫した。
「ええい、舐めおって! ならば、我が迷宮に仕掛けられた『飢餓の呪い』を最大出力で起動してやる! 奴らの空腹感を100倍に膨れ上がらせ、共食いするほどの飢えの苦しみを与えてやろうぞ!!」
魔人ギアンが、目を真っ赤に光らせて呪いの波動を迷宮全体へと放った。
極悪非道なダンジョンの真の恐怖が、いよいよアマネたちに襲いかかろうとしている。
しかし彼らは、まだ理解していなかった。
極限のポイ活サバイバーであるリーザと、地球のチート級通販システムを持つアマネにとって、『空腹』などというものは、次なる『美味しいタダ飯』をさらに極上に引き立てるための、最高のスパイス(前菜)でしかないということを。
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