EP 10
「最高のブラック職場と、地下迷宮の足音」
ポポロ村の広場で開かれた、青空の下の絶品バーベキュー大会。
地球の『最高級A5ランク黒毛和牛』と『秘伝・黄金の焼肉のタレ』がもたらした圧倒的な暴力(旨味)により、大公邸の最強メンバーたちは皆、完全に満腹と幸福の底へと沈んでいた。
「……ふぅ。食った、食ったっす……。もう腹の皮がはち切れそうっす……」
A級冒険者にして、今日から私の専属護衛となった青年フェイト・ラックは、広場の芝生の上に大の字になって寝転がり、膨らんだお腹をさすっていた。
その顔は、ギャンブル中毒特有のソワソワした気配が完全に抜け落ち、仏のように穏やかで満たされた表情になっている。
(……冷静に考えてみれば、この職場、完全にイカれてるっすよ)
フェイトは、青空を流れる雲を見つめながら、今日一日の出来事を振り返っていた。
月給30万円という破格の条件に釣られて「お買い物のお供」という気楽な護衛を引き受けたはずだった。
しかし蓋を開けてみれば、上司(オルフェウス大公)は常に絶対零度の殺気を放ち、少しでもサボれば物理的に首が飛ぶプレッシャーを与えてくる。
同僚(?)には、天界の監査官や、電撃マッサージで強制労働させてくる第六聖獣がいる。
おまけに初日から、勇者を名乗る狂人に『ホーリー・バースト』で広範囲殲滅されかけ、魔王軍の合成獣と戦う(結果的に風圧で吹き飛ばしただけだが)羽目になったのだ。
(仕事の危険度で言えば、完全に超絶ブラック企業っす。S級クエスト並みのリスクがゴロゴロ転がってる。……でも)
フェイトは、空になった土鍋ご飯の釜と、焼肉のタレの空き瓶に視線を移した。
(――福利厚生が、神の領域を超えてやがる……ッ!)
朝の『厚切り牛タン弁当』で完全に胃袋を掴まれ、昼の『ポポロ・カフェラテ』で心を癒やされ、とどめの『A5ランク焼肉オンザライス』で、フェイトの脳内ドーパミンは完全にアマネの料理の虜になっていた。
もう、冒険者ギルドのパサパサの黒パンと干し肉には、絶対に、何があっても戻れない。
「……アマネお嬢」
「はい? どうかしましたか、フェイトさん」
グリルを片付けていた私が振り返ると、フェイトは芝生からガバッと起き上がり、その場で綺麗な土下座(スライディング土下座)を決めた。
「俺、心を入れ替えます! もうサボるためにコイントスしたり、親戚の犬を殺したり(嘘の言い訳で)しません! だから、これからも俺を護衛として……いや、お嬢の専属の『犬』として、美味しいご飯を食べさせてくださいっす!!」
「えっ、い、犬だなんて……フェイトさんは立派なA級冒険者じゃないですか」
私は苦笑いしながら彼を立たせた。
前世で限界OLをしていた時も、「もう会社辞めます!」と泣き言を言っていた後輩に美味しい焼肉を奢ったら、翌日から「先輩に一生ついていきます!」と忠犬のように変わったことがあった。
男の人の忠誠心は、いつの時代も、どの世界でも、最終的には『胃袋』に行き着くものなのかもしれない。
「いい心がけだ、フェイト。君がその言葉通りに働き、アマネの盾となるなら、私も君の存在を容認しよう」
オルフェウス様が、私を背後から優しく抱きすくめながら、フェイトに向かって王者の威圧感を放った。
「ヒィッ! もちろんっす! 大公閣下の邪魔は絶対にしないっすから!」
フェイトはピシッと敬礼し、ものすごい速さで荷物をまとめ始めた。
こうして、大公邸に新たな『最高のポンコツジョーカー』が正式に加わり、ポポロ村の騒動は平和な結末を迎えたのであった。
その日の夕暮れ。
私たちは、オルフェウス様が乗ってきた巨大な漆黒の飛竜の背に設けられた、貴賓用のゴンドラに乗って、ルナミス帝国の帝都へと帰路についていた。
「お姉ちゃん、お肉美味しかったね……むにゃむにゃ……」
リンは、遊び疲れて私の膝の上で丸くなり、スヤスヤと寝息を立てている。
ヴァルキュリアさんも天界へと帰還し、フェイトさんは「俺は高所恐怖症なんで!」と、別の馬車で荷物と一緒にのんびり帰ることになったため、ゴンドラの中は実質的に、私とオルフェウス様の二人きりの空間だった。
「……少し、肌寒くなってきたな」
オルフェウス様は、自分の肩にかけていた軍服の厚い外套を外し、私とリンを包み込むようにそっとかけてくれた。
そして、私の隣に腰を下ろし、その大きな手で私の肩を抱き寄せる。
「ありがとうございます、オルフェウス様。……今日は、お仕事を放り出してまで助けに来てくださって、本当に嬉しかったです」
「当たり前だ。君は私のすべてだ。世界がどうなろうと、君の安全以上に優先すべき事象など、この世には存在しない」
彼の深い紫の瞳が、夕焼けの光に照らされて優しく、そして情熱的に煌めいている。
前世の私は、誰からも必要とされず、コンビニの袋を提げて暗いアパートに帰るだけの、孤独な歯車だった。
「お前の代わりなんていくらでもいる」と言われ続けた私が、今、この異世界で、帝国最強の男から「君がすべてだ」と溺愛されている。
「……私、本当に幸せです。オルフェウス様や、リンや、みんながいてくれて。美味しいご飯を、美味しいねって笑い合いながら食べられるこの生活が、大好きですわ」
私が微笑んで彼の肩に頭を預けると、彼は私の髪を愛おしそうに撫で、そのこめかみに熱い口づけを落とした。
「君のその無意識の優しさと、見返りを求めない強さが、私や周囲の人間を惹きつけてやまないのだ。……早く、君を正式な私の妻として、誰の手も届かない場所で甘やかしたいよ」
「ふふっ……私も、その日が待ち遠しいです」
飛竜が雲を抜け、眼下に美しいルナミス帝国の街並みが広がる。
誰も蹴落とさず、ただ思いやり(と通販アイテム)を手渡すだけで、私の周りはいつも、こんなにも温かくて優しい世界になっていく。
偽勇者のヤラセ炎上騒動を乗り越え、私たちの絆は、より一層深く、確かなものになっていた。
――しかし。
光が強ければ強いほど、その裏で蠢く闇もまた、深く、狡猾になっていく。
【幕間:炎上神の執念と、地下迷宮の覚醒】
「アアアアアッ……!! 許さねぇ……絶対に許さねぇぞ、アマネェェッ!!」
神界(GOD)の薄暗いモニター室。
炎上神ワイズは、完全に発狂していた。
彼が手塩にかけて育てた『ヤラセ特化型勇者ゼロス』のアカウントは永久凍結(BAN)され、彼自身の神としての評価は過去最低にまで暴落していた。
「俺の完璧な炎上台本を、あんなギャグみたいな方法で粉砕しやがって……! この俺に泥を塗った代償は、たっぷりと払わせるからな……っ!」
ワイズは血走った目でエンジェルすまーとふぉんを操作し、ルナミス帝国の地下深くに広がる『未踏破領域』の地図をモニターに映し出した。
「……聞こえるか。古の時代より帝国地下に封印されし、魔王軍の残党にして大悪魔、『魔人ギアン』よ」
ワイズが呼びかけると、モニターのノイズの中から、血のように赤い二つの眼光が浮かび上がった。
『……クックックッ。よもや天界の神から通信が入るとはな。何の用だ、小僧?』
「俺と手を組め。お前の封印を解くための『鍵(神の力)』をくれてやる。その代わり……ルナミス帝国の地下に広がるあの巨大な【地下迷宮】を活性化させ、あの目障りな大公とアマネを地の底へと引きずり込め!」
ワイズの口角が、邪悪な三日月の形に歪む。
「大公の力をもってしても、あの地下迷宮の無限に湧き出る魔物と、最下層の呪いの瘴気には耐えられまい。そこで飢えと恐怖に怯え、絶望するあいつらの姿を、俺のチャンネルで独占生配信してやるんだ!」
『……ふはははっ! 面白い! 我が迷宮の『死のトラップ』と『飢餓の呪い』で、あの小娘の絶望に歪む顔を拝んでやろうではないか!』
炎上神と大悪魔。
二つの邪悪な意思が結託し、帝国を揺るがす恐るべき『地下迷宮の罠』が、静かにその口を開こうとしていた。
彼らは、迷宮の奥深くでアマネが「飢えと恐怖」に怯えることを確信して高笑いしている。
だが、彼らはまだ全く学習していなかった。
限界OLであるアマネにとって、未知の植物や魔物が生息するダンジョンなど、『無料で高級食材が採り放題の、極上グランピング施設(巨大農園)』にしか過ぎないという、絶望的な事実を。
大公邸のメンバーたちが挑む、前代未聞の『地下迷宮ピクニック&開拓編』の幕が、今、静かに上がろうとしていた。
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