EP 5
「ゼロスの凶行と、強制出勤のフェイト」
『え? なにこれ。魔獣がお嬢さんに懐いてない?』
『なんか、魚の匂いがする細長いおやつあげてるぞ……』
『ゼロス様、早くあの魔獣を倒して村の人たちを助けて!』
生配信のホログラム画面に流れるコメントが、称賛から困惑へと変わり始めていた。
勇者ゼロス・ディバインは、完璧にセットされた前髪の奥で、ギリッと奥歯を噛み締めた。
(ふざけるな……! 炎上神ワイズ様が用意してくれた『絶望のヤラセ舞台』が、あの得体の知れない令嬢のせいで台無しじゃねえか!)
ゼロスは本来、魔獣に苦戦するフリをして視聴者の不安を煽り、スパチャ(課金)を大量に集めてから一気に逆転する予定だった。
しかし、アマネの取り出した【高級ペット用・極上チュール】によって、凶悪なはずの三つ首のケルベロス亜種は、完全に牙を抜かれた子犬と化してしまったのだ。これでは、ピンチも悲劇も生まれない。
(このままじゃ、俺の茶番がバレる。それだけは絶対に避けなきゃならねぇ……!)
ゼロスの頭の中で、どす黒い打算が高速で回転し始めた。
彼は、自分を追従している『魔導ドローンカメラ』の位置を、目配せと微弱な魔法で密かに操作した。カメラの画角を、アマネと魔獣がギリギリ画面の端に映る『死角の一歩手前』へとずらす。
そして、カメラに向かって、真に迫った悲痛な表情を作ってみせた。
「ああっ! なんてことだ! 魔獣が狂乱状態に陥って、あのお嬢さんを食い殺そうとしている! 俺が……俺の全魔力を解放してでも、あの魔獣を浄化しなければっ!」
『えっ!? あの魔獣、おやつ食べてるだけじゃないの!?』
『ゼロス様、待って! その魔法の威力だと、お嬢さんまで巻き込まれちゃう!』
視聴者からの制止のコメントを、ゼロスは意図的に無視した。
(クククッ……! そうだ。あの魔獣もろとも、あの邪魔な令嬢を跡形もなく消し飛ばしてやる。そうすれば『魔獣が急に自爆した』だの『俺は助けられなかった悲劇の勇者』だの、後でいくらでも言い訳が立つ。悲劇のヒロインの死を悼んで涙を流せば、同情のスパチャが山ほど集まるぜ!)
ゼロスは聖なるミスリルソードに、彼のユニークスキル【マネー】で集めた課金の力を極限まで注ぎ込んだ。
剣の刀身が、禍々しいほどの熱と光を放ち始める。
それは、魔獣だけでなく、その場にいるアマネたちをも完全に蒸発させる、容赦のない広範囲殲滅魔法『ホーリー・バースト』の輝きだった。
*
「ふふっ、本当に美味しそうに食べるわね。はい、最後の一本よ」
私は、ゼロスのどす黒い殺気になど全く気づかず、三つ首の魔獣にチュールを与え続けていた。
前世で限界OLだった頃、休日に猫カフェで猫にチュールをあげる時だけが、私の心が安らぐ瞬間だった。そのテクニックが、まさか異世界の合成獣にまで通用するとは驚きだ。
「はわわ……なんと素晴らしい光景でしょう。あの凶悪な魔王軍の合成獣が、アマネさんの慈愛に触れて完全な無害化(浄化)を果たすとは。やはりアマネさんは、天界の調教師すら超える女神の器……!」
ヴァルキュリアさんが両手を組み合わせ、感動の涙を流してメモを取っている。
「お姉ちゃん、おっきなワンちゃん、お腹見せてるよ!」
リンも魔獣のモフモフのお腹を撫でてキャッキャと笑っていた。
――しかし。
私たちの中で、ただ一人だけ、この広場に渦巻く『異常な殺気』に気づいている男がいた。
私の荷物を両手いっぱいに抱え、欠伸を噛み殺していたA級冒険者、フェイト・ラックだ。
(……マジかよ、あのクソ勇者。完全にイカれてやがる)
フェイトは、鋭いタレ目を細め、ゼロスの振り上げた剣から放たれる殺気を正確に読み取っていた。
(あいつ、カメラの死角を利用して、アマネお嬢たちごとあの魔獣を吹き飛ばす気だ。あの威力の魔法が直撃したら、いくら聖獣のガキ(リン)がいようと、お嬢はタダじゃ済まねぇぞ)
A級冒険者であるフェイトが、普通に剣を抜いて立ち向かえば、ゼロスの魔法発動を止めることくらい造作もないはずだ。
しかし、彼は根っからのギャンブル中毒者であり、「普通に戦うこと」を何よりも嫌うダメ人間である。
(い、いや待てよ……。俺の今の給料は『お買い物の荷物持ち』だ。魔王軍の合成獣とヤラセ勇者の必殺技を防ぐなんて、完全に契約外の労働だろ!? ここは急に腹が痛くなったフリをして、物陰に隠れて――)
フェイトの脳内で、クズな生存本能が囁きかける。
彼は荷物をそっと地面に置き、ソロリソロリと後ずさりを始めた。
だが、大公邸の最強のジョーカーが逃亡を企てたその瞬間。
「フェイトのお兄ちゃん! お姉ちゃんが危ないから、しっかりお仕事がんばってね! エイッ!」
背後から、リンが満面の笑みで、フェイトの腰にドスンッ! と小さな拳を叩き込んだ。
ただの子供のパンチではない。彼女は第六聖獣『麒麟』の化身体。
その拳には、疲労回復と細胞活性化を促す(という名目の)、強烈な雷の闘気(電撃マッサージ)が込められていた。
「ぎゃああああぁぁぁっ!?」
バチバチバチッ!!
フェイトの全身に、致死量スレスレの雷の闘気が駆け巡った。
サボろうとしていた彼のクズな意思は完全に消し飛び、強制的に全細胞が最高潮(MAX)に活性化されてしまう。
「あばばばばっ……! あ、アマネお嬢からの恩(冷えピタと弁当)を仇で返すわけにはいかねぇぇっ!」
フェイトは感電してガクガクと痙攣しながらも、反射的に腰のミスリルソードを引き抜いた。
そして、空いた左手の親指で、彼の運命を司る『金貨』を弾き飛ばす態勢に入った。
(俺は普通には戦わねぇ! ここでコイントスを決めて『表』を出し、俺が伝説のヒーローになってやるっす!)
彼が親指に力を込めた瞬間、ゼロスの口角が吊り上がり、必殺の魔法剣がアマネたちに向かって無慈悲に振り下ろされた。
「消えちまえ、モブどもがぁっ!! 悲劇のヒロインの死に、涙を流そうぜ!!」
『【ホーリー・バースト】ッ!!』
圧倒的な光と熱の奔流が、カメラの画角のギリギリ外側から、私たちを飲み込もうと襲いかかってくる。
「ソイヤァァァッ!!」
フェイトの叫びと共に、運命の金貨が天高く弾き飛ばされた。
表(能力2倍)が出れば、彼はヒーローになれる。
裏(体調不良)が出れば、彼はそのまま寝込み、アマネたちもろとも吹き飛ばされる。
クルクルと空中で黄金の軌跡を描きながら、金貨が地面に向かって落ちていく。
時間が、まるでスローモーションのように引き伸ばされて感じられた。
生か死か。英雄かクズか。
ギャンブル中毒の護衛が放った、一世一代の大勝負の行方は――。
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