EP 2
「大公の絶対的殺気と、アマネの餌付け」
翌朝。ルナミス帝国の空は、抜けるような青空が広がっていた。
大公邸の壮麗なエントランスの前に、一人の青年が直立不動で立っている。
「今日こそは……今日こそは真面目に働くっす。俺はA級冒険者、月給30万円のスーパーエリート護衛なんだから……」
フェイト・ラックは、昨日の「冷えピタ」と「経口補水液」による完璧な看病の記憶を噛み締めながら、ブルリと身震いをした。
雇用主であるアマネお嬢の、あの怒りも呆れもない、ただただ深いOLの包容力。あれは逆に、ダメ人間の良心を容赦なく抉ってくる劇物だった。
「でも……護衛の立ち仕事って、暇っすね……」
開始からわずか三十分。フェイトの指先が、無意識のうちにポケットの中の『運命の金貨』をいじり始めていた。
「いや、ちょっと待てよ? ここでコイントスをして『表(能力2倍)』を出しておけば、いざという時にアマネお嬢を完璧に守れるんじゃないか? そうだ、これは仕事のためのコイントスだ! 俺ってば超真面目!」
ギャンブル中毒者特有の、見事なまでの責任転嫁ロジックである。
フェイトはニヤァッと笑うと、金貨を親指でピンッ! と天高く弾き飛ばした。
「さあ、来い! 黄金の表ェェッ!!」
――しかし。
空中で回転し、落ちてきたその金貨を、横からスッと伸びてきた『漆黒の革手袋に包まれた大きな手』が、ガシィッ! と空中で掴み取ったのだ。
「……ほう。勤務中にギャンブルとは、ずいぶんと余裕だな」
フェイトの背筋に、氷の刃を突き立てられたような悪寒が走った。
ギギギ……と錆びた機械のように首を向けると、そこには、漆黒の軍服の上に外套を羽織った、帝国最強の男――オルフェウス大公が立っていた。
「ひぃっ!? た、大公閣下!?」
「君が、アマネが新たに雇ったという護衛だな。A級冒険者だと聞いているが……随分と軽薄な男に見える」
ゴゴゴゴゴッ……!
オルフェウス様から放たれる、絶対零度の殺気と、覇王の闘気。
百戦錬磨の魔族の将軍すら震え上がるその威圧感を至近距離で浴び、フェイトは顔面を土気色にしてガチガチと歯を鳴らした。
「私の妻(予定)の背中を任せるのだ。もしも彼女の美しい髪の毛一本にでも傷がついたり、君が任務を放棄するようなことがあれば……この金貨のように、君の首を握り潰すぞ」
「ヒィィィィィッ!? は、働きまぁぁぁぁっす!! 命に代えてもお守りしやすぅぅっ!!」
恐怖が限界を突破した瞬間、フェイトの中で『生存本能』が爆発した。
彼は一瞬にして目の色を変え、足のスタンスを肩幅に開き、腰のミスリルソードの柄に手を添える「完璧な警戒態勢(A級の構え)」へと移行したのだ。
その身のこなしには一切の隙がなく、闘気が静かに、しかし研ぎ澄まされた刃のように全身を覆っている。
「……ふん。構えだけは、一丁前だな。せいぜい精進することだ」
オルフェウス様はフェイトから手を離すと、満足げに鼻を鳴らして馬車へと乗り込み、軍務へと向かっていった。
*
「フェイトさん、おはようございます」
「フェイトのお兄ちゃん、おはよー!」
大公が出立してしばらく後。私とリンがエントランスに出てくると、フェイトさんは信じられないほど真剣な顔つきで、周囲を鋭く警戒していた。
「あ、アマネお嬢、リンちゃん……! おはようございまっす! 本日も異常なしっす!」
「まあ、随分と気合いが入っていますね。ワンちゃんの悲しみはもう癒えましたか?」
「はいっ! ワン公の分まで、俺は命を燃やして働くっす!」
彼がなぜ急に真面目になったのかは分からないが(大方、オルフェウス様に睨まれたのだろう)、一生懸命働いてくれるのは雇用主として嬉しいことだ。
「朝からずっと立ちっぱなしで疲れたでしょう。お出かけの前に、少し早いですがお弁当にしましょうか」
私は脳内で【善行ポイント通販】を開いた。
選んだのは、地球の『特上・厚切り牛タン弁当(20pt)』だ。炭火で香ばしく焼き上げられた分厚い牛タンに、特製のねぎ塩レモンダレがたっぷりとかかっている、スタミナ満点の極上弁当である。
「はい、フェイトさん。たくさん食べて、元気をつけてくださいね」
「えっ……お、俺なんかに、こんな美味そうな弁当を!?」
フェイトさんは震える手で弁当箱を受け取り、まだ温かい厚切り牛タンを一切れ、口に放り込んだ。
ザクッ! ジュワァァッ!
「――っっ!?」
フェイトさんの目が、これ以上ないほどに見開かれた。
「な、なんだこの肉は!? 歯を押し返すような凄まじい弾力なのに、サクッと噛み切れる! そして噛めば噛むほど、濃厚な旨味と肉汁が溢れ出してくるっす!」
彼は無我夢中で、ねぎ塩ダレが絡んだ麦飯をかき込んだ。
「このしょっぱくて酸味のあるタレが、油の甘さを完璧に引き立ててる! 冒険者の保存食なんかとは比べ物にならねぇ! う、美味すぎるぅぅっ!」
涙を流しながら弁当を平らげるフェイトさんを見て、私はクスッと笑った。
前世で限界OLだった頃、激務で疲弊した後輩にご飯を奢ってあげると、みんなこういう顔をしてくれたものだ。胃袋を満たしてあげることは、最高の人材掌握術なのである。
「……大公閣下の殺気はマジでちびりそうになるくらい恐ろしいけど、アマネお嬢の飯は神の領域っす。俺、絶対にこの職場辞めねぇっす!」
フェイトさんは空になった弁当箱を抱きしめながら、忠誠(というより食欲への隷属)を誓うのだった。
*
【幕間:天界のモニター室と、炎上勇者への指令】
「チッ。なんだあのダサい護衛は。どうせなら大公に八つ裂きにされれば、良いPVが稼げたっていうのによ」
神界(GOD)の薄暗いモニター室。
炎上神ワイズは、エンジェルすまーとふぉんの画面に映るフェイトの姿を見て、不満げに舌打ちをした。
アマネの周囲には、いつも穏やかな日常か、敵のギャグのような自滅しか起きない。そんな「平和な動画」は、過激な炎上を好むワイズにとっては耐え難い苦痛だった。
「おい、ゼロス。聞こえるか」
ワイズが通信を繋ぐと、画面に一人の青年の姿が映し出された。
『はいはい、ワイズ様。呼び出しっすか?』
彼こそが、ワイズの契約者である勇者・ゼロス・ディバイン。
ピカピカに磨かれた『聖なる鎧』と『ミスリルソード』を装備しているが、その実態は、ユニークスキル【マネー】――課金すればするほどステータスが跳ね上がるという能力に依存した、ハリボテの偽英雄だ。
彼はカメラの死角で、ルナミス帝国でも高級品である『ポポロ・シガー』をふかしながら、下劣な笑みを浮かべていた。
「次の配信の舞台を用意してやったぜ。ルナミス帝国の開拓村、『ポポロ村』だ」
ワイズは、ニヤリと悪辣な笑みを浮かべた。
「今日、あの村では大規模な『収穫祭』が開かれている。人がたくさん集まっている最高の舞台だ。俺が裏ルートで、魔王軍の凶悪な魔獣(仕込み)を数体手配してやった」
『なるほど。そいつらに村を襲わせて、絶望のどん底に落ちた村人たちの前に、俺が颯爽と現れるってわけっすね?』
「そうだ。魔獣にわざと苦戦するフリをして、視聴者の不安を煽れ。スパチャ(課金)が十分に集まったら、その金でスキルを発動して一気に逆転しろ! 『絶望からの大逆転』――これでゴッドチューブのランキング1位は確実だ!」
『クククッ……お安い御用っすよ。俺の完璧な(整形で作り上げた)笑顔と剣さばきで、馬鹿な視聴者から金を搾り取ってやりますよ』
ゼロスはポポロ・シガーを無造作に地面にポイ捨てすると、カメラのスイッチを入れる直前に、口臭スプレーをシュッシュッと吹きかけた。
そして、スイッチが入った瞬間、彼は『清廉潔白な聖人君子』の顔へと一変した。
『さあ、行こうか! 人々の笑顔を守るために!』
ヤラセと金にまみれた偽りの勇者が、平和なポポロ村へと牙を剥く。
しかし彼らはまだ知らない。
そのポポロ村の収穫祭に、アマネ一行と、謎の罪悪感でA級のポテンシャルを漲らせた『ギャンブル中毒の護衛』が向かっているという事実を。
誰も予想しなかった「伝説の放送事故」の幕開けが、すぐそこまで迫っていた。
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