EP 8
「塩対応で『ずっ友』解除! 悪徳商人の末路」
魔皇国闘技場のVIPルームに、心地よい疲労と高揚感を纏ったオルフェウス様が帰還した。
漆黒の軍服には微かに土埃がついているが、それすらも彼の圧倒的な覇気と色気を引き立てる装飾品のように見える。
「オルフェウス様、お疲れ様でした! 本当に、素晴らしい騎乗でしたわ」
私が駆け寄ってタオルを差し出すと、彼は愛おしそうに目を細めてそれを受け取った。
「君の応援が届いていたからな。それに、君がシュバルツに与えてくれたあの美味いニンジンのおかげで、最高の走りができた。感謝するよ、アマネ」
「お兄ちゃん、ぶっちぎりの1位、すっごくかっこよかったよ!」
「ええ! 大公閣下の雄姿、まるで天界の神話に描かれる軍神のようでした!」
リンとヴァルキュリアさんも興奮冷めやらぬ様子で拍手喝采を送る。
「……見事だった、大公閣下。我が魔皇国の完敗だ」
ルーベンス将軍も立ち上がり、軍人としての敬意を込めてオルフェウス様に頭を下げた。エース騎手の駆け落ちや、エリート騎手たちの幼児退行(お祈りパニック)という不測の事態があったとはいえ、オルフェウス様の実力が圧倒的だったことは誰の目にも明らかだった。
誰もが健闘を称え合い、穏やかな空気が流れていた、その時だった。
「待て待て待てぇーーっ!! 私はこのレースの結果を断じて認めんぞ!!」
バンッ! と乱暴にVIPルームの扉が開かれ、血走った目をしたゴルド商会(の支部)の悪徳商人が、数人の護衛と、ダービーの『審判長』を連れて雪崩れ込んできた。
「おい、貴様。ここは軍の最高幹部と来賓の待機室だぞ。一介の商人が無断で入ってくるとは、命が惜しくないのか」
ルーベンス将軍の黄金色の瞳が、氷のように冷たく細められる。彼から立ち昇る闇魔法の殺気に、商人の護衛たちはヒィッと怯んだ。
しかし、八百長計画がすべて破綻し、莫大な借金を背負うことになった商人は、もはや正気を失っていた。
「将軍! レースは無効です! ルナミス帝国の大公は、走竜に違法な魔力増強剤を投与したに違いありません! そうでなければ、あんな圧倒的なスピードが出るわけがない!」
「……ほう? 私が不正をしたと言うのか。ならばその証拠を出してみろ」
オルフェウス様が、絶対零度の声で商人を一瞥した。
大公の凄まじい威圧感に商人は膝を震わせたが、彼は隣に立つ審判長の腕をガシッと掴んだ。
「証拠などなくても、競馬場の最高権力者であるこの審判長が『失格』と判断すれば、ルール上、失格なのです! なあ、審判長! あんたは私の『ずっ友』だろう!? 大公を今すぐ失格にして、魔皇国の三番人気の馬を繰り上げ優勝にすると宣言してくれ!」
商人の言葉に、審判長はだらしなく顔を緩め、女子高生のようにヘラヘラと笑って頷いた。
「もっちろんでぇす! だって商人の旦那は、俺のずっ友ですからね! ズブズブの関係のずっ友のお願いなら、なんだって聞いちゃいますよぉ! はい、ルナミス帝国代表は失格ぅー!」
「なっ……貴様ら、ふざけるな! 軍の威信をかけた親善試合で、公然と八百長を宣言するとはどういう神経だ!」
ルーベンス将軍が激昂し、腰の剣に手をかける。
しかし、事態は厄介だった。魔皇国の競馬法において、レース直後の審判長の判定は絶対であり、これを軍の権力で強引に覆せば「魔皇国軍が他国のレースに不当介入した」という国際問題になりかねないのだ。
「へっへっへ! 将軍でも手出しはできまい! さあ、これで私が賭けた大穴の馬が優勝だ! 私は大金持ちだぁ!」
商人が下劣な高笑いを上げる。
私は、その光景を呆れ果てた思いで見つめていた。
前世のブラック企業にもいた。自分のミスや不正を隠すために、権力者と裏で手を結び、真面目にやっている者にすべての責任を押し付ける卑怯な人間が。
(……でも、あの審判長さん。先ほどから顔が真っ赤で、滝のように汗を流しているわ)
真夏の闘技場。
パドックからVIPルームまで、商人に腕を引かれて慌てて走ってきたのだろう。審判長の呼吸は荒く、明らかに熱中症の初期症状を引き起こしていた。
私は思わず、脳内で【善行ポイント通販】のウィンドウを開いた。
相手が八百長に加担しているとはいえ、目の前で倒れられでもしたら後味が悪い。
「あの、審判長さん。とても汗をかいていらっしゃいますね」
私は、空間から実体化させた地球の『熱中症対策・岩塩レモンタブレット(10pt)』を取り出した。塩分とクエン酸が手軽に補給できる、夏の現場作業の強い味方だ。
「これ、塩分が補給できるタブレットです。倒れる前に、舐めてくださいね」
「おおっ、可愛らしいお嬢ちゃん、気が利きますねぇ! それじゃあ、ずっ友の宣言の前に一つ……ペロッ」
審判長は、私が差し出した岩塩タブレットを口に放り込んだ。
「んんっ! しょっぱい! そして酸っぱい! ……あれ?」
――その瞬間である。
ヘラヘラとしていた審判長の顔から、スゥッと表情が抜け落ちた。
彼の瞳に宿っていた『ずっ友ロコシ』の洗脳の光が、急速に消え失せていく。
そう、魔農産物『ずっ友ロコシ』の最大の弱点。
それは、塩をぶっかけられる(塩分を摂取する)と、その魔法的癒着が完全に解除され、究極の『塩対応』へと変貌してしまうという隠し仕様だったのだ。
「お、おい、審判長。早く大公の失格を――」
商人が肩を叩こうとした瞬間。
審判長は、まるで敏腕の悪徳政治家のような、冷徹で事務的な顔つきに変わった。
「……身に覚えがございません」
「は?」
商人は目を丸くした。
「記憶に、ございません」
「な、何を言っている! 私と半分こして、黄金のトウモロコシを食べただろう!」
「事実無根であります。あなたとの面識はございますが、あくまで一般的な付き合いであり、深い関係(ずっ友)ではございません。……先ほど私が口走った失格判定についても、事務所(秘書)に確認させたところ、事務的なミスが判明いたしました」
流れるような答弁。
それは、地球のニュース番組で幾度となく流れる、あの『汚職政治家のテンプレ言い逃れ(塩対応)』そのものであった。
「ふ、ふざけるなっ! 私を裏切る気か! これまでの賄賂の記録を――」
「現在、当局が調査中の案件でありますので、私からのコメントは差し控えさせていただきます。……うっ、急に胸が……体調不良により、私はこれより数週間の入院に入りますので、失礼」
審判長は胸を押さえる芝居を打ちながら、クルリと背を向けて一目散にVIPルームから逃げ去っていった。
残された商人は、ポカンと口を開けたまま、石像のように固まってしまった。
(う、わぁ……。見事なまでの塩対応……)
私は、ただ熱中症対策に塩タブレットを渡しただけなのだが、結果的に不正の根源である「ズブズブの関係」を完全に断ち切ってしまったらしい。
「……さて。どうやら貴様の言う『ずっ友』とやらは、貴様の単なる妄想だったようだな」
ルーベンス将軍が、氷点下の笑みを浮かべて商人へとにじり寄った。
「ひぃっ……! ま、待ってくれ将軍! 私は、魔皇国のために……!」
「黙れ。騎手たちへの薬物(魔農産物)混入によるレース妨害。大公閣下への不敬罪。そして我が軍の顔に泥を塗った罪。……万死に値するぞ」
シュバァンッ!
将軍の足元の影がうねり、漆黒の『影の鞭』となって商人と護衛たちの体をグルグル巻きに縛り上げた。
「ぎゃあああっ!! お、お許しをぉぉっ!」
「地下牢へ連行し、余罪をすべて吐かせろ。マグローザ(マグロ)漁船への片道切符だ」
将軍の非情な命令により、泣き叫ぶ商人は魔族の兵士たちに引きずられていった。
自分の利益のためだけに他人を陥れようとした男は、自らの仕掛けた罠と強欲さによって、完璧な『自滅』を遂げたのである。
「……ふっ。アマネ、君は本当に恐ろしい女性だな。たった一粒の塩で、この国の政治的危機すら救ってしまうとは」
騒動が片付いた後、オルフェウス様が私の背後からそっと抱きすくめ、耳元で甘く囁いた。
「い、いやですわオルフェウス様! 私はただ、彼が汗をかいていたから、熱中症にならないように塩分を渡しただけで……」
「謙遜しなくていい。君のその『無意識の慈愛』が、常に悪を打ち砕き、私に勝利をもたらしてくれるのだから」
彼は私の首筋に顔を埋め、深く、独占欲に満ちたため息を吐き出した。
「今日は最高の気分だ。この後の夜の宴も、そして……二人きりの夜も、君を存分に甘やかさせてもらおうか」
「ひゃっ……! オ、オルフェウス様、みんなが見ていますからっ……!」
私の抗議も虚しく、彼は私の頬に熱い口づけを落とした。
リンが「お兄ちゃん、またくっついてるー!」とケラケラ笑い、ヴァルキュリアさんが「はわわ、これが人間界の夜の始まり……!」とメモを取っている。
トラウマ野菜と不倫果実がもたらした、競馬場での阿鼻叫喚のギャグ時空。
悪党たちが勝手に滅んでいった後、私に残されたのは、愛する婚約者からの極上の溺愛だけ。
魔皇国での夜は、甘く、そして幸せな予感に満ちて更けていった。
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