EP 7
「お祈りされるエリート騎手たち」
本命であるはずのエース騎手ガルドが、「メロロン」と駆け落ちしてコースを逆走するという前代未聞の珍事に、魔皇国闘技場は爆笑と混乱の渦に包まれていた。
しかし、レースそのものは止まらない。
残された魔皇国の有力騎手たちは、「ガルドの馬鹿め! ならば俺たちが大公を差し切って、魔皇国の勝利をいただくまでだ!」と、必死に走竜に鞭を入れた。
「いけぇっ! 俺の走竜! あのルナミスの黒竜を追い抜け!」
二番人気の騎手が、闘気を極限まで高めようと息を吸い込んだ。
――その時だった。
彼の脳内に、突如として冷たく事務的な女性のテレパシーが響き渡った。
『……大変甲乙つけがたい優秀な成績ではございましたが、採用枠の兼ね合いから、誠に遺憾ながら、今回はご縁がなかったということで――』
「……は?」
二番人気の騎手は、手綱を握る力をふっと抜いてしまった。
彼がパドックで商人に配られ、口にしてしまったのは、アマネの善行ポイントカンストによって生まれた確率変異の魔農産物――『折れたス【最終面接お祈り種(激レア)】』だった。
期待を持たせてから奈落へと突き落とす、地球の就活生を最も絶望させる最悪の個体。
その「絶対的な拒絶」の波動が、過酷な訓練を耐え抜き、魔皇国軍のエリートとして生きてきた彼のプライドを、根底から粉砕した。
「ご縁が、ない……? 俺の、これまでの血を吐くような努力は……枠の兼ね合いで、すべて無駄だったのか……?」
騎手の瞳から、みるみるうちに生気が失われていく。
彼は完全に虚無の表情となり、「あはは……もう、どうでもいいや……」と力なく笑いながら、走竜の背からズルズルと崩れ落ちていった。
「な、なんだ!? 二番人気の騎手も突然落馬したぞ!」
実況が悲鳴を上げる。しかし、異常事態はそれだけでは終わらなかった。
『……貴殿の輝かしい戦歴は魅力的ではございますが、我が隊が求めるポジションの要件と、技術的なミスマッチが極めて僅かにございました』
『……慎重に選考を重ねました結果、今回は採用を見送らせていただくこととなりました。なお、今後のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます』
コースのあちこちで、有力騎手たちの脳内に次々と【中途採用・お祈り種】や【通常・お祈り種】のデバフが炸裂し始めたのだ。
「うおおおおっ! ミスマッチ!? 俺の騎乗フォームの何がいけなかったんだぁぁっ!」
「祈られた……! 俺の騎手人生、祈られちまったぁぁっ!! ママーッ!!」
屈強な魔族の戦士たちが、次々と幼児退行して泣き叫び、頭を抱えてコースの端でうずくまっていく。
彼らはただ、商人に配られた「元気の出るサラダ」を食べただけだ。しかし、そこに込められた地球の『社会の残酷さ(お祈りメール)』のトラウマは、異世界の猛者たちにとっては全く耐性のない、致死レベルの精神攻撃だったのだ。
「おい、どうなっているんだ……! 我が魔皇国軍の精鋭たちが、なぜレース中に次々と発狂して倒れていく!?」
VIPルームでその惨状を見ていたルーベンス将軍が、イモッカのグラスを取り落とし、顔面を蒼白にして叫んだ。
「だ、だから言ったじゃないですか将軍! あれは、うちの大公邸から盗まれた『折れたス』っていう、食べた人の心をへし折る最悪の精神破壊野菜なんです!」
私が必死に説明すると、ルーベンス将軍はワナワナと震える手で頭を抱えた。
「精神破壊野菜……だと!? なぜそんな恐ろしい兵器が、パドックの差し入れに混ざっているんだ! しかも、対抗馬の騎手たちまで全滅しているではないか!」
「アマネさん。人間界の勝負事というのは、直接殴り合うのではなく、心に『ミスマッチ』という楔を打ち込んで自滅させるのですね。なんと高度な心理戦……っ」
ヴァルキュリアさんが、的外れな感心をしてメモを取っている。
「ち、違いますってば! 私は何もしていません! 全部、あの商人が勝手に配ったんです!」
私は慌てて弁明した。
そう、私は誰も蹴落としていない。
悪徳商人が自分の儲けのために、私が手放したトラウマ野菜を盗み、騎手たちに毒(お祈り)を盛っただけだ。
彼らは私の与り知らぬところで、自らの強欲さによって地雷を踏み抜き、見事なまでに自滅の道を突き進んでいるのである。
「……見なさい。あんな惨状の中でも、ただ一頭だけ、揺るぎない走りを見せている走竜がいるわ」
コースに目を向ければ。
阿鼻叫喚の地獄絵図と化し、騎手たちが次々と落馬して泣き叫ぶギャグ時空の中で、ただ一頭、ルナミス帝国代表の漆黒の走竜『シュバルツ』だけが、神々しいまでのスピードでトラックを独走していた。
「速い……! お兄ちゃんのトカゲさん、すっごく速いよ!」
リンが身を乗り出して歓声を上げる。
当然である。
シュバルツは、私が与えた地球の『最高級・甘熟ニンジン』の圧倒的な旨味と栄養によって、コンディションは最高潮(MAX)に達している。しかも、彼には『折れたス』のような邪悪なものは一切与えられていない。
純粋な『美味しい野菜』の力と、オルフェウス様の完璧な手綱捌き。
背筋をピンと伸ばし、軍服の外套を風に翻しながら騎乗する大公の姿は、まるで絵画から抜け出た戦神のように美しく、そして圧倒的だった。
「すごい……」
私は、その雄姿から目が離せなくなった。
他の走竜たちが騎手を失って迷走する中、シュバルツは力強い足取りで土煙を上げ、後続に絶望的なまでの大差をつけていく。
「ゴールイン!! 圧倒的、あまりにも圧倒的! ルナミス帝国代表・オルフェウス大公とシュバルツ、ぶっちぎりの単独1位でフィニッシュです!!」
実況の叫びと共に、競技場に割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こった。
駆け落ちしたガルドや、お祈りされて泣いている騎手たちの惨状を見て爆笑していた観客たちも、大公のあまりにも美しく完璧な走りには、魅了されるしかなかったのだ。
「ふざけるな……! なんでこんなことに……っ!」
ルーベンス将軍が、悔しそうにテーブルを拳で叩いた。しかし、その顔には敗北を認めた清々しさすら漂っている。
「大公の奴、まさかウチの走竜たちのメンタルが崩壊することまで見越して、あの漆黒の竜を完璧に仕上げてきたというのか……。見事だ、完敗だ」
(い、いや……だから、私はただニンジンをあげただけで、お祈りパニックは全くの予想外なんですけど……)
将軍の深読みに内心で冷や汗を流しながらも、私は胸を撫で下ろした。
コース上でウイニングランを行うオルフェウス様が、シュバルツの首筋を優しく撫でながら、観客席の私たちがいるVIPルームを見上げた。
そして、群衆の歓声の中で、彼は私に向かって真っ直ぐに視線を送り、ニヤリと不敵で、甘い微笑みを浮かべてみせた。
『君のおかげだ、私の愛しい女神』
口の動きだけで、そう囁かれたような気がして。
私の顔は一瞬にして火の出るように熱くなり、心臓が大きく跳ねた。
「はわわ……! 今、大公閣下がアマネさんに微笑みかけましたよ! まるで騎士道物語のワンシーンのようです!」
ヴァルキュリアさんが両手を頬に当てて身悶えしている。
「えへへ、お姉ちゃんお顔真っ赤ー!」
リンにからかわれ、私は両手で顔を覆った。
悪党たちが勝手に自滅していく中、私のもとに残るのは、この甘くて極上のときめきだけ。
誰も傷つけず、ただ思いやり(とニンジン)を手渡した結果が、この完璧な勝利を導き出したのだ。
しかし、ダービーの裏側では、自分の八百長計画がすべて破綻し、大損害を被った悪徳商人が、最後の悪あがきを企てようとしていた。
彼らと魔皇国の「ズブズブの関係(ずっ友)」を断ち切るための、決定的な『塩対応』の時間が、すぐそこまで迫っていたのである。
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