EP 5
「パドックの異変。魔農産物の罠」
アバロン魔皇国が誇る巨大闘技場に、割れんばかりの歓声が響き渡っていた。
『ジオ・リザード親善ダービー』の開始を告げるファンファーレが鳴り、出走前の走竜たちが観客にお披露目される『パドック』に、屈強な魔族の騎手たちと、色とりどりのジオ・リザードが次々と姿を現す。
「わあぁっ! お兄ちゃん、すっごくかっこいい!」
私たちが見下ろすVIPルームの大きな窓から、リンが身を乗り出して歓声を上げた。
パドックの最後尾を歩くのは、ルナミス帝国代表であるオルフェウス様と、漆黒の走竜シュバルツだ。
オルフェウス様は軍服の外套を翻し、圧倒的な覇気を漂わせながら優雅にシュバルツを操っている。先ほどまで餌を食べずに不機嫌だったシュバルツだが、私が地球の『甘熟ニンジン』をたっぷりあげたおかげで、今はツヤツヤの鱗を輝かせ、闘気満々で堂々と闊歩していた。
オルフェウス様がちらりとVIPルームを見上げ、私に向かって微かに微笑む。それだけで、私の胸は甘く高鳴った。
「ふん。大公の奴、ずいぶんと余裕だな。だが、我が魔皇国の騎手たちも負けてはおらんぞ」
隣のソファで、ルーベンス将軍がイモッカ(芋焼酎)のグラスを傾けながら不敵に笑った。私の『しじみ汁』のおかげで二日酔いから完全復活した彼は、本来の冷徹で知的なオーラを取り戻している。
「ええ。魔皇国の走竜たちも、とても力強くて素晴らしいですわ」
私が頷きながらパドックを見つめていた、その時だった。
「……ん?」
ふと、私の視界の端に、奇妙な光景が飛び込んできた。
パドックの脇の待機所で、あのゴルド商会(の支部)を名乗る商人が、魔皇国の有力なエリート騎手たちに声をかけ、何か『差し入れ』のようなものを配っていたのだ。
「皆様! 本日のレース、魔皇国の勝利を確実にするため、我が商会から『特別な滋養強壮セット』をご用意いたしました! レース直前にこれを食せば、疲労は吹き飛び、闘気は爆発的に高まりますぞ!」
商人が仰々しく木箱を開け、騎手たちに配り始めたもの。
一つは、微かな青白いオーラを放つ、瑞々しいレタスのような葉。
もう一つは、ポヨン、ポヨンと不気味に揺れながら、甘ったるい香りを放つ、ピンク色の果肉のカットメロンだった。
「おお、これは美味そうだな!」
「さっすが大商会! ありがたく頂こう!」
何も知らないエリート騎手たちは、嬉しそうにそれを受け取っていく。
しかし、VIPルームからその光景を望遠鏡(魔法のレンズ)で見ていた私は、顔面から一気に血の気を引かせていた。
(ちょ、ちょっと待って……!!)
見間違えるはずがない。
あの青白いレタス。あれは、大公邸の菜園から盗まれた、食べた者の脳内に「お祈りメール」の絶望を直接響かせるトラウマ野菜『折れたス』ではないか!
しかも、葉の大きさからして、ただの通常種ではない。あれは私のポイントがカンストした時に確率変異で生まれた、期待を持たせて落とす最悪の個体――【最終面接お祈り種】だ。
さらに、その隣のピンク色のメロン。
あれはルナミス帝国の農家のおじさんたちを狂わせ、家庭を崩壊させ、駆け落ち(からの堆肥化)へと誘うという、伝説の人生クラッシャー魔農産物『メロロン』の完熟個体ではないか!!
(な、なんでそんなヤバい魔農産物コンボを、レース直前の騎手たちに配っているの!?)
前世のOL時代、社内のコンプライアンス研修で「メンタルヘルスの不調」や「社内不倫」の恐ろしさを叩き込まれた私からすれば、あんなものは労働基準監督署が飛んでくるレベルの『劇物』だ。
「……おい、アマネ嬢。どうした? 顔が青いぞ」
私の異変に気づいたルーベンス将軍が、怪訝そうに眉をひそめた。
そして彼もまた、眼下のパドックで商人が不審な動きをしていることに気づいた。
「あの商人……俺が指示した『疲労回復のハーブ』以外に、何か妙な果物を配っているな。それに、なぜ本命の騎手だけでなく、対抗馬の騎手たちにも配っているのだ? あれでは、どの馬が勝つか分からんではないか」
ルーベンス将軍の鋭い目が、険しく細められた。
彼は魔皇国の威信のために(裏ルートとはいえ)馬の疲労回復剤を手配したに過ぎない。商人が個人的なギャンブルの儲けのために、レース全体をぶち壊す『八百長』を仕掛けていることに、ようやく勘づいたのだ。
「チッ、あの下衆野郎……。自分の懐を潤すために、神聖なダービーに泥を塗る気か!」
ルーベンス将軍はドンッ! とテーブルを叩き、通信用の魔導石を掴み取った。
「おい、審判長! 今すぐパドックにいるゴルド商会の男を取り押さえろ! 奴が騎手たちに配っている物を没収し、検査するんだ! レースを一時中断しろ!」
将軍の怒声が、通信石を通じて競馬場の審判席へと響き渡る。
さすがは魔皇国軍のトップ。素早く的確な判断だ、と私がホッと胸をなでおろした、次の瞬間。
『――な、何を仰るのですか、ルーベンス将軍。私はそのような指示には従えませんぞ』
通信石から返ってきたのは、焦りも何もない、どこかへらへらとした審判長の間の抜けた声だった。
「なんだと!? 貴様、軍の最高責任者である俺の命令が聞けんというのか!」
『ええ。だって、あそこにいる商人の旦那は、私の大切な『ずっ友』ですからね! ずっ友を疑うなんて、そんな悲しいことできませんよぉ』
「は……? ずっ……とも?」
ルーベンス将軍は、通信石を持ったまま完全にフリーズしてしまった。
歴戦の猛将である彼も、自分の部下である厳格な審判長が、突如として女子高生のような口調で「ずっ友」などと言い出したことに、脳の処理が追いつかなかったのだ。
(あああっ、やっぱりあのトウモロコシ、『ずっ友ロコシ』だったんだ!)
私は頭を抱えた。悪徳商人は、審判を完全に汚職のトウモロコシで買収(洗脳)し、将軍の介入すらブロックする完璧な布陣を敷いていたのだ。
「な、なんだこれは……! 審判長、貴様気が狂ったか! ええい、警備兵! 今すぐパドックへ向かえ!」
ルーベンス将軍が慌てて別の通信石に向かって怒鳴るが、巨大な競馬場の中で、警備兵がパドックに辿り着くにはどうしても時間がかかる。
「アマネさん。あの騎手たちが持っている緑の葉、とても神々しいオーラを放っていますね。天界の書物で読んだ『勇者のサラダ』でしょうか?」
事態のヤバさを全く知らないヴァルキュリアさんが、純粋な瞳で首を傾げている。
「……ヴァルキュリアさん、あれは勇者のサラダなんて生易しいものじゃないんです……。社会の残酷さを煮詰めた、トラウマの葉っぱなんです……っ」
私が青ざめた顔で震える中。
眼下のパドックでは、何も知らない魔族のエリート騎手たちが、「よーし、この滋養強壮セットで、大公の馬をぶっちぎってやるぜ!」と高らかに笑いながら、あの『折れたス』と『メロロン』を口元へと運んでいた。
(……ああ。終わったわ。彼らの輝かしい騎手人生が……)
私は思わず、両手で顔を覆った。
誰も蹴落とさない。私はただ見ているだけ。
しかし、悪徳商人の強欲さが引き金となり、アバロン魔皇国が誇る神聖なるダービーは今、前代未聞の『精神崩壊ギャグ時空』へと突入するための、最悪のカウントダウンのゼロを迎えようとしていたのである。
お読みいただきありがとうございます!
評価・ブックマークで応援いただけると励みになります。




