EP 4
「八百長工作と、最強のニンジン」
アバロン魔皇国の『ジオ・リザード親善ダービー』開催当日の朝。
私たち一行は、オルフェウス様にエスコートされ、闘技場の地下に設けられた巨大な馬舎(走竜待機所)を見学に訪れていた。
「わあぁっ! お馬さん、じゃなくて……トカゲさん? すっごく大きい!」
リンが目を輝かせながら、頑丈な鉄格子の向こう側を覗き込む。
「リンちゃん、あれは『ジオ・リザード』と呼ばれる走竜ですよ。強靭な脚力と、口から炎を吐く能力を持つ、極めて優秀な騎乗獣です」
ヴァルキュリアさんが、天界の知識を元に優しく教えてくれた。
馬舎には、色とりどりの鱗を持つ屈強なジオ・リザードたちが何十頭も繋がれていた。彼らはこれから始まる激しいレースに向けて、鼻息を荒くして闘気を漲らせている。
「……ん?」
通路の奥へ進んでいくと、薄暗い一角で、何やらコソコソと集まっている男たちの姿があった。
昨日、ルーベンス将軍の側に控えていたゴルド商会(の支部)の商人と、本日のレースの審判員、そして魔皇国の本命馬に乗るエリート騎手たちだ。
「さあさあ、審判長殿。そして騎手殿も。この黄金に輝くトウモロコシを、私と半分に割って食べましょうぞ」
「おお、これは美味そうだ。……ムシャッ。おおっ!? なんだこの甘さは!」
「へっへっへ……これで我々は、これまでの関係をすっ飛ばして、ズブズブの……いえ、『ずっ友』でございますな」
「うむ! もちろんだとも、商人の旦那! 我らはずっ友だ!」
男たちは、黄金色のトウモロコシを分け合って食べながら、下劣な笑みを浮かべて固い握手を交わしていた。
(なんだろう、あのトウモロコシ……?)
私の【善行ポイント通販】のカタログにはまだ載っていない野菜だったが、どうやら彼らは、レース前に一緒におやつを食べて親睦を深めているらしい。
前世のブラック企業では、派閥争いや足の引っ張り合いばかりで、職場の人間関係は常に冷え切っていた。それに比べて、この魔皇国の人たちは、大人になっても「ずっ友」なんて可愛い言葉を使って、仲良くトウモロコシを分け合っているのだ。
「皆様、おはようございます。朝からお野菜を分け合って、とても仲がよろしいのですね」
私が微笑みながら声をかけると、商人たちは「ギクッ!」と肩を震わせ、慌ててトウモロコシの芯を背中に隠した。
「あ、アマネ嬢……! い、いや、これはその……馬の栄養管理について、親密な会議をしていただけでして!」
商人が冷や汗を流しながら早口で言い訳をする。
「まあ、お馬さんの栄養管理、大変ですね。暑い中、お疲れ様です」
私が純粋な労いの言葉をかけると、商人は私の顔をまじまじと見つめ、やがて「ふん」と鼻で笑った。
(……ククッ、なんだ、ただの世間知らずのお嬢様か。我々が『ずっ友ロコシ』で完璧な八百長体制を構築したことなど、微塵も気づいておらんわ)
商人が腹の中で私を嘲笑っていることなど、私には知る由もない。私は彼らに軽く会釈をし、オルフェウス様の元へと歩みを進めた。
*
「アマネ、ここだ。これが今日、私が騎乗する相棒だ」
オルフェウス様が立ち止まったのは、一際広く、重厚な柵で囲まれた特別区画だった。
そこにいたのは、艶やかな漆黒の鱗を持ち、鋭い黄金の瞳をした、ひときわ巨大で気性の荒そうなジオ・リザードだった。
「ルナミス帝国から移送してきた、私の愛馬『シュバルツ』だ。気位が高く、私以外の騎乗を一切許さない」
「グルゥゥゥッ……!」
シュバルツは鼻から微かに火の粉を散らし、私たちを警戒するように低く唸り声を上げた。
「まあ、立派な走竜ですね。でも……少し、ご機嫌斜めでしょうか?」
私が首を傾げると、専属の飼育員が困ったようにため息を吐いた。
「ええ……実は、魔皇国の水や飼葉(魔農産物)が口に合わないようで、昨晩からほとんど餌を食べてくれないのです。大公閣下の魔力で動かすことは可能ですが、このままでは万全の走りができるかどうか……」
「そうだったのですね」
私は、飼葉桶に入った見慣れない色の野菜を見つめた。(※悪徳商人が昨晩こっそり仕込んだ『折れたス』の破片が混ざっているのだが、シュバルツは野生の勘でそれを避けていたのだ)。
長旅のストレスで、ご飯が喉を通らない気持ちはよくわかる。
私は脳内で【善行ポイント通販】を開いた。
選んだのは、地球の『最高級・甘熟ニンジン(10pt)』だ。農家さんが手塩にかけて育て、フルーツのように甘く、水分がたっぷりと詰まった極上の根菜である。
「シュバルツ、これなら食べられるかしら?」
私は空間から実体化させた、鮮やかなオレンジ色をした瑞々しいニンジンを、柵越しにそっと差し出した。
「アマネ様、危険です! シュバルツは神経質で、知らない者の手からは決して餌を――」
飼育員が青ざめて制止しようとした、その瞬間。
スンスン、とシュバルツが鼻を鳴らした。
地球の甘熟ニンジンから漂う、大地の豊かな香りと、果実のような甘い匂い。それは、アナステシア世界の魔力に当てられた大味な野菜とは全く異なる、純粋で繊細な『美味しさ』の結晶だった。
「キュルルッ!?」
シュバルツの黄金の瞳が、カッと見開かれた。
次の瞬間、彼は私の手からニンジンをひったくるように咥え、シャクシャクッ! と凄まじい勢いで咀嚼し始めたのだ。
「お、食べた! シュバルツがご飯を食べました!」
飼育員が信じられないものを見るように叫ぶ。
「美味しい? まだあるから、ゆっくり食べてね」
私は追加で三本のニンジンを取り出し、シュバルツに与えた。彼はあっという間にそれを平らげると、もっと欲しいと言わんばかりに、巨大な頭を鉄格子の隙間に押し付け、私の手のひらにすりすりとおでこを擦り付けてきた。
「キュルゥゥ〜ン……♡」
先ほどまでの気性の荒さはどこへやら。漆黒の猛竜は、地球の甘熟ニンジンの圧倒的な旨味と、私の手から伝わる優しさに完全に餌付けされ、メロメロになって喉を鳴らしていた。
「あははっ! シュバルツ、お姉ちゃんに甘えてるー!」
リンがキャッキャと笑い、ヴァルキュリアさんも「はわわ……猛竜をひと撫でで手懐けるとは、やはりアマネさんは女神……」と感心して頷いている。
「……ふっ。どうやら私の相棒は、私以上に君の魅力に当てられてしまったらしいな」
オルフェウス様が、少しだけ呆れたように、けれどどこか誇らしげに目を細めた。
「オルフェウス様、シュバルツが元気になって良かったです。これで、今日のレースも万全ですね」
「ああ。君のくれたこの温かい活力が、私とシュバルツの最強のエンジンになる。……君の分まで、必ず勝利を捧げてみせよう」
オルフェウス様は私の指先に口づけを落とし、優しく微笑んだ。
私は、彼のその絶対的な自信と愛情に、胸を甘く高鳴らせた。
私が手を下したのは、お腹を空かせたお馬さんに、美味しいニンジンをあげただけ。
だが、この地球の野菜による完璧な『コンディション調整』が、やがて悪徳商人たちの仕掛けた「魔農産物の罠」を粉砕し、彼らを絶望のどん底へと叩き落とす最大の要因となることを、私はまだ知らなかった。
華やかな親善ダービーのファンファーレが、今、闘技場の空高く鳴り響こうとしていた。
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