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婚約破棄されたので、辺境で善行通販をしたら冷酷な大公に溺愛されました~無能令嬢は、癒やしの力で国を動かす~  作者: 月神世一


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EP 3

「もう我慢しない。決別の準備」

「おい、明日の軍部祝賀会の手配、まだ終わっていないのか! これだから1馬力の無能は困る。効率が悪すぎる!」

 執務室に、エギルの苛立たしい怒鳴り声が響き渡る。

 彼の言葉が耳を打っても、私の心は凪いだ海のように静かだった。かつてなら「嫌われたくない」「見捨てられないように頑張らなきゃ」と怯えていたかもしれないが、今の私には一切の焦りも悲しみも湧いてこなかった。

「申し訳ありません、エギル少将。来賓のリスト変更と、食事のメニュー調整に少し手間取っておりまして。ですが、本日中にはすべて完璧に整えます」

「当然だ! これは帝国軍の精鋭が集う重要な祝賀会だぞ。俺の『二郎系超回復理論』の成果を上層部にお披露目する場でもある。もし一つでも手抜かりがあれば、貴様との婚約は白紙だと思え!」

 エギルはこれ見よがしに机を叩き、吐き捨てるように部屋を出て行った。

 私は静かに一礼して彼を見送り、すぐに手元の書類に視線を戻した。

 軍部祝賀会の準備。

 数百人規模のゲストの席次決め、アレルギーや好みを考慮したケータリングの手配、会場の装花から、オーケストラの進行表まで。本来なら軍の専門部署や複数の文官が分担して行うべき膨大な業務を、彼は私一人に丸投げしてきた。

 だが、前世で限界OLだった私からすれば、こんなものは「ただの作業」に過ぎなかった。

 納期は明日。しかも仕様変更が直前で発生するデスマーチ。前世では、これが何日も続き、三日徹夜した挙句に手柄はブラック課長に奪われ、私は冷たいデスクで息絶えた。

 あの絶望的な日々に比べれば、ルナミス帝国の書類仕事など、頭の中でエクセルの表を組み立てるようにサクサクと進められる。

「……とはいえ、一人で全部やらせるなんて、相変わらず人の使い方がなってないわね」

 小さく毒づきながらも、私はペンを走らせる。

 彼に褒められたいわけではない。婚約を維持したいわけでもない。

 これは「立つ鳥跡を濁さず」の精神だ。すべての義務を果たし、一切の借りを作らずに、明日堂々とこの場所から出ていくためである。

 午後になり、私は会場となる大ホールの設営確認に向かった。

 そこでは、屋敷の使用人や下働きの兵士たちが、エギルの無謀なスケジュールのせいで疲労困憊になりながら働いていた。

「ああっ、ごめんなさい! 足がもつれて……っ」

 ふらりとよろけたメイドの少女が、抱えていた銀の食器セットを落としそうになる。私は咄嗟に駆け寄り、彼女の腕を下から支えた。

「大丈夫? 顔面が蒼白よ。少し座って」

「アマネ様……! 申し訳ありません、昨夜からずっと立ち通しで、少し目眩が……」

 彼女の冷たい手を握った瞬間、私の脳内に『チャリン♪』という澄んだ音が鳴り響いた。

【純粋な善行を検知しました。50ptを獲得。】

【現在のポイント:100pt】

(……来たわね)

 私は迷わず【善行ポイント通販】のウィンドウを開いた。

 休むことを許されない環境で、倒れる寸前まで追い詰められている彼女の姿は、まるで前世の自分を見ているようだった。

「これ、飲んでみて。少し元気がでるお薬よ」

 私がポイントで購入し、こっそりと手渡したのは地球の『タウリン配合・栄養ドリンク(10pt)』だった。

 メイドは戸惑いながらも小瓶に口をつけ、ゴクリと飲み込む。すると、彼女の目にみるみるうちに生気が戻ってきた。

「すごい……! 体の奥から、じんわりと温かい力が湧いてきます! エギル様の回復魔法みたいに痛くないのに、すごく体が軽いです……!」

「内緒よ。無理しないで、少し休んでから仕事に戻りなさい」

 私が微笑んで立ち去ろうとすると、今度は入り口で警備に立っていた若い護衛兵が、苦痛に顔を歪めているのに気がついた。

 足元を見ると、真新しい支給品の硬い革靴から、じんわりと血が滲んでいる。ひどい靴擦れだ。

「足、痛むのね。ブーツを脱いでみなさい」

「ア、アマネ様!? いけません、俺のような下っ端の汚い足を……」

 慌てる護衛兵を制し、私は再びポイントを使って『医療用ハイドロコロイド絆創膏(10pt)』を取り寄せた。

「いいから。痛みを我慢して警備に穴を開ける方が問題でしょう?」

 靴擦れの傷口に、クッション性の高い絆創膏を丁寧に貼ってあげる。

「……っ! 痛くない……歩いても、全然擦れません!」

「良かった。靴が馴染むまでは、これを使って」

 余った絆創膏の箱を渡すと、若い護衛兵は信じられないものを見るような目で私を見つめ、やがて深く、深く頭を下げた。

「アマネ様……ありがとうございます。このご恩は、一生忘れません」

 その光景を見ていた他の使用人たちも、私に向けて深い敬愛と感謝の眼差しを向けていた。

 闘気もない、魔法も使えない、1馬力の無能令嬢。

 エギルがそう呼ぶ私を、彼らはもう決して侮蔑の目では見ていなかった。ただの「優しさ」が、効率主義で冷え切った彼らの心にどれほど深く沁み込んだか。

 ポイントは瞬く間に加算されていくが、私にとってそれはもうオマケのようなものだった。

 前世では、どれだけ身を粉にして働いても、誰も私に感謝しなかった。透明人間のように扱われ、ただ搾取されるだけだった。

 でも今は違う。私が手を差し伸べれば、温かい「ありがとう」が返ってくる。それだけで、私の心は満たされていた。

     *

 夜。

 会場の設営、厨房への指示、すべての書類の手配を完璧に終わらせた私は、自分の部屋に戻ってきた。

 クローゼットの奥から、古いけれど丈夫な小さなトランクを一つ引っ張り出す。

 荷造りの時間だ。

 ドレスや宝石には目もくれない。そもそも、エギルから贈られたものなど数えるほどしかないし、未練も執着もなかった。

 数着の着替え、少しの路銀、そして何より大切な、前世の記憶と共に思い出した愛読書たちの内容を書き留めた手帳。

 荷造りをしながら、私は『夜と霧』の一節を心の中で反芻した。

『人間からすべてを奪うことはできるが、たった一つ、与えられた環境でいかに振る舞うかという、人間としての最後の自由だけは奪えない』

 エギルは私から、時間も労力も、婚約者としての尊厳も奪い続けてきた。

 けれど、私の「気高さ」だけは決して奪わせない。

 彼と同じように人を数字で測るような冷酷な人間にはならない。私は、私の信じる優しさを手放さない。

 小さなトランクをベッドの下に隠し、私はクローゼットの扉に掛けられた豪奢なドレスを見上げた。

 明日の軍部祝賀会で着るようにと、エギルが「私の体面を保つために、せめて見た目くらいは飾れ」と押し付けてきた、息が詰まるほどコルセットのきついドレスだ。

「……こんな窮屈な服を着るのも、明日で最後ね」

 もう搾取される限界OLの『天海音』は死んだのだ。

 私はもう、理不尽に耐えたりしない。他人に自分の人生のハンドルを握らせたりしない。

 明日、すべてが完璧に整った祝賀会の場で、彼は自らの有能さをアピールし、用済みとなった私を最も残酷な形で切り捨てるだろう。

「ふふっ」

 自然と、声に出して笑ってしまった。

 その時が来たら、泣き崩れたり、すがりついたりなんて絶対にしない。

 私を鎖から解き放ってくれる彼に向かって、最高の、心からの笑顔でこう言ってやろう。

『喜んで、お受けいたします』と。

 決戦は明日。

 私は自由になるための夜明けを前に、深く静かな眠りについた。

お読みいただきありがとうございます!


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