第三章 魔皇国への外遊と、競馬好き将軍との出会い
「魔皇国からの招待状と、裏で動く密輸計画」
ルナミス帝国の朝は、今日も穏やかで優しい光に満ちていた。
大公邸の私の自室では、メイドのアンナたちが集まり、開かれた大きなトランクに荷物を詰める作業に追われていた。
「アマネ様、このドレスもお持ちになりますか? アバロン魔皇国の夜会では、これくらい華やかな方が……」
「そうね。でも、あまり荷物が多くなると皆が運ぶのが大変だから……少し待ってね」
私は脳内で【善行ポイント通販】のウィンドウを開き、地球の『衣類圧縮袋セット(10pt)』を取り寄せた。
かさばるドレスや防寒具を透明な袋に入れ、空気を抜いていくと、魔法のようにぺちゃんこになる。それを見たアンナたちは「なんと素晴らしい魔導具ですか!」と目を丸くして喜んでくれた。
私がささやかな気遣いをするたびに、屋敷の皆は笑顔になり、私のポイントもまたチャリンと貯まっていく。前世の限界OL時代、自分の出張の準備すら徹夜でやらされていた孤独な日々とは大違いの、温かい時間だった。
「お姉ちゃん! 私、おやついっぱい持ったよ!」
私の背中に、小さなリュックを背負ったリンがぴょんと飛び乗ってきた。
リュックの中には、私が通販で取り寄せた『フルーツ味のドロップス』や『車酔い止めのレモン飴』がぎっしりと詰まっている。
「ふふっ、ありがとうリン。でも、甘いものばかり食べて夕食が入らなくならないようにね」
「はーい!」
私たちが今、こうして大掛かりな旅行の準備をしているのには理由があった。
ルナミス帝国から遥か西に位置する、屈強な魔族たちが治める国『アバロン魔皇国』。その国で年に一度開催される『ジオ・リザード親善ダービー』に、オルフェウス様が帝国の主賓として招かれたのだ。
そして私は、彼の「公式なパートナー」――大公妃の座に就く者として、この外遊に同行することになっていた。
「アマネ、準備は進んでいるか」
ノックの音と共に、漆黒の礼服に身を包んだオルフェウス様が部屋に入ってきた。
いつもの軍服とは違う、他国を訪問するための豪奢な意匠が施された服。その圧倒的な覇気と美しさに、私は思わず見惚れてしまう。
「はい、オルフェウス様。いつでも出発できますわ」
「そうか。……君は今日、一段と美しいな」
オルフェウス様は私に歩み寄ると、メイドたちがいるのも構わず、私の手を取ってその甲に甘い口づけを落とした。
彼の深い紫の瞳が、情熱的な熱を帯びて私を見つめる。
「今回の外遊は、君を私の妻として他国に正式にお披露目する場でもある。魔皇国の者たちに、私がどれほど素晴らしい至宝を手に入れたか、存分に見せつけてやらねばな」
「も、もう……オルフェウス様ったら、大げさですわ」
私が顔を赤くして俯くと、彼は低く喉を鳴らして笑い、私の腰をそっと抱き寄せた。
「さあ、行こうか。私たちを乗せる魔導列車が、帝都の駅で待っている」
大公の温かい腕にエスコートされながら、私はこれからの旅への期待に胸を膨らませた。
誰も蹴落とさず、ただ前を向いて生きてきた結果が、こんなにも幸せな未来に繋がっているなんて。
――しかし。
私たちの向かう先、アバロン魔皇国の裏側では、あの『トラウマ野菜』を巡る黒い陰謀が静かに動き出そうとしていたのである。
*
【幕間:競馬好き将軍と、悪徳商人の密輸計画】
アバロン魔皇国。その巨大な闘技場と競馬場を一望できるVIPルーム。
魔皇国軍を束ねる魔族穏健派の将軍・ルーベンスは、深いソファに身を沈め、大きくため息を吐いていた。
「……あー、胃が痛てぇ」
彼は冷徹で知的な風貌のイケメンだが、その実態は、上司である魔王ラスティアの無茶振り(アイドルグッズの買い付け予算の捻出など)に日々振り回されている、中間管理職の疲れたオッサンである。
休日のささやかな楽しみである「競馬」と、汚い中華屋での「イモッカ(芋焼酎)」だけを心の支えに生きている彼だが、明日に控えた『ジオ・リザード親善ダービー』の重圧で、胃もたれと二日酔いが極限に達していた。
「ルーベンス将軍。お頼みされていた『品』、無事に手配が完了いたしましたぞ」
部屋の隅から、もみ手をしてすり寄ってきたのは、大陸に名を轟かせる大企業『ゴルド商会』の名を騙る、悪徳支部の商人だった。
「おお、ご苦労。……で? ルナミス帝国で流行っているという『奇跡のハーブ』は、確実に手に入れたんだろうな?」
「へっへっへ。もちろんでございます。疲労を完全に取り除き、闘気を爆発させるという『折れたス』。大公邸の菜園からは消えましたが、闇ルートを通じて最高級の株を密輸いたしました」
商人は、不気味な青白いオーラを放つ『折れたス』の葉を、恭しくテーブルの上に置いた。
「よし。こいつを、明日のダービーに出走する我が軍のジオ・リザード(走竜)たちの飼料に混ぜろ。連日の猛特訓で馬たちも疲弊している。このハーブで疲労を回復させれば、ルナミス帝国の大公が乗る馬にも完勝し、俺も大儲け……いや、魔皇国の威信を示せるというものだ」
「御意に。……(クククッ、将軍はこれの本当の恐ろしさを知らない。我々はこのハーブと、さらに『メロロン』や『ずっ友ロコシ』も密輸済み。これで魔皇国の競馬利権は、すべて我々悪徳商人のものだ!)」
商人が腹の中でどす黒い八百長を企んでいることなど露知らず、ルーベンス将軍はポポロ・コーヒーを啜りながら、競馬新聞に赤ペンで丸をつけていた。
彼らは理解していなかったのだ。
その『折れたス』が、ジオ・リザードの疲労を回復させるどころか、食べた者の脳内に「お祈りメール」の絶望を響かせる最悪の精神破壊兵器であることを。
そして、そのハーブの生みの親である『女神』が、今まさに大公に溺愛されながら、魔皇国に向かっているという事実を。
*
ポーォォォォォッ!!
魔力によって駆動する巨大な『魔導列車』が、ルナミス帝国のターミナル駅から重厚な汽笛を鳴らして発車した。
「わあぁっ! お姉ちゃん、見て見て! 景色がすっごく早く動いてる!」
「ふふっ、リン、窓から身を乗り出しちゃ危ないわよ」
魔導列車の最後尾に連結された、大公専用の特別VIP車両。
ビロード張りのふかふかのソファに座りながら、私は流れていく美しい景色に目を奪われていた。
前世で限界OLだった頃の出張といえば、狭いエコノミー席に押し込まれ、隣のオジサンのいびきに耐えながらノートパソコンを開いて企画書を作るだけの、苦痛な移動時間だった。
でも今は、違う。
テーブルには高級な紅茶が用意され、目の前には私を心から慕ってくれる親友がいる。
「アマネ。疲れてはいないか?」
私の隣に腰を下ろしたオルフェウス様が、大きな手で私の髪をそっと撫でた。
「はい。列車の揺れも少なくて、とても快適です」
「それは良かった。アバロン魔皇国に到着するまでには、まだ時間がかかる。私の肩を貸そう、少し眠るといい」
彼はそう言って、私を自分の胸元へと優しく引き寄せた。
硬い軍服越しに伝わってくる、彼の力強い心音と、落ち着く香り。
まるで私を外の世界のすべての悪意から守るかのように、彼の腕が私の肩をしっかりと抱きしめる。
「オルフェウス様……」
「君の寝顔を見つめる特権は、この旅の間、私だけのものにさせてもらうよ」
甘く囁く大公の言葉に、私は顔を真っ赤にしながらも、その温かい胸に身を委ねた。
悪党たちが勝手に自滅の罠を張っていることなど微塵も知らないまま、私たちは極上の甘さと優しさに包まれて、異国への旅路を楽しんでいた。
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