EP 10
「天界への偽りの報告書(次章への種)」
大公邸の庭園に、清々しい朝の風が吹き抜けていた。
美しい薔薇が咲き誇る中、純白の翼を広げ、白銀の甲冑に身を包んだ最強の聖騎士・ヴァルキュリアさんが、天界へ帰還する時がやってきた。
「アマネさん。そしてリンちゃん。この数日間、本当にお世話になりました」
ヴァルキュリアさんは、いつもの冷徹な監査官の顔ではなく、年相応の……17歳の少女のような、穏やかで輝くような笑顔を浮かべていた。
彼女の美しい手は、地球の『高保湿ハンドクリーム』のおかげで、もはや一切の荒れがなく艶やかだ。ストレスで痛んでいた胃も、『高性能胃腸薬』と温かいハーブティーによって完全に完治している。
「ヴァルキュリアさん。これ、お土産です。天界のお仕事は大変でしょうけれど、疲れた時はこれで一息ついてくださいね」
私は、【善行ポイント通販】で多めに取り寄せておいた『カモミールミルクティーの茶葉』と、彼女がお気に入りだった『とろける極上プリン』を可愛らしくラッピングして手渡した。
「こ、こんな貴重なものを……! アマネさん、本当にありがとうございます……っ」
ヴァルキュリアさんは、お土産の包みを胸にギュッと抱きしめ、またしても感極まって瞳を潤ませた。
「金ピカお姉ちゃん! お仕事がんばってね! またお茶とお菓子、一緒に食べようね!」
リンがぴょんと飛びついて腰に抱きつくと、ヴァルキュリアさんは優しくリンの黄金色の髪を撫でた。
「ええ、もちろん。私たちは、種を一緒に植えた『お友達』……人間界の言葉で言うなら、永遠の親友(ずっ友)ですからね」
ヴァルキュリアさんは私たちに深く頷き、そして、私の隣で静かに見送っていたオルフェウス様に向かって、恭しく一礼した。
「オルフェウス大公閣下。アマネさんは、私が保証する至高の存在です。どうか、彼女を永遠にお守りください。もしも彼女を泣かせるようなことがあれば、この聖槍グラニが黙っておりませんよ」
「ふっ。天界の長官に念を押されるまでもない。私の命に代えても、彼女の笑顔は私が守り抜く」
オルフェウス様は、私の肩を抱き寄せながら力強く宣言した。
「……ふふっ。本当に、温かいお屋敷ですね。監査に来て、これほど心が満たされる日が来るとは思いませんでした」
ヴァルキュリアさんは、ふわりと宙に舞い上がった。
神々しい黄金の光輪が輝き、空へと続く光の柱が出現する。
「では、行ってまいります! アマネさん、リンちゃん、また必ずお会いしましょう!」
大きく手を振りながら、最強の聖騎士は、光と共に天界へと帰っていった。
誰も蹴落とさず、ただ地球の癒やしをお裾分けしただけ。
その純粋な「善行」が、天界の最高幹部との間に、決して揺らぐことのない温かい友情の絆を結んでくれたのだ。
*
【幕間:天界のコタツ部屋と、偽造報告書】
神界(GOD)の一角、女神ルチアナの私室。
いつものようにコタツ布団に包まり、震える手でエンジェルスマートフォンを握りしめていたルチアナは、「ひぃぃっ」と短い悲鳴を上げた。
ズガンッ!!
天井の穴から、黄金の光と共にヴァルキュリアが帰還したからだ。
「ヴ、ヴァルキュリアちゃん! おかえりなさい! あの、バグの調査は……」
ルチアナが引きつった笑顔で出迎えようとした、次の瞬間。
ダンッ!!!
凄まじい踏み込みと共に、ヴァルキュリアがルチアナの背後にある大黒柱に右手を叩きつけた。
いわゆる『壁ドン』である。
逃げ場を失ったルチアナは、ヒィッと息を呑んだ。
「ル・チ・ア・ナ・様」
ヴァルキュリアの顔は、般若のように恐ろしい。
「私が人間界に行っている間にも、月人君のソシャゲの課金履歴が3件増えていましたね? エステの予約まで入れているとは、どういう神経ですか?」
「ご、ごめんなさぁぁい! ガチャの更新日だったのぉぉ!」
涙目で謝罪するルチアナを冷ややかに見下ろしたまま、ヴァルキュリアは左手で分厚いバインダーを取り出し、コタツの上にバサリと投げ捨てた。
「今回の、ルナミス帝国におけるバグ監査の『最終報告書』です。目を通してください」
「は、はいぃ……ええっと?」
ルチアナは震える手で報告書をめくった。そこには、信じられない文面が並んでいた。
『調査の結果、ルナミス帝国にシステムのバグは一切存在しないことを確認した。』
『当該座標にて確認された物品の発現は、その地に住まう至高にして慈愛の女神・アマネ様が引き起こした、正当なる神の奇跡である。』
『よって、彼女が引き出す物資の経費は、すべて天界の特別枠から拠出されるべき至極当然のものである』
「……えっ?」
ルチアナは、ポカンと口を開けた。
「ば、バグがない? アマネ様が女神の奇跡? ちょっとヴァルキュリアちゃん、これ完全に『嘘の報告書』じゃない! どう見ても人間界の令嬢が――」
「何か、文句でも?」
ヴァルキュリアの瞳の奥で、1億ボルトの雷光がチリッと瞬いた。
「アマネさんは、そこら辺の駄女神よりもずっと神聖で、慈愛に満ちた素晴らしいお方です。彼女に監査を入れるなど、天界の恥。……この報告書に、今すぐ承認のハンコを押してください。さもなければ、あなたのソシャゲのアカウントを消去しますよ」
「お、押しますぅぅっ!!」
ルチアナは秒でハンコを取り出し、書類にバンバンと押印した。
こうして、アマネの【善行ポイント通販】という最大の秘密は、天界の監査官の「極上のプリンとハンドクリームによる完全な買収(餌付け)」によって、神々の公認(?)の奇跡として処理されてしまったのである。
*
天界でそんな隠蔽工作が行われていることなど、私は知る由もない。
私は今日も、大公邸の厨房で、リンと一緒に夕食の支度を手伝っていた。
「お姉ちゃん、今日のハンバーグ、すっごくいい匂い!」
「ええ、お肉の焼き加減が完璧ね。オルフェウス様も、きっと喜んでくださるわ」
窓の外には、夕焼けに染まる美しい庭園が広がっている。
トラウマ野菜『折れたス』の騒動で敵対派閥は自滅し、元実家からの干渉も完全に断たれた。
私を「無能」と見下す者は、もうどこにもいない。
「……本当に、幸せね」
私はエプロンを外し、左手の薬指に光るダイヤモンドの指輪をそっと撫でた。
搾取されるだけだった前世のOL時代は、完全に終わった。私はここで、愛する人と、最高の親友たちと共に、この温かい居場所でずっと生きていくのだ。
このルナミス帝国の大公邸が、私にとっての『永遠の家』なのだと、心から確信できる、最高に穏やかな夕暮れだった。
*
しかし、世界は広い。
ルナミス帝国から遥か西に位置する、屈強な魔族たちが治める『アバロン魔皇国』。
その巨大な闘技場のVIP席で、魔皇国軍を束ねる将軍ルーベンスは、取り寄せたルナミス帝国の新聞を読みながら、ニヤリと鋭い牙を剥き出しにして呟いた。
「ルナミス帝国で、食えば疲労が吹き飛ぶ美味い『奇跡のレタス』が流行っているらしいな」
「……我が国の競馬の競走馬に食わせれば、大穴の連発間違いなしだ。なんとしても密輸しろ」
その一言が、大公邸を巻き込む次なる「魔皇国・競馬場編」の騒動の幕開けとなることを、誰もまだ知らなかった。
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