EP 8
「社交界崩壊!お祈りパニック(大ざまぁ)」
【阿鼻叫喚のコンペ会場】
帝国有数の一流ホテル『ルナミス・ロイヤル』の宴会場は、かつてない悲痛な嗚咽と絶望の叫び声に包まれていた。
華やかなシャンデリアの下、床に這いつくばっているのは、帝国の未来を担うはずのエリート貴族や、優秀なコンサル官僚、そして軍の若手将校たちである。
「う、うおおおっ……! マイページって何だぁぁ!? どうして俺は『動画選考のステップに進んだ者のみ』に選ばれなかったんだぁぁ!」
部屋の隅で、将来有望と噂されていた若きエリート官僚が、頭を抱えてのたうち回っていた。
彼が口にしてしまったのは、ボルドー伯爵が持ち込んだハーブの中に混じっていた【早期選考・お祈り種(サニーレタス風)】である。
『……本通知をもちまして、選考結果の案内と代えさせていただきます』
脳内に響いたその事務的なテレパシーが、彼のプライドを根底からへし折り、見えない「マイページ」を確認する特有の動悸を引き起こしていたのだ。
「俺は……俺はただの不合格じゃないんだ……!」
隣では、中堅のコンサル貴族が、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながらブツブツと呟いている。彼が食べたのは【中途採用・お祈り種(ロメインレタス風)】だ。
「『これまでの輝かしいご経歴は大変魅力的』だと褒められたんだ……ただ『技術的なミスマッチが極めて僅かにあった』だけだ! 俺のキャリアが全否定されたわけじゃない! データは責任を持って破棄されただけだぁぁっ……!」
絶妙なフォローが逆に大人の自尊心をえぐり、彼は膝を抱えて机の下――彼にとっての心の塹壕――に引きこもってしまった。
さらに悲惨なのは、自信に満ち溢れていたイケメンの若手将校である。
「お兄ちゃんみたいに安心できる……って、ただのキープじゃねえか!! 昨日の高級レストランのディナー代を返せえぇぇっ!!」
彼は激辛亜種である【お友達から種(サラダ菜風)】を食べてしまい、どれだけドレッシングをかけても消えない強烈な青臭さと切なさに、床を転げ回って号泣していた。
会場に満ちる、ビジネスとプライベートのあらゆる「お祈り(拒絶)」のトラウマ。
彼らはアナステシア世界のエリートであり、地球の就活やコンペの厳しさなど知る由もなかったが、その『絶望の波動』は、彼らの無意識下にある最も脆い部分を的確に破壊した。
パニックは連鎖し、我を忘れたエリートたちは「誰だ! こんな悪魔の植物を持ち込んだのは!」と怒りの矛先をただ一点へと向けた。
「ひぃぃっ! や、やめろ! 私ではない、これは大公邸の菜園から……!」
「言い訳など聞かん! 貴様らボルドー派閥のせいで、俺の輝かしい経歴は紙切れになったんだ!」
主犯であるボルドー伯爵とヴァイオレット伯爵は、完全に正気を失った(あるいはお祈りされてヤケクソになった)高位貴族や将官たちに取り囲まれ、物理的にも社会的にも徹底的な制裁を受けていた。
コンペの妨害、他者の菜園からの強奪、そして帝国首脳部の集団精神崩壊。
大公の軍事利権を奪うどころか、彼ら自身の派閥は一瞬にして灰燼に帰し、二度と社交界に顔を出せないほどの完全なる社会的な死――完璧な『自滅』を迎えたのである。
*
そんな帝都の阿鼻叫喚から遠く離れた、静かで平和な大公邸。
「ふふふっ、リン、お口の周りにクリームがついてるわよ」
「えへへ、だってこの『とろける極上プリン』、すっごく美味しいんだもん!」
中庭のテラスでは、私とリン、そしてヴァルキュリアさんが、優雅なティータイムを楽しんでいた。
テーブルには【善行ポイント通販】で取り寄せた絶品のプリンと、ヴァルキュリアさんが淹れてくれた香りの良い紅茶が並んでいる。
「アマネさん。あの『折れたス』を盗んでいった泥棒たち、今頃お腹いっぱい食べて、元気になっていると良いですね」
ヴァルキュリアさんが、純粋な慈愛の瞳で微笑んだ。
「え、ええ……そうですね。きっと、色んな意味で『元気』になっていると思いますわ」
私は引きつった笑顔を浮かべながら、心の中でそっと手を合わせた。
私にとっては致死毒レベルのトラウマ野菜も、異世界の人にとってはただの元気が出るサラダ……のはずだったが、泥棒たちが根こそぎ持っていってくれたおかげで、大公邸の菜園はすっかり平和を取り戻していた。
「――実に優雅な午後だな。私も混ぜてくれないか」
不意に、テラスの入り口から低く落ち着いた声が響いた。
振り返ると、そこには国境の軍事視察へ向かっていたはずの、漆黒の軍服に身を包んだオルフェウス様が立っていた。
「オ、オルフェウス様! お帰りなさいませ! 予定よりもずっとお早い帰還ですね」
私が慌てて立ち上がると、彼は微かに目を細め、静かな足取りで私の元へと歩み寄ってきた。
「ああ。視察は滞りなく終わった。それよりも、早く君の顔が見たくてな」
オルフェウス様は私の前に立つと、ごく自然な動作で私の腰を引き寄せ、その大きく温かい腕の中に私をすっぽりと閉じ込めた。
「ひゃっ……オ、オルフェウス様、ヴァルキュリアさんたちが見て……」
「構わないだろう。私は私の婚約者を愛でているだけだ」
彼は悪びれもせず、私の髪に口づけを落とす。リンは「お兄ちゃん、またお姉ちゃんにくっついてるー!」とケラケラ笑い、ヴァルキュリアさんは「はわわ……人間界の愛情表現は情熱的ですね」と顔を真っ赤にして両手で顔を覆っていた。
「アマネ」
オルフェウス様が、少しだけ声を潜めて私の耳元で囁いた。
「帝都で開かれていたコンペティションの会場で、信じられない騒動が起きたそうだ」
「え……騒動、ですか?」
私は(内心、嫌な予感を抱きながらも)小首を傾げてみせた。
「ボルドー伯爵と、君の父親であるヴァイオレット伯爵が、謎のハーブを持ち込んで会場を大パニックに陥れたらしい。食べた者たちが次々と『動画選考がどうの』『技術的なミスマッチがどうの』と泣き叫び、幼児退行してしまったそうだ」
「……」
「結果として、彼らの派閥は完全に崩壊した。大公邸への窃盗の罪も重なり、二度と表舞台には立てないだろう」
オルフェウス様は、私の肩を優しく抱き寄せ、その深い紫の瞳で私を見つめた。
「君は何も手を下していない。ただ、君の菜園から無断で盗みを働いた彼らの『強欲さ』が、彼ら自身を狂わせ、奈落へと突き落とした。……実に見事な自滅だな」
彼の言葉に、私はホッと胸をなでおろした。
誰も蹴落とさず、私はただトラウマ野菜を放置した(手放した)だけだ。結果的に、私を利用しようとした元実家も、大公邸を狙うハイエナたちも、自らの手で地獄の釜の蓋を開けて勝手に滅んでいった。
「私はただ……あのレタスが手元からなくなって、本当に清々しているだけですわ」
私が本音をポロリとこぼすと、オルフェウス様は低く声を立てて笑った。
「そうか。君が笑顔でいてくれるなら、過程などどうでもいい。これからは、私だけが君のすべてを守り、甘やかそう」
彼の甘い囁きと、私を包み込む絶対的な温もり。
そして、隣でプリンを頬張る親友たち。
前世で限界OLだった私の心は、今、間違いなくこの世界で一番の幸福で満たされていた。
ざまぁの殺伐とした空気はもう欠片も残っていない。ただ、この温かい居場所で、大好きな人たちと共に生きていく。その確かな幸せに、私の胸は甘く、静かに高鳴り続けていた。
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