EP 7
「コンペティションの悲劇(最終面接お祈り種の恐怖)」
ルナミス帝国の首都、帝都の社交界において、年に一度の『兵糧および医療物資コンペティション』は、最も華やかで、かつ最も権謀術数が渦巻く重要なイベントだった。
帝国軍に供給するレーションの枠を勝ち取れば、その商会や派閥は向こう十年の莫大な利権と富を手にする。そのため、会場となる一流ホテル『ルナミス・ロイヤル』の宴会場には、大陸中の商社と高位貴族たちがこぞって詰めかけていた。
会場の空気は、張り詰めた緊張感と、成功への欲望で満ちている。
中央に設けられた審査会場には、帝国軍の兵站担当将官たちと、軍部の権力者たちがずらりと顔を揃えていた。
「ふふ、見たかヴァイオレット伯。会場の連中、我々が持ち込んだあの『奇跡のハーブ』に目を奪われておるわ」
会場の隅で、ボルドー伯爵が勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
テーブルの上には、大公邸から強奪してきた『折れたス』の最高級品種が、銀のトレイに美しく盛り付けられている。見た目は普通の瑞々しいレタスだが、そこに漂う神秘的なオーラは、他のどの出品物をも圧倒していた。
「ええ、ボルドー伯。大公閣下は軍事視察で不在。コンペの審査員を務める軍の高官たちは、このハーブの持つ『疲労回復』と『驚異的な治癒力』の噂をすでに知っております。……我々の勝利は揺るぎません」
ヴァイオレット伯爵もまた、アマネから強奪した「利権」でどれほどの富が手に入るかを想像し、口元を歪ませていた。
審査が始まる。
多くの商会が、ドワーフ製の魔導保存技術を使った高級品を出品していく中、ボルドー伯爵派閥のターンがやってきた。
「帝国軍の皆様、並びに審査員の皆様。我が派閥が自信を持って提供するのは、大公邸の菜園から独自に入手した……伝説の『聖レタス』であります!」
ボルドー伯爵の自信満々な口上に、会場がどよめいた。
軍の上層部たちは「噂の奇跡のハーブか」「まさか大公邸の秘宝が手に入るとは」と、興味深げに立ち上がる。
「これを食せば、日々の激務による疲労は霧散し、闘気は爆発的に高まるでしょう!」
ボルドー伯爵は、審査員長である老将軍の目の前に、あの『特別に大きく育った極上の折れたス』を差し出した。
審査員長は、その瑞々しい葉に手を伸ばし、一口分を千切ると、周囲の期待を一身に浴びながら口に運んだ。
会場の全員が、その瞬間を固唾を飲んで見守っていた。
一口。二口。
審査員長の表情が、みるみるうちに変わっていく。
――次の瞬間、審査員長の脳内に、直接、地獄の扉が開かれた。
『……大変甲乙つけがたい優秀な成績ではございましたが、採用枠の兼ね合いから、誠に遺憾ながら……』
「――っ!?」
審査員長は、一口食べたまま動きを止めた。
その瞳から、みるみるうちに生気が失われていく。
これはただの味覚の感想ではない。自身のこれまでの軍人人生の誇り、積み上げてきた階級、あるいは、かつて出世競争で敗れた時のあの屈辱が、脳内で直接再生されたのだ。
「……そ、そんな……まさか……」
審査員長は手からフォークを落とし、椅子に崩れ落ちるように座り込んだ。
会場に緊張が走る。「一体、どうしたのだ!?」と囁きが広がる中、ボルドー伯爵は余裕の笑みを崩さない。
「ははっ、どうだ将軍! その凄まじい衝撃に言葉を失ったか!」
彼は状況を全く理解していない。審査員長が味わっているのは、ただの野菜の旨味ではなく、人生の敗北を告げられる時のあの「お祈りメール」の絶望だということに。
異変は、審査員長だけにとどまらなかった。
審査員の席に座っていた他の将官たちも、好奇心に負けて次々とその『折れたス』を試食してしまったのだ。
『……今回はご縁がございませんでしたが、データは弊社にて責任を持って破棄いたします』
『……貴殿のこれまでの輝かしいご経歴は大変魅力的ではございますが、今回お求めているポジションの要件と、技術的なミスマッチが極めて僅かにございました』
次々と響く絶望のテレパシー。
会場の審査員席では、帝国軍を代表する最高クラスの将官たちが、まるで魂を抜かれた操り人形のように次々と力なく崩れ落ちていく。
「な、何をしているのだ貴様ら! 何か言え! 我々の優勝は決定したのだろう!」
ボルドー伯爵が焦って審査員長の肩を掴む。だが、将軍は虚ろな目で空を見つめたまま、ただ呟いた。
「……もう……頑張る意味など……ないのだ……」
その場にいた貴族たち、他の商会の代表者たちも、この異様な光景に耐えきれず、野次馬根性で次々とそのレタスを奪い合い、口にしてしまった。
『……今回のプロジェクトの毛色とは合わなかったみたいで……。紹介してくれたこと自体は本当に感謝してるから!』
「ぎゃああああっ!!」
会場中のあちこちから、悲鳴にも似た叫びが上がる。
自信満々だった大商人たちが、一流のコンサル官僚たちが、次々と「落選」の絶望に打ちのめされ、その場に膝から崩れ落ちていく。
自分たちが積み上げてきたキャリア、世間体、そして未来の希望が、その野菜の一口でことごとく「お祈り」されたのだ。
会場は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
軍の将官たちは「俺の軍人人生は無価値だ!」と叫んで柱に頭を打ち付け、貴族たちは「なぜ、なぜ私だけがご縁がないのだ!」と床を転げ回っている。
「ど、どういうことだ……!? なぜ、成功するはずのハーブで全員が廃人になっているんだ!?」
ボルドー伯爵とヴァイオレット伯爵は、冷や汗をダラダラと流しながら、震える足で会場の出口を探していた。彼らだけは、幸か不幸かまだ食べていなかったのだ。
「ぼ、ボルドー伯……。これは一体、どういう嫌がらせなのですか……。アマネの野郎、毒でも盛ったのでは!?」
「わ、わからん! だが、もしこの惨状が露見すれば、我々は『帝国軍のコンペを精神攻撃で妨害した反逆者』として処刑されるぞ!」
二人は、自分たちの強欲が招いたこの地獄から逃げ出そうと、必死に会場の裏口へと駆け込んだ。
しかし、運悪く(あるいは必然として)、裏口の先では、軍事総会を視察に来ていたオルフェウス大公の護衛騎士たちが、異変を聞きつけて集まってきていた。
「――止まれ! 何をしている!」
騎士たちが抜き放った剣の先には、麻袋から溢れ出した『折れたス』と、顔面蒼白のボルドー伯爵、ヴァイオレット伯爵の姿があった。
「お、オルフェウス閣下! 違うのです、これは……これは大公邸の菜園から、その……適正に許可を得て……!」
ヴァイオレット伯爵が、支離滅裂な言い訳を口にする。
だが、その背後では、今まさに会場から這い出してきたコンペの審査員長――帝国軍屈指の猛将が、血走った目で彼らに掴みかかった。
「貴様ら……!! 貴様らが持ってきたあの……あのお祈り野菜のせいで、俺は、俺は一生懸命積み上げてきた勲章を……っ!!」
猛将の拳が、ボルドー伯爵の顔面に深くめり込む。
会場からあふれ出した「落選」の絶望に囚われた猛者たちによる、理不尽なまでの制裁が今、開廷した。
*
一方、そんな阿鼻叫喚のコンペ会場から遠く離れた大公邸では。
アマネは、オルフェウス様と一緒に、庭園のベンチで優雅にお茶を楽しんでいた。
「アマネ。明日の軍事総会の結果だが……どうやら、コンペ会場で前代未聞の騒ぎが起きているらしい」
オルフェウス様が、帝都からの緊急報告書を読みながら、呆れたように苦笑した。
「……何があったのですか?」
「ボルドー伯爵とヴァイオレット伯爵が、コンペに『例のハーブ』を持ち込んで悪事を働こうとしたらしいのだが……会場の審査員たちがそのハーブを食べて、次々と精神的なダメージを受けて倒れ込み、会場がパニックになったそうだ」
彼は私の瞳をじっと見つめ、その不器用で、けれど情熱的な愛情を宿した紫の瞳を細めた。
「君の配慮のおかげで、彼らは『自分たちが何をしたのか』を、身体的にも精神的にも、最も深く思い知る羽目になった。……実に効率的で、見事な自滅だな」
オルフェウス様は私の指先に、熱い口づけを落とす。
「君は何もしていない。ただ、彼らの強欲さが彼ら自身を奈落へ突き落としただけだ。……実に美しい、解決策だ」
私は、彼の言葉に甘く胸をときめかせながら、空を見上げた。
遠く帝都の方角から、貴族たちの絶望の悲鳴が聞こえてくるような気がしたけれど、それは私の知ったことではない。
私は今日もお茶を淹れ、大切な親友と、最愛の婚約者と共に笑い合っている。
誰も蹴落とさず、ただ善く生きるだけで、私の人生はこんなにも温かくなった。
「ねえ、アマネお姉ちゃん。明日の夜は、また美味しいお菓子を食べようね!」
「ええ、もちろんよ。リン」
私は二人の温もりに包まれながら、静かに目を閉じた。
前世の搾取の記憶なんて、もうこれっぽっちも残っていない。私の人生は、今、間違いなく、最高に甘く、幸せな日々へと塗り替えられている。
――けれど、そんな平和な大公邸に、次の嵐の予感が舞い込もうとしていた。
帝国軍の通信石に、遠く離れた『アバロン魔皇国』の将軍、ルーベンスからの緊急の「密輸依頼」の信号が届いたという報告を、オルフェウス様が部下から受け取ったのは、そのすぐ後のことだった。
「ルーベンスめ……魔皇国まで『折れたス』の噂が届いたか。……アマネ、次は異国の美食家たちがやってくるぞ。君は、準備をしておいた方がいいかもしれないな」
大公の言葉に、私はリンと顔を見合わせ、苦笑した。
この『お祈りレタス』が、国境を越えて魔族たちの間でも大パニックを引き起こす未来を想像して、私は小さく深呼吸をする。
どんな嵐が来ても、大丈夫。
私には、守ってくれる人がいるのだから。
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