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婚約破棄されたので、辺境で善行通販をしたら冷酷な大公に溺愛されました~無能令嬢は、癒やしの力で国を動かす~  作者: 月神世一


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EP 5

「すり寄ってくるハイエナたち」

 爽やかな朝の光が差し込む大公邸のエントランス。

 私は、出立の準備を整えたオルフェウス様の前に立っていた。

「アマネ。国境の視察は数日で終わらせて、すぐに帰る。……本当は、君を一日たりとも手放したくはないのだが」

 漆黒の軍服に身を包んだオルフェウス様が、名残惜しそうに私の髪を撫でた。

 周囲には大公邸の騎士たちや、リン、そしてヴァルキュリアさんが見送りのために並んでいるというのに、彼は悪びれる様子もなく、私の腰をそっと引き寄せる。

「オ、オルフェウス様。皆様が見ていますから……」

「私の妻になる女性を愛でて、誰かに咎められる理由はないだろう?」

 彼は低く甘い声で囁くと、私の額に誓うように口づけを落とした。

 前世では、誰かにこんなにも求められ、大切にされる朝が来るなんて想像すらしていなかった。彼の絶対的な温もりと愛情が、私の胸をじんわりと満たしていく。

「お兄ちゃん、いってらっしゃい! お姉ちゃんは私が守ってるからね!」

 リンが元気よく手を振ると、オルフェウス様は微かに口角を上げ、「頼んだぞ」と頷いた。

「では、行ってくる。留守の間、何か困ったことがあれば、遠慮なくヴァルキュリア殿や騎士団長を頼るように」

 オルフェウス様が馬車に乗り込み、重厚な正門を抜けていくのを見送った後。

 私は、ふぅ、と小さく息を吐き出した。

「さて。オルフェウス様も出立されましたし、今日もお屋敷の皆さんと……」

「――おい! 門を開けろ! 私はアマネの父親であるぞ!」

 平穏な朝の空気を切り裂くように、正門の向こうからけたたましい怒声が響いた。

 振り返ると、そこには見覚えのある恰幅の良い中年男性――私の元実家であるヴァイオレット伯爵と、さらに見知らぬ豪奢な服を着た貴族の姿があった。

「あれは……お父様?」

「アマネさん、お知り合いですか?」

 不思議そうに首を傾げるヴァルキュリアさんに、私は小さく頷いた。

 ヴァイオレット伯爵は、エギル少将からの援助金目当てに、私を「1馬力の無能」と見下しながら婚約者として売り飛ばした張本人だ。エギルが自滅して左遷されたことで援助が打ち切られ、実家はかなり困窮していると噂には聞いていたが、まさか大公邸に直接乗り込んでくるとは思わなかった。

「騎士団長、構いません。門を開けてください」

 私の言葉に、騎士たちは不満げな顔をしながらも重い鉄格子を開いた。

「ふん! 大公閣下が不在だからと、ずいぶんと待たせてくれたではないか!」

 ずかずかと庭園に足を踏み入れたヴァイオレット伯爵は、私を見るなり見下すような鼻を鳴らした。その後ろには、農務を司る高位貴族・ボルドー伯爵がいやらしい笑みを浮かべて続いている。

「お久しぶりです、お父様。このような朝早くに、どのようなご用件でしょうか?」

 私は一切の感情を交えず、淡々と問いかけた。

 かつての私なら、実家の父親に逆らえば見捨てられると怯えていたかもしれない。けれど、前世のトラウマを乗り越え、この大公邸で絶対的な居場所と味方を得た今の私には、彼の威圧など微風にも等しかった。

「用件など決まっておるだろう! 聞いたぞアマネ。お前、この大公邸の菜園で『奇跡のハーブ』とやらを育てているそうだな。食べた者の疲労を完全に取り除き、万病に効くという噂だ!」

 ヴァイオレット伯爵は、血走った目で私を睨みつけた。

「お前のような1馬力の無能が、まともな管理などできるはずがない! そこで、父親である私が、親心としてそのハーブの利権を管理してやろうと足を運んだのだ。隣におられるボルドー伯爵の販路を使えば、莫大な利益になるからな!」

「はっはっは。大公閣下も、あのような無能な娘に菜園を任せるとは、ずいぶんと物好きであられる。我々が引き取って差し上げるのが、国のためというものだ」

 ボルドー伯爵も、横から傲慢に同調する。

 彼らの言葉を聞いて、私は思わず呆れ果ててしまった。

 娘の心配をするふりをして、その実、私の育てた野菜の権利を根こそぎ奪い、自分たちの懐を潤そうとしているのだ。前世のブラック企業で、私の企画書を「俺が管理してやる」と言って奪っていった上司と全く同じ手口である。

「お断りします」

 私は、冷ややかな瞳で即答した。

「な、なんだと!?」

「あの菜園は、オルフェウス様が私に任せてくださったものです。それに、私はもうヴァイオレット伯爵家とは縁を切った身。あなた方に利権を渡す理由がありません」

「き、貴様! 父親に向かってその態度はなんだ! お前のような利用価値のない道具、私が拾ってやらなければ野垂れ死んでいたのだぞ!」

 激昂したヴァイオレット伯爵が、ずかずかと私に歩み寄り、腕を振り上げた。

 だが、その手が私に届くことはなかった。

「――お姉ちゃんに触ったら、黒焦げにするよ」

 バチバチバチッ!!

 リンが私の前に立ち塞がり、全身から黄金色の凄まじい雷光を放ったのだ。

 さらには、ヴァルキュリアさんが音もなくヴァイオレット伯爵の背後に回り込み、冷たく光る聖槍グラニの穂先を、彼の首筋にピタリと突きつけていた。

「ひっ……!?」

「我が友を愚弄する言葉、天界の監査官として見過ごすわけにはいきません。次の一歩を踏み出せば、1億ボルトの雷撃で塵に変えますよ」

 ヴァルキュリアさんの絶対零度の声に、二人の伯爵は顔面を蒼白にし、ガチガチと歯を鳴らした。

「リ、リン、ヴァルキュリアさん。ありがとう、もう大丈夫よ」

 私は二人を制し、腰を抜かしかけている父親たちを見下ろした。

 大公邸で栽培されている『奇跡のハーブ』。

 それは確かに、異世界の人にとっては疲労を完全に取り除く神の野菜だ。だが、私にとっては前世の就活トラウマ――「お祈りメール」の絶望を脳内に直接響かせる、最悪の『折れたス』に他ならない。

 あんな致死毒レベルのトラウマ野菜を、金儲けのために欲しがるなんて。

 怒りよりも先に、深い哀れみが込み上げてきた。

「……お父様、ボルドー伯爵。私は、あのハーブの利権をお渡しするつもりはありません」

 私は、ふわりと慈愛に満ちた(そして少しだけ不気味な)笑みを浮かべた。

「ですが……もしも、あなた方がどうしてもあのハーブを『自分の力』で手に入れたいとおっしゃるのなら、私には止める権利はありませんわ。大公邸の警備は厳しいですが、お好きになさるとよろしいでしょう」

「な、何を言っている……?」

 ヴァイオレット伯爵は、私が何を意図しているのか分からず、困惑の表情を浮かべた。

「ふん! 強がりを言いおって。ボルドー伯、行きましょう。こんな無能女と話しても時間の無駄だ!」

 捨て台詞を吐き、二人は逃げるようにして大公邸の正門から去っていった。

 彼らの背中には、「大公がいない今夜あたり、隠密を使って根こそぎ奪ってやる」という浅ましい強欲さが透けて見えていた。

「アマネさん。あんな下劣な者たち、なぜ追い返しただけで済ませたのですか? 私の一突きで制裁を加えることもできましたが……」

 ヴァルキュリアさんが、聖槍を収めながら不満そうに口を尖らせた。

「ええ。それに、あの人たち、絶対に夜に泥棒に入ってくるよ!」

 リンも鼻息を荒くしている。

「ふふっ、いいのよ。彼らは自分たちの傲慢さゆえに、自ら地雷を踏みに行くだけだから」

 私は、青々と育った『折れたス』の菜園を見つめながら、静かに呟いた。

 私が手を下すまでもない。

 彼らが強欲にあのレタスを奪い、そして一口でも口にした瞬間。彼らは、社会人としてのプライドを根底からへし折る「絶望のテレパシー」の餌食となるのだから。

「……もしお持ちになるなら、食べるときはくれぐれも、気を付けてくださいね」

 私は誰に聞こえるでもなく、甘い囁きのように警告をこぼした。

 自分たちを待ち受ける自滅の未来など知る由もない愚か者たちの末路を思い、私の心はどこまでも凪いだ水面のように穏やかだった。

お読みいただきありがとうございます!


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