EP 4
「脳内に響くお祈りメール。それは絶望の味」
翌朝。
爽やかな日差しに誘われて大公邸の裏庭へ向かった私たちは、菜園の前で揃って息を呑んだ。
「お姉ちゃん、これ……昨日植えた種だよね!?」
「ええ……一晩で、こんなに大きくなるなんて……」
昨日、私とリン、そしてヴァルキュリアさんの三人で植えたシークレットアイテム『折れたスの種』。
それが、たった一晩のうちに、見事なまでに青々とした巨大な玉レタスへと成長していたのだ。しかも一つや二つではない。菜園の一角が、瑞々しい緑色の葉で完全に覆い尽くされている。
「素晴らしい……! これほど生命力に溢れた植物は、天界の神殿の庭園でも見たことがありません!」
薬草栽培が趣味のヴァルキュリアさんが、感動に打ち震えながら『折れたス』の葉にそっと触れた。
「葉の表面から、微弱ですが確かな魔力――いえ、何か不思議な波動を感じます。アマネさん、これはきっと、並外れた薬効を秘めた奇跡のハーブに違いありません」
「そうね。とても美味しそうだし、今日の朝食のサラダにしてみましょうか」
私はポイント通販のアイテムがもたらした予想以上の大豊作に喜びながら、丸々と太った『折れたス』をいくつか収穫し、厨房へと向かった。
*
「ふふふっ、瑞々しくて美味しそう」
厨房の調理台に『折れたス』を乗せ、私は包丁を構えた。
外側の葉を一枚千切ろうと、葉の根元に指をかけた、その瞬間だった。
『……慎重に選考を重ねました結果、誠に残念ながら、今回は採用を見送らせていただくこととなりました。なお、今後のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます』
「――っ!?」
ビクンッ!! と私の全身が跳ねた。
鼓膜を通さず、脳内に直接、冷たくて事務的な女性の音声が響き渡ったのだ。
「えっ……? な、なに……今の……」
私は包丁を取り落とし、顔面を蒼白にさせた。
この定型文。この事務的なトーン。この、すべてを否定されたような絶望感。
忘れるはずがない。前世でブラック企業に入社する前、就職氷河期に50社以上から叩きつけられた、あの恐怖の『お祈りメール』の文面そのものだった。
「気のせい……よね?」
震える手で、もう一度『折れたス』の葉を千切ろうとした。
『……ご提出いただきました書類を拝見し、慎重に選考を行いました。貴女様のこれまでの輝かしいご経験は大変魅力的ではございますが、今回はご縁がございませんでした――』
「ああああぁぁぁぁっ!!」
私は頭を抱えて、その場にうずくまった。
ダメだ。これはキツい。物理的なダメージはゼロなのに、精神の柔らかい部分を、鋭利な刃物で直接えぐられるようなダメージ。
前世で、祈られすぎて自分が社会の粗大ゴミだと錯覚し、公園のベンチで一人泣き崩れたあの日の記憶が、鮮明にフラッシュバックしてくる。
「ア、アマネさん!? どうしたのですか、急に倒れ込んで!」
驚いたヴァルキュリアさんが慌てて駆け寄ってくる。
「ヴァルキュリアさん……このお野菜、ダメです……。心を、過去のトラウマを直接攻撃してきます……っ」
「心を攻撃? そんな、この神々しい葉から邪悪な気配など一切……。私が毒見をしてみます!」
健康オタクの血が騒いだのか、ヴァルキュリアさんは『折れたス』の葉を豪快に一枚千切り、そのままシャリッと口に運んだ。
『……誠に残念ながら、今回は採用を見送らせていただくこととなりました。なお、今後のご健勝と――』
ヴァルキュリアさんの動きがピタリと止まる。
「ヴァ、ヴァルキュリアさんっ! 吐き出して!」
「……なんという、礼儀正しい植物なのでしょう」
「えっ?」
ヴァルキュリアさんは、頬を赤らめて恍惚とした表情を浮かべていた。
「私のことを『慎重に選考』してくれた上で、丁寧に断りを入れてくるだけでなく、今後の健勝と活躍まで祈ってくれるとは……! ルチアナ様の『えー、ヴァルキュリアやっといてー。よろー』という雑な丸投げに比べれば、このお野菜の言葉は、なんと心に染み渡る慈愛に満ちていることか!」
「そ、そこに感動するの!?」
お祈りメールの文化がないアナステシア世界の住人からすれば、この絶望のテレパシーは、単なる「すごく丁寧で礼儀正しい励ましの声」にしか聞こえないらしい。
「それに、この葉の微かな青臭さと苦味……。これは、間違いなく最高級の薬効成分です!」
ヴァルキュリアさんの体が、ふわりと淡い光に包まれた。
「素晴らしい……! 連日の激務と監査で溜まっていた疲労が、一瞬で吹き飛びました! 体の中から力が湧き上がってきます! アマネさん、これは奇跡のハーブです!」
「お姉ちゃん、私も食べるー!」
横からひょいと葉をつまみ食いしたリンも、シャクシャクと咀嚼して目を輝かせた。
「うわぁ! なんか頭の中で知らない女の人が謝ってるけど、お口の中がすっきりして、すっごく元気が出たよ!」
――なるほど。
地球の限界OLだった私にとっては、古傷をえぐられる致死毒レベルのトラウマ野菜だが、異世界の人たちにとっては、ただの「元気が出る礼儀正しいサラダ」でしかないのだ。
「……そ、そういうことなら、皆さんの健康のために出しましょうか。私は、絶対に食べないけれど……」
私は引きつった笑顔を浮かべながら、耳栓をして(効果があるかは分からないが)、無心で『折れたス』を千切ってサラダのボウルに盛り付けた。
その日の朝食。
大公邸の食堂では、サラダを食べたメイドや護衛騎士たちの間で、奇妙な歓声が上がっていた。
「おおっ!? なんか頭の中で『ご縁がありませんでした』って振られた気がしたけど、肩の痛みが完全に消えたぞ!」
「私なんて『輝かしいご経歴ですが』って褒められちゃった! おまけに、お肌がツルツルになってる!」
皆、テレパシーの音声には少し戸惑っていたが、それを遥かに上回る圧倒的な疲労回復・デバフ解除効果に大喜びしていた。
ガチガチの軍人屋敷だった大公邸の人々は、日々の職務で少なからず疲労を溜め込んでいる。『折れたス』は、そんな彼らの体を癒やす究極の健康食品として、大公邸の朝の定番メニューに採用されることになった。
私は彼らが美味しそうに食べるのを温かい目で見守りながら、自分は無難な温野菜だけを口に運んだ。
誰も蹴落とさないし、自分だけが利益を独占することもない。私が取り寄せた種で、屋敷の皆が健康に、笑顔になってくれるなら、それが一番の幸せだ。
――しかし。
大公邸で『食べた者の疲労を完全に取り除き、怪我をも治す、喋る奇跡のハーブ』が栽培されているという噂は、使用人たちの口の端に上り、あっという間に帝都の貴族社会へと漏れ伝わってしまったのである。
*
【幕間:すり寄ってくるハイエナたち】
帝都の一等地に構える、農務を司る高位貴族・ボルドー伯爵の屋敷。
薄暗い応接室に、腹を突き出した恰幅の良いボルドー伯爵と、もう一人――アマネの元実家の当主である、ヴァイオレット伯爵が顔を突き合わせていた。
「聞いたか、ヴァイオレット伯。例のオルフェウス大公の屋敷で、どんな病も治す『奇跡のハーブ』の栽培に成功したらしいぞ」
「ええ、聞いておりますとも。……しかも、そのハーブを育てているのは、我が家から追放されたあの『1馬力の無能』、アマネだというではありませんか」
ヴァイオレット伯爵は、憎々しげに鼻を鳴らした。
エギル少将からの援助金目当てに娘を売り飛ばした彼は、エギルが左遷され、援助が打ち切られたことで深刻な資金難に陥っていた。
「大公閣下も焼きが回られた。あのような無能女を囲うだけでなく、屋敷の菜園を使わせるとはな」
ボルドー伯爵がいやらしい笑みを浮かべる。
「ちょうど来週、帝国軍の『兵糧および医療物資コンペティション』が開催される。そこに、あの『奇跡のハーブ』を我が派閥の農産物として提出できれば……大公の軍事利権を一つ奪い取り、我々が莫大な利益を得ることができる」
「おお! それは素晴らしい名案ですな!」
ヴァイオレット伯爵は身を乗り出した。
「あのアマネは、私に絶対服従の気弱な娘です。私が父親として『大公邸の菜園の権利を寄越せ』と一喝すれば、泣いて権利書を差し出すに決まっております。あの女は、利用されるしか能のない道具ですからな」
「クククッ……よろしい。大公は今、国境の視察で数日屋敷を空けていると聞く。大公がいない間に、あの小娘を脅しつけ、ハーブの株と種をすべて回収してしまおう」
二人の貴族は、ワイングラスを掲げて下劣な笑い声を上げた。
彼らは知らなかったのだ。
大公邸の菜園に実っているその『奇跡のハーブ』が、他人の手柄を横取りし、弱者を搾取することしか頭にない傲慢な貴族にとって、どれほど致命的で、最悪の『精神破壊兵器』であるかを。
自らの強欲さゆえに地雷原へと足を踏み入れる彼らの自滅のカウントダウンは、すでに静かに始まっていた。
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