EP 3
「新農産物【折れたス】の種、バグ発注」
大公邸のサロンは、温かな日差しと、甘い焼き菓子の香りに包まれていた。
テーブルの上には、私が【善行ポイント通販】で取り寄せた地球の『アールグレイの紅茶』と、『バターたっぷりのフィナンシェ』が並べられている。
「んん〜っ! このお菓子、外はサクッとしてるのに、中はジュワッと甘くてすっごく美味しい!」
「本当に……。天界の果実よりも、ずっと心が安らぐ味がします」
満面の笑みでフィナンシェを頬張るリンの隣で、純白の翼を畳んだヴァルキュリアさんが、上品に、けれど心底幸せそうに紅茶のカップを傾けていた。
彼女が天界からの監査官として、凄まじい雷光と共にこの庭園に降り立ってから数時間。
私の差し出した『高性能胃腸薬』と『カモミールミルクティー』によって、彼女の殺気は完全に霧散し、今ではすっかり大公邸のお茶会メンバーとして馴染んでしまっている。
前世のブラック企業時代、女性社員だけの休憩室といえば、陰口と派閥争いが渦巻く地獄のような空間だった。誰かのミスを笑い、自分の有能さをアピールするだけの息の詰まる時間。
それに比べて、今のこの時間はどうだろう。神界の長官と、伝説の第六聖獣、そして1馬力の無能令嬢というカオスな面子でありながら、ここにあるのはただ純粋な「美味しいね」「楽しいね」という温かい感情だけだった。
「ヴァルキュリアさん、よろしければこれを使ってみてください。さっきお話ししていた、手荒れに効くお薬です」
私は、地球の『高保湿・無香料ハンドクリーム』のチューブを彼女に手渡した。
「これが、手荒れに……? アマネさん、本当にありがとうございます」
ヴァルキュリアさんは恐る恐るクリームを手の甲に出し、そっと塗り広げた。その瞬間、彼女の美しい瞳がパァッと輝いた。
「すごい……! スーッと肌に馴染んで、カサカサしていた部分が嘘のように潤っていきます! それに、ベタつかないから、このまま聖槍グラニを握っても滑りません!」
「気に入っていただけて良かったです」
私が微笑むと、ヴァルキュリアさんは少しだけ俯き、もじもじと指先を絡ませた。
「……あの、アマネさん、リンちゃん。私……怖くなかったですか?」
「え?」
「私、天界では規律を重んじるあまり、つい厳しい態度をとってしまって……。ルチアナ様や部下の天使たちからも、『ヴァルキュリアは真面目すぎて怖い』と思われているのではないかと、ずっと気になっていたんです。最近、若い天使たちが人間界へ旅行に行ったきり帰ってこないのも、私のせいなのではないかと……」
最強の聖騎士である彼女の口から零れたのは、中間管理職らしい、あまりにも切実で等身大の悩みだった。
17歳(自称)の美しい顔を曇らせてしゅんとする姿は、怖さとは程遠く、むしろ庇護欲をそそられる。
「金ピカお姉ちゃん、最初は雷ビリビリですっごく怖かったよ!」
リンが、フィナンシェを飲み込んで無邪気に言い放った。ヴァルキュリアさんの肩がビクッと跳ねる。
「で、でもね!」
リンはにっこりと笑い、ヴァルキュリアさんの手をギュッと握った。
「今は、お茶とお菓子を一緒に食べてくれる、すっごくいい匂いのお姉ちゃんだよ! だから、私は好き!」
「リ、リンちゃん……っ」
「私も、リンと同意見ですよ」
私もリンの言葉に頷き、ヴァルキュリアさんの背中を優しく撫でた。
「一生懸命にお仕事に向き合っているからこそ、厳しくなってしまうんですよね。でも、あなたのその根底にある『慈愛』は、こうしてお話ししていればちゃんと伝わってきます。だから、そんなに自分を責めないでくださいね」
「アマネさん……っ、うぅっ、ありがとうございます……!」
ヴァルキュリアさんは感激のあまり、またしてもポロポロと涙をこぼした。
天界の激務とストレスで孤独だった彼女の心に、私たちの「見返りを求めない優しさと友情」が、深く染み込んだ瞬間だった。
『チャリン♪』
『チャリン♪』
『チャリリリリリンッ!!』
その時、私の脳内で、これまで聞いたことのないような連続した電子音が鳴り響いた。
(えっ!?)
慌てて【善行ポイント通販】のウィンドウを開くと、画面上のポイントメーターが凄まじい勢いで上昇し、ついにMAXの数値を叩き出していた。
この数日間、大公邸の皆を癒やし続けた蓄積と、何より「天界の最高幹部を疲労と孤独から救済した」という超特大の善行が、システムに莫大なポイントをもたらしたらしい。
【善行レベルが上限に達しました。シークレットアイテムが解禁されます。】
ウィンドウの画面がパッと切り替わり、金色に輝く一つの商品が現れた。
「シークレットアイテム……? 『折れたスの種』……?」
そこには、地球のレタスの種のような小さな袋のイラストが表示されていた。
説明文にはこう書かれている。
『地球の最新品種と、アナステシア世界の魔力が融合した奇跡のハーブ野菜。食べた者に、人生の深い教訓と絶望をテレパシーで伝えます。※極めて高い疲労回復効果アリ』
人生の教訓と絶望? なんだか不穏な文言だが、疲労回復効果があるハーブなら、大公邸の皆の健康管理に役立つかもしれない。
「どうしたのですか、アマネさん?」
「あ、いえ。実は私、少し珍しいハーブのお野菜の『種』を手に入れまして。疲労回復に効くらしいのですが……」
「ハーブの種ですか!?」
私が説明するや否や、ヴァルキュリアさんがガタッと立ち上がった。
「私、天界での唯一の趣味が薬草栽培なんです! ぜひ、その種の栽培、私にもお手伝いさせていただけませんか!?」
「私もやるー! お水あげる!」
リンも両手を挙げてぴょんぴょんと跳ねる。
「ふふっ、ありがとう。じゃあ、みんなで裏庭の菜園に植えに行きましょうか」
こうして私たちは、サロンでのお茶会を切り上げ、ポカポカとした陽気の裏庭の菜園へと向かった。
私はポイントで『折れたスの種』を実体化させ、ヴァルキュリアさんが手際よく土を耕し、リンが小さなジョウロで水を撒く。
三人で土にまみれながら笑い合う時間は、なんとも平和で、温かい友情に満ちていた。
「これでよし、と。どんなお野菜が育つのか、楽しみですね」
ヴァルキュリアさんが、満足げに土の表面をポンポンと叩く。
「ええ。皆が元気になるような、美味しいお野菜だといいのだけれど」
私も、土の中で眠るその小さな種に向かって、成長を願って優しく微笑んだ。
誰も蹴落とさない。戦わない。
ただ、大公邸にやってきた新しいお友達と一緒に、ささやかな菜園作りを楽しんだだけ。
――しかし。
この『折れたス』という魔農産物が、地球の「ある特定のトラウマ」をアナステシア世界に持ち込み、やがて大公邸を狙うハイエナのような貴族たちを、自滅という名の「精神的廃人」へと追い込む最悪のトリガーになることを、この時の私たちは知る由もなかった。
*
その日の夜。
皆が寝静まった大公邸の裏庭で。
私たちが植えた『折れたス』の種を埋めた土壌から、ボワァァァッ……と、不気味な青白いオーラが立ち昇り始めていた。
通常の植物の何百倍もの速度で芽を出し、葉を広げていくその野菜からは、微弱ながらも、確かな「怨念」のようなテレパシーが漏れ出している。
『……慎重に、選考を、重ねました、結果……』
『……誠に、残念ながら……』
それは、地球の就活生や社会人たちの心をへし折ってきた、あの「お祈りメール」の絶望の波動。
恐怖の精神破壊型ハーブが、大公邸の菜園で、静かに、そして爆発的にその葉を広げていた。
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