EP 2
「降臨した最強の聖騎士、地球の胃薬に屈する」
ゴゴゴゴゴッ……!!
大公邸の庭園に、黄金の光柱が降り注ぐ。
舞い降りたのは、純白の翼と白銀の甲冑を纏った、絵画から抜け出たような美しい女性だった。頭上には神々しい光輪が輝き、その手に握られた聖槍グラニからは、チリチリと青白い雷光――1億ボルトとも言われる神気が漏れ出している。
「……天界監査局、ならびに天使族長ヴァルキュリア。特定座標への降臨を完了しました」
彼女の低く冷徹な声が響き渡ると、庭園の空気がビリビリと震え、凄まじい重圧となって私たちにのしかかってきた。
「アマネ様、お下がりください! 何者かは存じませぬが、ただの者ではありません!」
大公邸の護衛騎士たちが、必死に闘気を振り絞って私の前に立ち塞がる。
「お姉ちゃんに近づくな!」
私の隣では、リンが小さな拳を握りしめ、黄金色の雷光を纏って威嚇の体勢に入った。第六聖獣『麒麟』である彼女は、相手が天界の使者であろうと一切怯む様子はない。
一触即発の空気。
ヴァルキュリアと呼ばれたその天使は、冷ややかな視線で私たちを見下ろし、ゆっくりと聖槍を構えた。
「無駄な抵抗はおやめなさい。私は、この屋敷から検知された『天界予算の不正アクセス(バグ)』を粛清しにまいりました。……さあ、大人しくその不正な端末を――」
彼女が凛とした声で宣告し、一歩前に踏み出した、その瞬間だった。
「うっ……!?」
突如、ヴァルキュリアの顔が苦痛に歪んだ。
彼女は構えていた聖槍をガシャンと地面に取り落とし、両手で自分のみぞおちの辺りを強く押さえて、その場にうずくまってしまったのだ。
「えっ……?」
騎士たちも、飛びかかろうとしていたリンも、予想外の事態にぽかんと動きを止めた。
「ぐぅぅっ……ま、また……。ルチアナ様が……私の注意も聞かずに……月人君の限定ガチャに、予算を、天井まで突っ込んだから……! おまけに、人間界へ旅行に行った新人のルミエルまで、帰ってこない……っ。私の、胃が……!」
うずくまる最強の聖騎士の口から漏れ出たのは、あまりにも世知辛い、中間管理職の悲痛な叫びだった。
美しい顔は土気色に染まり、額には脂汗が浮かんでいる。呼吸は浅く、胃の激痛に耐えかねて震えていた。
私は、その姿から目を離せなくなった。
――知っている。痛いほど、よく知っている。
前世のブラック企業時代、終わりのないクレーム処理と、上司の無茶振りに挟まれ、ストレスで胃に穴が空きそうになっていた私自身の姿と、完全に重なったのだ。
「アマネ様、危険です! 敵の罠かもしれません!」
騎士の制止を振り切り、私は真っ直ぐにヴァルキュリアの元へ駆け寄った。
「あなた、大丈夫ですか? ゆっくり深呼吸して」
「さ、触らないでください……! 私は、監査の使命を……うぅっ!」
強がる彼女の冷たい手を、私は両手でそっと包み込んだ。
彼女は天界の使者で、私を「粛清」しに来た恐ろしい敵かもしれない。でも、今の彼女はただの、限界を迎えた「同僚」のように見えた。
苦しんでいる人を、放っておけるわけがない。
『チャリン♪』
純粋な思いやりの心が、システムに【善行】として検知された。
私は迷わずウィンドウを開き、ポイントを消費した。選んだのは、地球の『高性能胃腸薬(ストレス性胃炎特化型・15pt)』と、心を落ち着かせる『温かいカモミールミルクティー(15pt)』だ。
「これ、すごくよく効くお薬だから、飲んでみて」
私は空間から実体化したカプセル剤と、湯気を立てるミルクティーの入った水筒を取り出した。
「なっ……空間から、物資を……!? やはりあなたが、バグの発生源……!」
「バグでも何でもいいわ。今は監査より、自分の体を大切にしなさい」
私の有無を言わせぬ強い声に、ヴァルキュリアは微かに目を見開いた。
前世で限界だった時、私は誰にもこんな風に強引に薬を飲ませてはもらえなかった。だからこそ、彼女には同じ思いをさせたくない。
ヴァルキュリアは震える手で薬を受け取ると、促されるままに温かいミルクティーでそれを飲み込んだ。
「……っ」
数秒後。
地球の製薬会社の技術と、カモミールの優しい香りが、彼女の体内で劇的な効果を発揮し始めた。
「あ……れ……?」
ヴァルキュリアは、信じられないものを見るような顔で、自分の胃の辺りをさすった。
ギリギリと刃物でえぐられるようだった痛みが、まるで嘘のように引いていく。それどころか、ミルクティーの優しい甘さが、ガチガチに強張っていた彼女の神経を、芯からじんわりと解きほぐしていったのだ。
「はわわ……痛みが……消えていく……。なんだか、お腹の奥がぽかぽかして……すっごく、ホッとします……」
先ほどまでの冷徹な聖騎士の面影はどこへやら。
緊張の糸が切れたヴァルキュリアの瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「私っ……毎日、毎日、ルチアナ様のソシャゲの課金明細とにらめっこして……! 『永遠の17歳』なんて無理な設定を押し付けられて……! 本当は、のんびり薬草を育てていたいだけなのに……っ!」
「うんうん、辛かったわね。よく頑張っているわ」
私は、泣きじゃくる天界の長官の背中を、子供をあやすように優しくさすってあげた。
「ほら、もう少しミルクティーを飲んで。甘いものを入れると、心も休まるから」
「うぅっ、はいぃ……ずずっ。あまい……美味しいですぅ……」
水筒を両手でしっかりと握りしめ、涙目でミルクティーをすする姿は、本当にただの17歳の少女のようだった。
圧倒的な力を持って降臨したはずの天界の監査官は、たった一錠の地球の胃薬と、温かいお茶の前に、見事に陥落してしまったのである。
「……お姉ちゃん、このお姉さん、全然怖くないね」
警戒を解いたリンが、トコトコと歩み寄ってきて、不思議そうに首を傾げた。
「そうね。ただ、少し働きすぎて疲れちゃっていただけみたい」
私は微笑みながら、ヴァルキュリアの目元をハンカチで拭ってあげた。
「あ、あの……わ、私は……」
落ち着きを取り戻したヴァルキュリアが、ハッと我に返ったように顔を真っ赤にした。
「も、申し訳ありません! 初対面のあなたに、こんな無様な姿を……!」
「いいのよ。誰だって、限界の時はあるもの。私はアマネ。あなたはヴァルキュリアさんね」
「は、はい……。その、アマネさん……。あなたが私に飲ませてくださったこのお薬は、一体……? 天界の霊薬にも勝るほどの、凄まじい治癒力と即効性でしたが」
ヴァルキュリアは、敬意と戸惑いが入り混じった目で私を見つめた。
もはや彼女の目には、私を「粛清すべきバグ」として見る敵意は欠片も残っていない。
「これは、少し特別なところから取り寄せたものなの。ここには他にも、心が休まるお茶や、手荒れに効くお薬なんかもあるのよ。……ヴァルキュリアさんも、少しお屋敷で休んでいかない?」
「手荒れに効くお薬……!」
薬草栽培が趣味で、実は手が荒れがちな彼女の瞳が、ピクッと反応したのを見逃さなかった。
「……よ、よろしいのですか? 私は、あなたを監査しに来た身だというのに」
「監査はお仕事でしょう? でも、お茶を飲むのは休憩よ。美味しい焼き菓子もあるわ」
私がにっこりと微笑むと、ヴァルキュリアはギュッと水筒を抱きしめ、少しだけはにかむように頷いた。
「……お言葉に、甘えさせていただきます。アマネさん」
誰も蹴落とさない。闘うこともない。
ただ、目の前で苦しんでいる相手に「お疲れ様」の優しさを手渡しただけ。
こうして、大公邸に最大のピンチをもたらすはずだった最強の聖騎士は、地球の胃薬と温かい気遣いによって、あっさりと私の「お茶飲み友達」として迎え入れられることになったのである。
だが、この新たな出会いが、翌日、大公邸の菜園に「とんでもない魔の植物」を解禁する引き金になるとは、この時の私はまだ知る由もなかった。
お読みいただきありがとうございます!
評価・ブックマークで応援いただけると励みになります。




