EP 14
「温かい居場所と、親友の祝福」
華やかだった軍事総会と夜会の喧騒を抜け、私たちは大公邸へと帰る馬車に揺られていた。
車窓からは、ルナミス帝都の美しい夜景が流れていく。
「……すぅ、すぅ……」
私の膝枕で、リンが安心しきった寝息を立てていた。夜会で美味しいお菓子をたくさん食べ、はしゃぎ疲れてしまったのだろう。
私は彼女の黄金色の柔らかい髪を、母猫のようにそっと撫でた。
「疲れただろう、アマネ」
向かいの席に座るオルフェウス様が、深い紫の瞳を細めて私を労ってくれる。
「いいえ。オルフェウス様がずっとエスコートしてくださったおかげで、とても楽しい時間を過ごせました。……本当に、夢のような夜でした」
私が微笑んで答えると、彼は満足そうに頷き、私の空いている方の手をそっと握りしめてくれた。その大きく温かい手が、私の芯までじんわりと温めてくれる。
前世で限界OLだった頃。
会社の忘年会やプロジェクトの打ち上げの帰りは、いつも一人だった。幹事として全員のタクシーを手配し、上司を笑顔で見送った後、最後に残るのは空っぽの疲労感だけ。終電に揺られながら、誰からも「ありがとう」と言われなかった一日の終わりに、ただ孤独だけを噛み締めていた。
でも今は、隣に私を心から大切にしてくれる人がいて、膝の上には私の無事を信じて眠る親友がいる。
そして何より、私には「帰るべき温かい場所」があるのだ。
*
馬車が大公邸の正門をくぐり、玄関の車寄せに停車した。
「着いたぞ。リン、起きられるか?」
「んん……もうちょっと、ホットケーキ……」
寝ぼけているリンをオルフェウス様がひょいと抱き上げ、私たちは連れ立ってエントランスの重厚な扉を開けた。
「――お帰りなさいませ、アマネ様! 大公閣下!」
扉が開いた瞬間。
エントランスホールに集まっていた屋敷の者たちが、一斉に拍手と歓声で私たちを出迎えた。
執事長、メイドのアンナたち、そして非番の護衛騎士たちまでもが、とびきりの笑顔で整列している。ホールの隅には、色鮮やかな花束と、手作りの可愛らしいケーキが用意されていた。
「み、皆様……? これは一体……」
私が驚いて立ち尽くしていると、アンナが花束を胸に抱えて駆け寄ってきた。
「アマネ様、夜会での素晴らしいお姿、噂で伺いました! あの横暴なエギル少将に毅然と立ち向かわれたこと、本当に胸がすく思いです!」
「我々大公邸の騎士一同も、アマネ様がいかに気高くお美しい方であるか、全帝国に知れ渡ったことが誇らしくてたまりません!」
屈強な騎士たちも、目元を熱くして深く頷いている。
どうやら、夜会での出来事がすでに屋敷にも伝わっており、私へのささやかな「お祝い」と「労い」のサプライズパーティーを用意してくれていたらしい。
「アマネ様がいらしてから、このお屋敷の空気は本当に変わりました。皆様、以前よりもずっと笑顔が増えて、お互いを気遣うようになったんです」
執事長が目を細め、静かに語りかけてくれた。
かつては軍事施設のようにガチガチで、冷え切っていた大公邸。
私が【善行ポイント通販】で取り寄せたハンドクリームや入浴剤、温かいハーブティーは、確かに彼らの肉体的な疲労を癒やした。しかし、それ以上に大きかったのは「誰かが自分を大切に扱ってくれている」という安心感だったのだろう。
私が蒔いた小さな「優しさ」の種は、誰も蹴落とすことなく、屋敷全体に温かい連鎖を生み出し、今こうして私自身を祝福する大きな花となって咲き誇っていた。
「皆様……本当に、ありがとうございます……っ」
私は感極まって、アンナから受け取った花束をぎゅっと胸に抱きしめた。
嬉しくて、涙が止まらない。エギルの前でも、高位貴族の前でも決して見せなかった涙が、この温かい居場所でだけは、我慢できなかった。
「お姉ちゃん、泣いてるの!?」
いつの間にか目を覚ましていたリンが、オルフェウス様の腕からぴょんと飛び降りて、私の腰に抱きついてきた。
「ダメだよ、泣かないで! お姉ちゃんは、私が一番大好きなお友達なんだから、ずっとニコニコしててほしいの!」
リンは一生懸命に背伸びをして、私の頬の涙を小さな手で拭ってくれる。
「ふふっ……ごめんね、リン。これは、嬉し泣きなのよ。私、今、とっても幸せだから」
「ほんと!? じゃあ、私もすっごく嬉しい! アマネお姉ちゃんは、最高のお友達だよ!」
天真爛漫なリンの言葉に、屋敷の者たちから温かい笑い声が漏れる。
大講堂で味わった「ざまぁ」の殺伐としたカタルシスは、この温もりの前ではすでに完全に中和され、跡形もなくなっていた。
*
サプライズのお祝いが終わり、屋敷が静寂を取り戻した夜更け。
私はバルコニーに出て、一人で夜風に当たっていた。
群青色のドレスから着心地の良い部屋着に着替え、肩には【善行ポイント通販】で買ったフリースマントを羽織っている。
『チャリン♪』
その時、ふいに頭の中で心地よい音が響いた。
視界の端に浮かんだウィンドウには、見たこともないほどの膨大なポイントが加算されている。
きっと、私がこの屋敷にもたらした笑顔や、私の振る舞いによって勇気づけられた人々からの「感謝」が、目に見えない形で私に還元されたのだろう。
「……一人で、何を考えている?」
背後から、低く甘い声が聞こえた。
振り返ると、シャツの胸元を少し崩した、リラックスした様子のオルフェウス様が立っていた。
彼は私の隣に並ぶと、バルコニーの手すりに寄りかかり、夜空を見上げた。
「皆様の温かさを、噛み締めておりました。私が差し上げたものは、ほんのささやかな気遣いだけなのに、あんなに素敵なお祝いをしていただいて……」
「君は自分の価値をまだ低く見積もりすぎているな。君がこの屋敷を、本当の意味での『家』にしてくれたんだ。私は、彼らがいかに君を敬愛しているかを知っているし、私自身も……君に救われている」
オルフェウス様は私を見つめ、そっと私の頬に手を添えた。
「エギルに虐げられていた過去は、もう完全に終わった。これからは、私が君のすべてを守り、甘やかそう。君が望むなら、世界の果てからでも君の欲しいものを取り寄せてみせる」
その言葉に、私は思わずクスッと笑ってしまった。
「世界の果てから取り寄せなくても、私はもう、欲しいものはすべて持っていますわ」
そう言って私は、自分の心臓の辺りに手を当てた。
彼には内緒だけれど、私には【善行ポイント通販】がある。でも、ポイントで買えるどんな便利な地球のアイテムよりも、今この瞬間の、彼からの不器用で真っ直ぐな愛情と、リンという親友の存在こそが、私にとっての最大の宝物だった。
「そうか。……なら、君の一番近くにいる特権は、誰にも譲らないとしよう」
オルフェウス様は目を細め、私の額に、誓うようにそっと唇を落とした。
重すぎない、けれど確かな永遠の約束。
静かな夜風が、二人を優しく包み込む。
搾取され、見返りを求めずにただ善く生きようとした限界OLの魂は、今、間違いなくこの世界で一番の幸福の中にいた。
この温かい大公邸で、彼らと共に生きていく。
私の心の中で、その「定住」の決意が、静かに、けれど確固たるものとして固まり始めていた。
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