EP 13
「ざまぁのカタルシス。有能な男の見分け方」
大講堂は、水を打ったような静寂に包まれていた。
壇上に立つオルフェウス様の圧倒的な覇気と、氷のように冷徹な声が、ホールに集まった帝国軍の将校や高位貴族たちを威圧している。
「これより、各部隊の演習結果および予算運用の監査を行う。……エギル・ヴァン・ルナミス少将。前へ」
名指しされたエギルは、ビクッと肩を震わせ、青ざめた顔でフラフラと進み出た。
かつての自信に満ちた足取りは見る影もない。
「貴官の部隊についてだが。昨日提出された演習報告書および来期の予算案に、致命的な欠陥が多数見受けられる」
オルフェウス様は、手元の書類をパサリと卓上に投げ出した。
「さらには、この一週間で部隊の士気は完全に崩壊し、兵士の八割が重度の胃腸炎と不眠症で訓練をボイコットしていると報告が上がっている。……貴官が豪語していた『二郎系超回復理論』とやらが、完全に破綻している証拠ではないのか?」
「ち、違います大公閣下! それは……!」
エギルは必死に顔を上げ、すがるような声を上げた。
「それは、一部の怠惰な兵士たちが私の理論についてこられなかっただけで……! 回復魔法の練度さえ上げれば、すぐに元通りになります!」
「言い訳は不要だ」
オルフェウス様の声が、冷たく響く。
「私は、貴官が先週まで提出していた書類も確認した。……完璧だった。無駄な経費は一切なく、兵士の疲労度や補給物資のローテーションまで、緻密に計算し尽くされていた。だからこそ、貴官のその無茶苦茶な猛訓練も、ギリギリのところで成立していたのだ」
オルフェウス様は、私の方へ静かに視線を向けた。
その瞳には、先ほどまでの冷徹さとは打って変わって、深い敬意と温かさが宿っている。
「だが、その完璧な書類を作り上げ、裏で兵士たちの限界を見極め、精神的なケアをして部隊の崩壊を防いでいたのは……貴官ではない。貴官が『1馬力の無能』と見下し、事務処理のすべてを押し付けていた、アマネ嬢だ」
ホールの空気が、大きくどよめいた。
「なっ……あの完璧な兵站管理が、エギル少将ではなく、あの令嬢の功績だったというのか!?」
「それに、自分の手柄にしておきながら、彼女を無能と罵って婚約破棄しただと……? なんて恥知らずな男だ」
周囲の貴族や将軍たちから、エギルに対する軽蔑の視線が次々と突き刺さる。
エギルはガクガクと震えながら、血走った目で私を睨みつけた。
「そ、そんなはずはない! あの女は闘気も魔法も使えない無能だぞ! 私の部隊が、あんな女の力で持っていたなどと、あり得ない!」
「事実だ。君の部隊の兵士たちが、涙ながらに私への直訴状を提出してきたからな。『アマネ様の支えがなければ、我々は一日たりとも戦えません』とな」
オルフェウス様の決定的な言葉に、エギルは膝から崩れ落ちた。
自分の完璧だと思っていた理論が、すべて「無能」だと切り捨てた私の見返りを求めない優しさ――【善行】によるカバーの上に成り立っていた砂上の楼閣に過ぎなかったと、彼自身も本当は気づいていたはずなのだ。
ただ、その浅薄なプライドが、現実を認めることを拒否していただけで。
私は壇上の少し離れた特別席から、その一部始終を静かに見下ろしていた。
前世の記憶が蘇る。
私が三日徹夜して作り上げた企画書を奪い、「自分の指導の賜物だ」と役員会議で豪語していたブラック企業の課長。あの時、役員たちは誰も私の泥臭い努力に気づかず、課長だけを評価した。それが世の中の理不尽なのだと、私は諦めていた。
でも、この世界は違った。
本当に有能な男――オルフェウス様は、誰が真に価値ある仕事をしているのか、目に見えない「優しさ」や「思いやり」が組織にとっていかに重要であるかを、正確に見抜く目を持っていた。
誰かを蹴落としたり、復讐のために罠を張ったりする必要なんて、全くなかったのだ。
己の利益だけを求め、他人を数字や効率の道具としてしか見ない人間は、その思いやりのなさゆえに、いずれ必ず自滅する。
「エギル・ヴァン・ルナミス」
オルフェウス様が、最終的な判決を下すように厳かに告げた。
「他者の手柄を搾取し、軍の規律と兵士の命を危険に晒した罪は重い。貴官から少将の地位を剥奪する。……貴官は『効率』と『耐久力』を何よりも重んじていたな。ならば、その身をもって自らの理論を証明してもらおう」
エギルの顔から、完全に血の気が引いた。
「貴官を、北方最前線の『第七先鋒部隊』へ一兵卒として転属させる。あそこは補給線が細いため、支給されるレーションは、コストと効率のみを極限まで追求した完全人工合成食……通称『第3型』のみだ。貴官の大好きな効率の極みだろう? 存分に味わってこい」
「ひっ……!? あ、あの人間の食う物ではない廃棄物の部隊に……!? お、お待ちください大公閣下! それだけは……アマネ! アマネ、お前からも口添えしてくれ! 俺が悪かった、俺はお前を愛して……!」
床に這いつくばり、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら私に向かって手を伸ばすエギル。
私は、群青色のドレスの裾をわずかに揺らし、静かに立ち上がった。
そして、憐れむような、けれど一切の未練も感情も籠っていない冷ややかな瞳で彼を見下ろした。
「エギル様」
私の静かな声に、ホール中が固唾を飲んで静まり返る。
「効率と数字だけを追い求め、人の心を蔑ろにしたあなたには、お似合いの末路だと思いますわ。……どうか、その効率的なお食事で、立派に帝国のためにご尽力くださいませ」
私は美しいカーテシーを一つ残し、彼から完全に視線を切った。
手を下すまでもない。私はただ、彼が己の足で転がり落ちていくのを、見送っただけだ。
近衛兵に両脇を抱えられ、「嫌だああああっ!」と無様に絶叫しながら大講堂から引きずり出されていく元婚約者の姿を見ても、私の心はただただ、凪いだ海のように静かだった。
*
エギルが引きずり出され、少しの静寂が降りた後。
オルフェウス様は壇上から降り、ゆっくりと私の前へと歩み寄ってきた。
先ほどまでエギルに向けていた絶対零度の覇気はすっかりと鳴りを潜め、そこには私だけに向ける、極上の甘さと温かさだけがあった。
「……すまなかったな、アマネ。君の美しいドレスの初披露の場で、あのような醜いものを見せてしまって」
「いいえ。オルフェウス様が、私の過去の鎖を完全に断ち切ってくださいました。……本当に、ありがとうございます」
私が深く頭を下げると、彼は私の手を取り、再びその甲に愛おしそうに唇を落とした。
周囲の貴族たちが見ている前での、堂々たる溺愛の証明。もう誰も、私を「無能」だと笑う者はいない。彼らは皆、大公が心から慈しむこの世界の至宝を見るような、畏敬の念に満ちた目で私を見つめていた。
「さあ、あんな男のことはもう忘れよう。夜会はこれからだ。私の腕を」
「はい、オルフェウス様」
彼のエスコートを受けながら、私はふと、VIP席のバルコニーを見上げた。
そこには、私が通販で取り寄せたマカロンを両手に持ち、口の周りをクリームだらけにしながら「お姉ちゃんかっこいいー!」と身を乗り出して手を振っているリンの姿があった。
私は思わずクスッと笑い、彼女に向かって小さく手を振り返した。
搾取されて過労死した限界OLの魂は、今、最強の親友の笑顔と、最高権力者の温かい溺愛に包まれている。
「どうかしたか?」
「いえ。……早く、三人で私たちの『お家』に帰りたいな、と思いまして」
「……ああ。そうだな。帰ろう、私たちの家に」
オルフェウス様がたまらなく優しく微笑む。
ざまぁの殺伐とした空気は、もう欠片も残っていなかった。ただ、温かくて幸せな未来だけが、私の目の前に広がっていた。
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