EP 12
「社交界(軍事総会)のエスコート」
「……これが、私?」
姿見の前に立った私は、思わず小さく息を呑んだ。
深い夜空を思わせる群青色のシルクに、繊細な銀糸で月と星が刺繍されたドレス。首元には華奢な銀のネックレスが輝き、綺麗に結い上げられた髪には、オルフェウス様から贈られたアメジストの髪留めが静かな光を放っている。
薄く施された化粧は私の本来の顔立ちを引き立て、鏡の中にいるのは、かつてエギルの隣で俯き、疲れ果てていた「無能令嬢」とは別人のように気高く、晴れやかな女性だった。
「アマネ様、本当に、本当にお綺麗です……!」
着付けと化粧を担当してくれたメイドのアンナが、感極まったように両手を組み合わせる。
「わぁぁっ! アマネお姉ちゃん、お星様のお姫様みたい! すっごく可愛い!」
部屋のソファで大人しく待っていたリンも、目をキラキラさせて飛び跳ねた。
「アンナ、みんな、本当にありがとう。このドレスが似合うように仕立ててくれたおかげよ」
私は微笑みながら、【善行ポイント通販】のウィンドウを開いた。
自分を綺麗にしてくれた彼女たちへの純粋な感謝の気持ち。ポイントを使って取り寄せたのは、色とりどりの宝石のような、地球の『高級洋菓子店のマカロン詰め合わせ(20pt)』だ。
「私が夜会に出ている間、みんなでこれを食べてお茶にしてね。リンも、お利口に待っていてくれる?」
「うんっ! お姉ちゃん、いってらっしゃい!」
「アマネ様、こんなに可愛らしいお菓子まで……本当にありがとうございます。どうか、今夜は素晴らしいお時間をお過ごしくださいませ」
メイドたちに見送られながら、私は部屋を出た。
階段を降りてエントランスホールへ向かうと、そこには正装の軍服――漆黒の生地に金糸の装飾が施された、帝国軍最高司令官の礼服に身を包んだオルフェウス様が待っていた。
彼が足音に気づいて振り返り、私を見た瞬間。
その深い紫の瞳が、驚きに見開かれ、やがて熱を帯びた光を宿して細められた。
「……息を呑むほど美しい。君がこれほどまでに、私の見立てたドレスを着こなしてくれるとは」
オルフェウス様はゆっくりと歩み寄り、私の手を取って、恭しく甲に口づけた。
「私にはもったいないほどのドレスですわ。オルフェウス様も、その礼服、とても……凛々しくて素敵です」
私が顔を赤くして言うと、彼は微かに口角を上げ、愛おしそうに私の目元にそっと触れた。
「さあ、行こうか。今夜は、君がどれほど価値のある女性か、帝国中に知らしめる夜だ」
*
馬車に揺られて到着したのは、ルナミス帝国の中枢、白亜の巨大な大講堂だった。
今日は年に一度の『軍事総会』。前半は各部隊の演習結果や予算を決める厳粛な会議だが、後半は高位貴族たちも合流しての豪奢な夜会となる。
大講堂の入り口に敷かれた赤絨毯を歩きながら、私は前世の記憶を思い出していた。
ブラック企業での忘年会や、取引先を招いての祝賀パーティー。
それは私にとって「業務の延長」でしかなかった。幹事として会場を走り回り、上司のグラスが空けばビールを注ぎ、酔った役員の自慢話に愛想笑いを浮かべる。華やかな場の隅っこで、誰からも労われることなく、ただすり減るだけの時間。
ルナミス帝国に転生してからも同じだった。エギルの婚約者として夜会に出ても、彼は私を放置し、私はただ「無能」と嘲笑される視線に耐えながら壁の花になっているしかなかった。
けれど、今は違う。
私の手は、帝国で最も力強く、気高い男性に優しくエスコートされている。
歩幅を合わせ、私を気遣うように寄り添ってくれる温もりが、私の中にあった過去の惨めな記憶を、すべて温かく塗り替えていくようだった。
「緊張しているか?」
「……少しだけ。でも、オルフェウス様が隣にいてくださるので、不思議と怖くはありません」
「その言葉が聞けて嬉しいよ。君はただ、堂々と胸を張っていればいい」
巨大な観音開きの扉の前に立つ。
そこから漏れ聞こえてくるざわめきの中に、聞き覚えのある、ひどく焦燥した甲高い声が混じっていた。
「だ、だから! 報告書の提出が遅れているのは、無能な元婚約者が適当な仕事をして逃げ出したからで……! 部隊の士気が下がっているわけではない! 俺の『二郎系超回復理論』は完璧に機能している!」
扉の向こう、ホールの端で、エギルが自分より上位の将軍たちを相手に、必死に言い訳を並べ立てていた。
見えない位置からでも、彼がどれほど追い詰められているかが痛いほど伝わってくる。
部隊の兵士たちは胃腸の限界と疲労でバタバタと倒れ、彼自身も事務処理に追われてまともに寝ていないのだろう。かつての完璧に整えられていた銀髪は乱れ、声は裏返り、惨めなほどに余裕がなかった。
「しかしエギル少将、君の部隊の兵士たちは、先日の演習で立っていることすらままならなかったと聞いているが?」
「そ、それは……一時的な疲労の蓄積でして! 回復魔法の練度が足りない者がいただけで……!」
他人のせいにして、必死に保身を図るその姿。
かつての私なら、彼に見捨てられないために、私が悪かったのだと被っていただろう。でも今は、ただ「哀れな人だ」としか思えなかった。
「……開けろ」
オルフェウス様が、重厚な扉を守る近衛兵に短く命じた。
ギィィィッ、と重々しい音を立てて、大講堂の扉が開け放たれる。
「――オルフェウス大公閣下! ならびに、パートナーであられる、アマネ・ヴァイオレット様、ご入場!」
案内役の騎士が高らかに告げた瞬間、数百人がひしめく大講堂のざわめきが、ピタリと止んだ。
全員の視線が、入り口に立つ私たちに一斉に注がれる。
帝国最強の男であるオルフェウス様。
そしてその腕に手を添え、群青色のドレスを身に纏った私。
誰もが、息を呑むのがわかった。
「おい……あれは、ヴァイオレット伯爵家の……」
「先日、エギル少将に婚約破棄された、あの1馬力の令嬢か?」
「なんという美しさだ……それに、あの堂々たる振る舞い。無能令嬢という噂は、間違いだったのではないか?」
どよめきが波のように広がる中、最も激しく反応したのは、当然ながらエギルだった。
「なっ……あ、アマネ……!?」
エギルは、言い訳をしていた将軍たちを放り出し、信じられないものを見る目で私を凝視した。
彼が「路地裏で泣いている」と決めつけていた私が、自分よりも遥かに格上の、雲の上の存在である大公のエスコートを受けて、圧倒的な光を浴びながら歩いているのだ。
私たちはゆっくりと赤絨毯を進み、ホールの中心へと向かった。
エギルが、ふらふらと引き寄せられるように私たちの前に歩み出てきた。
「お、大公閣下……! なぜ、そのような『無能』を伴っておられるのですか!? そいつは闘気すらまともに使えない、私の足を引っ張るだけの女で――」
「口を慎め、エギル少将」
オルフェウス様の声は、決して張り上げたものではなかった。
だが、その声には絶対零度の冷気と、逆らうことすら許さない圧倒的な覇気が込められていた。
空気がビリッと震え、エギルは喉を締め付けられたように言葉を失った。
「彼女は私の屋敷の恩人であり、私が最も敬愛し、愛おしく想うパートナーだ。私の最愛の女性を『無能』と呼ぶことは、この私への侮辱と受け取るが、構わないか?」
「さ、最愛の……!?」
エギルは顔面を蒼白にし、ガチガチと歯を鳴らした。
周囲の貴族たちも、大公の明確な「溺愛宣言」にどよめきを隠せない。
「だ、ですが閣下! そいつは……そいつは、私の元婚約者で……!」
「君が自らの手で捨てたのだろう。公衆の面前で、彼女の価値を何一つ理解できずにな」
オルフェウス様は、ゴミでも見るような冷徹な視線をエギルに向けた。
同じ空間。同じホール。
己の有能さを誇示しようとして部隊を崩壊させ、惨めな姿を晒しているエギルと。
ただ自分の義務を果たし、優しさを振り撒いた結果、最高権力者に愛され、眩いばかりに輝いている私。
二人の「今」が、誰の目にも明らかな対比となって、残酷なまでに突きつけられていた。
「アマネ。こんな男の顔など見る必要はない。行こう」
「はい、オルフェウス様」
私はエギルに一瞥もくれず、ただ静かに微笑んで、オルフェウス様と共にエギルの横を通り過ぎた。
エギルは伸ばしかけた手を宙で彷徨わせ、崩れ落ちるようにその場にへたり込んだ。
「さあ、これより軍事総会を始める」
壇上に上がったオルフェウス様が、ホール全体に向けて低く通る声で宣言した。
「各部隊の演習結果、および『不正な予算運用』や『兵站管理の怠慢』について、厳しく精査させてもらう」
その言葉の矛先がどこに向かっているのか、会場にいる誰もが理解した。
見る目のない男の、完全なる自滅劇。
その幕引きの音が、静かに、しかし確かな絶望となって、大講堂に鳴り響こうとしていた。
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