EP 2
「フルーツバスケットの買収と、圧倒的格差食卓」
「うぇぇぇん……開けてくださいよぉぉ……!」
分厚い樫の木のドアの向こう側で、エルフの次期女王候補・ルナが泣きじゃくる声が響いている。
私とリーザちゃんは、ソファーやカラーボックスを積み上げた強固なバリケードの裏側に身を潜め、息を殺していた。
「アマネ様、可哀想な気もしますけれど、ここは心を鬼にしませんと……!」
「ええ、分かっているわ。あの圧倒的な『温度調整の概念の欠如』は、一緒に住んだら三日で家が全焼するレベルよ。絶対に情に流されちゃダメ!」
私たちは前世のブラック企業で培った「厄介な案件(クレーマーやヤバい新人)は入り口でシャットアウトする」という鉄則に則り、ひたすら嵐が過ぎ去るのを待った。
やがて、ドアの向こうの泣き声が、少しずつ小さくなっていった。
『……分かりました。アマネさんたちがそこまで仰るなら、今日は諦めますぅ……』
ルナの鼻をすする音が聞こえ、私はホッと胸を撫で下ろした。
よし、なんとか諦めてくれたようだ。これでポポロ村の平和なシェアハウスは守られ――。
『でも、せっかくご挨拶に来たので、これだけでも受け取ってください……。森の精霊さんたちと一緒に収穫した、ご挨拶の品です……』
コトリ。
ドアの向こう側に、何かが置かれる音がした。
『世界樹の朝露で育てた「千年桃」と、マナをたっぷり含んだ「星屑リンゴ」、それに「極上ハニーグレープ」を詰め合わせた、特製フルーツバスケットです……。せめて、皆さんの食卓の足しにしてくださいね。……グスン』
――その瞬間だった。
ドアの隙間から、信じられないほど芳醇で、甘く、そして『圧倒的な高級感(資産価値)』を伴った極上の香りが、ツーッと室内に流れ込んできたのだ。
「……ッ!?」
隣にいたリーザちゃんの肩が、ビクゥッ!! と大きく跳ねた。
彼女の頭から生えている人魚のヒレ(耳)が、シャキーン! と垂直に立ち上がる。
「あ、アマネ様……! 今、ドアの向こうから、とんでもなく『タダ飯』の……いえ、金貨数十枚、いや数百枚は下らない『超絶高級食材』の匂いがしましたわ……!」
「リーザちゃん? ちょっと、目が血走ってるわよ?」
「あの『千年桃』……! 王都の裏オークションに出せば、一口サイズで銀貨百枚はつくと噂に聞く、幻の果実……! それが、カゴいっぱいに……しかも、無料で……!?」
リーザちゃんの瞳孔が完全に開き、その目の中に「¥」マーク……いや、アナステシア世界の「金貨」のマークがギラギラと浮かび上がった。
「ダメよリーザちゃん! それは罠よ! 餌付けされちゃダメ!!」
「火事は水魔法で消せますが、貧困と飢えは永遠に消えませんのよーーっ!!」
リーザちゃんは叫ぶなり、芋ジャージの袖を捲り上げ、私たちが必死に積み上げたバリケード(ソファーとカラーボックスの山)を、凄まじい怪力で「ふんぬっ!」と一気に左右へ投げ飛ばした。
ガラガラガッシャーン!! という轟音と共に、鉄壁の守りがわずか三秒で完全決壊する。
「ああっ!? 私の築いたコンプライアンスの壁が!?」
リーザちゃんはそのままドアの鍵をガチャガチャと猛スピードで開け放ち、外でしょんぼりと立ち尽くしていたルナに向かって、満面の、それはもう最高に輝くアイドルの笑顔(と揉み手)を向けた。
「よくぞいらっしゃいました、ルナ様!! 当シェアハウスは貴女様のような太客……いえ、心優しきエルフの淑女をいつでも大歓迎いたしますわーーっ!!」
「えっ!? ほ、本当ですか!? リーザさん、開けてくれたんですね!」
「ええ! さあさあ、外は寒いですから、その重たそうな『フルーツバスケット』は私が大事に、大切に、地下の冷暗所へ運ばせていただきますわ! どうぞ中へ!」
「リーザの裏切り者ぉぉぉっ!!」
私の絶叫も虚しく。
エルフの歩く自然災害・ルナは、圧倒的な物量(特級フルーツ)による見事な買収工作により、まんまと私たちのシェアハウスへの入居を果たしてしまったのである。
***
――翌朝。
「アマネさん、おはようございます♡」
私が重い足取りでリビングに向かうと、そこには信じられないほど優雅な光景が広がっていた。
朝日が差し込むダイニングテーブル。その中央で、パステルカラーのエプロンをふわりと身につけたルナが、天使のような笑顔で私を迎えてくれた。
「朝食の準備、できていますよ! 今日は私がおもてなしさせていただきますね!」
ルナが杖を軽く振ると、テーブルの上の何もない空間から、ポンッ! と光の粒子と共に色鮮やかな野菜や果物が次々と『生成』されていく。
朝露に濡れた真っ赤なトマト、翡翠のように輝くレタス、そして芳醇な香りを放つオレンジ。彼女はそれらを魔法の風でふわりとミキサーにかけ、一瞬にして極上の『特製オーガニックスムージー』を完成させた。
さらに、どこからともなく取り出したクリスタルの小瓶から、トーストの上に黄金色に輝く液体をたっぷりと垂らす。
「世界樹から直接転送してもらった『特濃マナ・ハニー』です。一口食べれば、魔力も体力も全回復しますよ♡」
完璧だ。圧倒的なまでに高貴で、健康的で、王侯貴族の食卓すら凌駕する、エルフの次期女王候補にふさわしいパーフェクトな朝食である。
だが、私の胃を痛くさせたのは、その隣の席の光景だった。
「……ムシャムシャ。カリッ。……ボリボリ」
ルナの隣の席。
そこには、いつもの特売芋ジャージを着込んだリーザちゃんが座り、自分の朝食と真剣に向き合っていた。
彼女のお皿に乗っているのは、昨日ルナが持ってきた幻の『千年桃』でも『星屑リンゴ』でもない。
カッチカチに固くなった『パンの耳』の山。
そして、今朝早起きして公園で摘んできたと思われる『名もなき雑草のサラダ』。それに、ルナミスデパートの試食コーナーでくすねてきた無料の小袋ドレッシングをちびちびと絞り出し、茹で卵と一緒に行儀よく(しかし野生動物のような鋭い目で)貪り食っているのだ。
「……リーザちゃん。あなた、昨日ルナさんからもらったフルーツバスケットはどうしたのよ」
私が頭痛を堪えながら尋ねると、リーザちゃんはパンの耳を咀嚼しながら、キリッとした顔で答えた。
「何をおっしゃいますの、アマネ様。あのような国宝級の果物、私が自らの胃袋で消費するなどという生産性のない真似をするはずがありませんわ!」
「生産性……?」
「ええ! あのフルーツバスケットは既に、我が家の地下室の金庫に厳重に塩漬け(保管)してあります! 時期を見て王都の裏オークションに流せば、私のアイドル活動の莫大な軍資金(資本)になる立派な『資産』ですのよ! 資産を食いつぶすなど、投資家として三流のやることですわ!」
「アイドルは投資家じゃないし、あんたは今、目の前でパンの耳を主食にしてる三流以下の乞食よ!」
私は思わずツッコミを入れた。
左を見れば、魔法で無限に生成される超高級オーガニック食を優雅に楽しむエルフのお姫様。
右を見れば、莫大な資産を抱え込みながら、ドレッシングをかけた雑草とパンの耳を「これが底辺サバイバルの味ですわ!」と誇らしげにすする地下アイドル。
なんという圧倒的格差社会。同じテーブルに座っているのに、まるで見えている世界(経済圏)が違う。
「リーザさん、そんな硬そうなパンの端っこばかり食べないで、私の生成したフルーツもどうぞ? 美味しいですよ♡」
ルナが純粋な善意から、光り輝くリンゴを差し出す。
しかし、リーザちゃんはそれをスッ、と神棚にでも供えるかのような手つきで奪い取り、自分の懐(芋ジャージのポケット)へと素早くねじ込んだ。
「ありがとうございますルナ様! こちらのリンゴの時価は銀貨5枚と見立てました! 明日のパチンコ……いえ、衣装代の足しにさせていただきますわ!」
「食べるんじゃないんかーい!」
私は椅子に座り、自分のこめかみを強く揉みほぐした。
ルナの『天然の善意』と、リーザちゃんの『底なしの強欲(貧乏性)』。この二つが掛け合わさると、倫理観と経済観念がマッハで崩壊していく。
「あ、アマネさんもどうぞ! 私、野菜や果物ならいくらでも生成できますから! お腹いっぱい食べてくださいね♡」
ルナがニコニコしながら、テーブルの上に次々とスイカサイズの巨大なメロンや、光り輝くトマトを山のように積み上げ始める。
「ちょ、ちょっとストップ! ルナさん、その『無限に生成できる』って能力、もしかして魔力がある限り本当に無限なの?」
私が慌てて尋ねると、ルナは不思議そうに小首を傾げた。
「はい! 世界樹の加護があるので、植物や果物なら一日に山を二つ三つ埋め尽くすくらいは簡単に作れますよ? もし村の皆さんがお腹を空かせているなら、広場をこの高級野菜でいっぱいにしてあげようかと思ってます♡」
「――ダメェェェェェェェッ!!!」
私は思わず、前世のオフィスで「新人が本番データベースのテーブルを全削除しようとした時」と同じくらいの特大の悲鳴を上げた。
ルナがビクッ! と肩をすくめる。
「な、なぜですかアマネさん……? みんな、美味しいものを食べたら笑顔になるのに……」
「笑顔になるのはタダ飯にありついた村人だけで、ルナミス帝国全体の『経済』が死ぬのよ!!」
私はテーブルに両手をつき、ルナの肩をガシッと掴んで、前世の経済学部卒の知識と、社畜時代の厳しいコンプライアンス研修の記憶をフル回転させて説教を始めた。
「いい!? あなたが生成しているその野菜や果物は、全部『特級品』以上の品質なのよ! そんなものを村の広場に無尽蔵にバラ撒いたらどうなるか分かる!?」
「えっと……みんなが、お腹いっぱいになる?」
「違う! 需給バランスが完全に崩壊して、市場の価格が暴落するのよ! 近隣の農家さんたちは、一生懸命育てた野菜が全く売れなくなって路頭に迷うわ! ゴルド商会みたいな大企業が目をつけたら、相場が滅茶苦茶になって、物流も経済もストップして、国が一つ滅びかねない特大の『コンプライアンス違反(市場破壊)』なの!!」
「ええっ!? そ、そんなに恐ろしいことになるんですか!?」
ルナは両手で口を覆い、青ざめた。エルフの聖域で、すべてを世界樹から無償で与えられて生きてきた彼女には、『市場経済』や『デフレ』という概念がすっぽりと抜け落ちているのだ。
「善意なら何をしてもいいわけじゃないの。あなたの力は強すぎるわ。……分かった? この家で暮らすなら、私の『ハウスルール(法令遵守)』には絶対に従ってもらうわよ!」
「は、はいぃぃっ! 私、経済破壊なんてしたくありません! アマネさんの言うこと、絶対聞きますぅぅ!」
ルナは涙目になりながら、コクコクと激しく頷いた。
ひとまず、第一の危機(農業市場の崩壊)は水際で防ぐことができた。
しかし、私は深くため息をついた。彼女の味覚と価値観は、根本的に『オーガニックで高貴すぎる』のだ。このままでは、またいつか無自覚な善意で暴走を引き起こしかねない。
(……仕方ない。荒療治だけど、彼女のエルフとしての高貴な価値観を、一度地球の『俗世の味』で上書きして、手懐けるしかないわね)
私は視界の端に浮かぶ『善行ポイント通販』の画面を睨みつけ、ある商品の検索を始めた。
オーガニックな自然食しか知らないエルフの味覚を、一撃で破壊し、二度と抗えない虜にするための最凶の劇薬――『化学調味料(MSG)の塊』を召喚するために。
読んでいただきありがとうございます。
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