EP 8
「貧乏神の逆流と、ハトの襲来」
『――警告。お客様の口座残高が、原因不明の現象により【ゼロ】になりました。また、保有するすべての不動産および株券の価値が消失しました。現在の貴方の身分は【最底辺の無一文】です』
魔導通信石から流れる無機質な自動音声が、楽屋テントの中に空しく響き渡った。
「…………は?」
悪徳プロモーターのザックは、間抜けな声を漏らしたまま完全にフリーズしていた。
無理もない。彼が裏社会で莫大な大枚をはたいて手に入れた危険食材『いただケール』は、「食べさせた相手の最も強い能力や権力、財産を強制的に横取り(頂く)できる」というチートアイテムのはずだった。
本来ならば、プロデューサーである私の「手腕」や「大公様とのコネ」を奪い取るはずだったのだ。
しかし、その毒牙は、本番前の極度の緊張と空腹で理性を失っていた「地下アイドル」の胃袋へと、わずか三秒で吸引されてしまった。
「ど、どういうことだ……!? なんで俺の口座が凍結されてんだ! ゼロってなんだよ、金貨数万枚は預けてあったはずだぞ!?」
ザックが狂ったように通信石をタップするが、何度更新しても画面には無慈悲な『残高0』の文字が光るばかりである。
「アマネ様、このおじさま、急に青い顔をしてどうしましたの?」
ボウルいっぱいのサラダ(と、いただケール)を完食してすっかりご機嫌になったリーザちゃんが、不思議そうに首を傾げる。
私は、机の上に残された空のボウルと、ザックの絶望的な顔を交互に見比べ、ハッとすべてを理解した。
前世の限界OL時代、他人の手柄を横取りしようとした卑怯な上司が、逆に「大炎上しているプロジェクトの全責任」を押し付けられて自爆していく姿を何度も見てきた。今の状況は、まさにそれの『物理・ファンタジー版』だ。
「……あなた、このサラダに『いただケール』を仕込んで、私の権限を奪うつもりだったのね」
「なっ!? き、貴様、なぜそれを……!」
「でも、リーザちゃんがそれを食べちゃった。いただケールは『食べた相手の最も強い属性』を奪う。……あなた、リーザちゃんの『一番強い属性』が何か、知ってて?」
私が哀れみの目を向けると、ザックは顔を引きつらせた。
「地下アイドルの属性だと……? そんなもの、歌唱力か、精々が見た目の愛嬌くらいだろうが!」
「違うわ。彼女の最も強大な属性……それは『圧倒的貧乏スキル』と『タダ飯に執着する乞食の宿命』よ!」
「は……?」
私が宣言した直後。
ビリッ、ビリビリビリッ!! と、ザックの身を包んでいた高級ベルベットのスーツから、不吉な破裂音が鳴り響いた。
「な、なんだ!? 俺の特注スーツが!」
ザックが悲鳴を上げる。信じられないことに、彼の高級スーツは縫い目という縫い目から勝手にほつれ始め、数秒のうちにボロボロの『つぎはぎだらけのボロ布』へと変貌してしまったのだ。
油で撫でつけられていた髪は一瞬でツヤを失って鳥の巣のようにバサバサになり、指にはめていた金銀の指輪はメッキが剥がれてただの鉄くずに変わる。
「ヒィィィッ!? なんだこれは! 身体が……身体が急に重い! 謎の肩こりと、将来への漠然とした不安が押し寄せてくる……っ!」
ザックが膝から崩れ落ちた。
当然である。彼は今、リーザちゃんが長年背負ってきた「パンの耳を求めて朝の公園を彷徨う底辺の宿命」を、丸ごと一手に引き受けてしまったのだから。
「ああっ……! 俺の金が! 俺の権力が! なんで俺がこんな、ホームレスみたいな姿に……!」
「自業自得よ」
私は冷たく言い放った。
「人の努力や才能を、自分の手を汚さずに掠め取ろうとするからそうなるの。他人のものを不当に『頂く』なら、その人の抱えている負債や苦労ごと全部引き受ける覚悟がなきゃダメでしょ」
前世で、他人の手柄だけを奪おうとした輩が辿った末路と同じだ。
私は一切手を下していない。彼自身が持ち込んだ悪意が、強欲なリーザちゃんの食欲と見事に化学反応を起こし、彼自身を社会の最底辺へと強制転落させたのである。
「ふざけるな……! ふざけるなぁぁっ!! 俺は中央の一流プロモーターだぞ! こんな田舎の地下アイドルの貧乏神なんぞに負けてたまるか……っ!」
ザックがボロ布となったスーツを引きずりながら立ち上がり、私に掴みかかろうとした、まさにその瞬間だった。
『ポロッポー!』『ポロロッポー!!』
「……え?」
バサバサバサバサッ!!
テントの入り口から、尋常ではない羽音と共に、数十羽の『鳩』の群れが雪崩れ込んできた。
「な、なんだこいつら!? どこから入ってきた!」
ザックが腕を振り回して追い払おうとするが、鳩たちは全く怯むことなく、ザックの頭や肩、ボロボロのポケットに向かって猛烈な勢いで突っつき始めた。
『ポロッポー!』(エサを出せ!)
『ポロロッポー!』(お前がパンの耳を持ってるのは分かってるんだぞ!)
※鳩の鳴き声の翻訳(アマネの脳内イメージ)
「痛っ! 痛てぇっ! なんで俺だけピンポイントで狙ってくんだよ! やめろ、俺はパンの耳なんか持ってねえぇぇっ!!」
「あ、その鳩さんたち……私が毎朝、公園でエサ場の縄張りを巡って死闘を繰り広げている宿敵の鳩ですわ!」
リーザちゃんがポンッと手を叩いた。
「なるほど。あのおじさまが私の『乞食オーラ』を吸い取ってくれたおかげで、鳩さんたちも彼を『パンの耳を隠し持っているライバル』だと誤認しているんですのね!」
「そういうことか……」
私は頭を抱えつつも、あまりのシュールな光景に笑いを堪えるのに必死だった。
一流プロモーターを自称していた男が、ボロ布を纏い、無数の鳩に突っつかれながらテントの中を逃げ惑っているのだ。
「ヒィィィッ! 許してくれぇぇ! 俺の……俺の輝かしい人生があぁぁっ!」
ザックはついに鳩の猛攻に耐えきれず、テントの入り口から外へと転がり出た。
「ポロッポー!」と追いかける鳩の群れと共に、彼はボロボロの姿で王都へと続く街道の彼方へ、文字通り『ドナドナ』されていった。
彼の口座は凍結され、身分を証明するものも失い、この先、彼を待っているのは本物のサバイバル生活(鳩との死闘)だけだろう。
「……嵐のような自爆だったわね」
私はホッと息をつき、改めてリーザちゃんに向き直った。
「リーザちゃん、体調はどう? 変なもの食べちゃったけど、具合悪くない?」
「それが、アマネ様……!」
リーザちゃんは、自分の両手を握りしめ、キラキラと目を輝かせていた。
マリンブルーのドレスに身を包んだ彼女の全身から、先程までの「緊張」や「貧乏くささ」が綺麗さっぱり消え去り、代わりに内側から発光するような『絶対的なスターのオーラ』が溢れ出していたのだ。
「私、今、すっごく身体が軽いですわ! 毎朝五円玉を拾うために屈みすぎて痛めていた腰痛も消え去り、胃袋もタダ飯で満たされ……何より、『貧乏神』がおじさまに逆流していったおかげで、今の私、宇宙一可愛くて無敵な気がしますの!!」
「……つまり、重力が外れた状態ってことね」
怪我の功名とはこのことだ。
最も厄介だった貧乏スキルをザックに押し付けたことで、腐っても人魚姫であるリーザちゃんの本来のポテンシャル――人々を魅了する魔法の歌声とアイドルオーラが、120%のバフ状態で解放されたのだ。
『アマネプロデューサー! 時間ッス!』
テントの外から、ドリスの声が響いた。
『観客のボルテージ、最高潮ッス! 大公殿下も女王陛下も着席完了ッス! いつでも音出せるッスよ!』
「アマネさん! こっちも準備万端っす!」
広場の方からは、フェイトが先導する大公軍近衛兵たちの野太いコール(ウォーミングアップ)の地鳴りが聞こえてくる。
「よし……!」
私はバインダーを強く握りしめ、リーザちゃんの背中をパーン! と気合いを入れるように叩いた。
「行くわよ、リーザちゃん! 泣いても笑ってもこれが本番! お母様の度肝を抜いて、あなたが『宇宙一のアイドル』だってことを証明してきなさい!」
「はいですわーっ!!」
リーザちゃんは、これ以上ないほどの完璧なアイドルの笑顔(と強欲なスパチャへの期待)を浮かべ、光が差し込むステージへと、勢いよく飛び出していった。
いよいよ、ポポロ村が揺れる『奇跡のシークレットライブ』が開演する。
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