EP 7
「差し入れのサラダと、強制横取り野菜」
ライブ本番当日。
ポポロ村の空は、これ以上ないほどの見事な快晴に恵まれていた。
だが、村の入り口に漂う空気は、ピリピリとした極度の緊張感に支配されていた。
ズズズズズ……ッ! と、大地を揺らすような重低音と共に、王都へと続く街道から『それ』は姿を現した。
「な、なんだあれ……馬車、なのか?」
警備にあたっていたフェイトが、目を丸くして呟く。
それは、馬車と呼ぶにはあまりにも異質だった。
巨大な透明の魔導ガラスで作られた水槽のような車室。その中には美しい珊瑚や真珠が飾られ、車輪の代わりに、下部に展開された水魔法の波動が大地を滑るように進んでくる。それを牽いているのは、馬ではなく、宙を浮く数匹の美しい海竜だった。
海中国家シーランの絶対君主、女王リヴァイアサンのお忍び(といっても派手すぎるが)の御料車である。
「アマネ。あのおば……ゴホン、女王様、すっごく強い魔力を持ってるよ。私が本気で雷撃っても、ちょっと痺れるくらいで済んじゃうかも」
屋根の上から様子を見ていたリンちゃん(麒麟)が、珍しく真面目なトーンで評価を下す。
馬車が広場の入り口に停まり、恭しく扉が開かれた。
中から現れたのは、深海のように深い蒼色のドレスに身を包んだ、圧倒的な威厳と美貌を誇る女性――女王リヴァイアサンだった。彼女が地面に降り立っただけで、ポポロ村の空気が海鳴りのような重圧に包まれる。
「よく来てくれた、リヴァイアサン殿。歓迎しよう」
そこへ、大公様が完璧な礼儀作法と、一切揺るがない覇気をもって出迎えた。
帝国トップクラスの実力者である大公様が自らエスコート役を務めることで、このライブが「王都の貴族も注目する超一流のシークレットステージ」であるという偽装が、完全に事実として機能し始めていた。
「ふふ、オルフェウス大公自らの出迎えとは恐縮です。……我が愛娘、リーザのステージ。大公も資金を援助するほどの『トップアイドル』に成長したと聞いて、母として居ても立っても居られず来てしまいましたわ。さあ、最高の席へ案内してくださる?」
「ええ、もちろん。こちらへ」
大公様が女王をVIP席(タローマン製の折りたたみパイプ椅子に最高級のベルベットの布を被せた急造品だが、大公様のオーラで高級ソファに見える)へと案内するのを見届け、私は深々と一礼してから、ステージ裏の楽屋テントへと走った。
「みんな、女王様が到着したわ! 開演まであと三十分! 最終チェックよ!」
「了解ッス! 音響の出力、完璧に安定してるッス! ゲプッ……コーラのカフェインで私の魔導回路もバキバキにキマってるッス!」
ドリスは目の下にクマを作りながらも、狂気的な笑顔でサムズアップした。
「俺も準備万端っす! 肩甲骨の可動域を限界まで広げて、いつでも大閃光をへし折る覚悟はできてます!」
フェイトも、大公軍の近衛兵たち(非番の若手を中心に私がサクラとして招集した)の最前列で、ペンライトを両手に握りしめてギラギラしている。
「……ハァ、ハァ、ハァ……っ」
しかし、肝心の主役であるリーザちゃんだけが、マリンブルーのドレスを着たまま、テントの隅で過呼吸気味に震えていた。
「だ、ダメですわ……! お母様の圧倒的な覇気を感じますの……! もし歌詞を間違えでもしたら、このポポロ村ごと海嘯で沈められてしまいますわ……!」
「落ち着いて、リーザちゃん。深呼吸して!」
私はリーザちゃんの背中をさすりながら励ますが、彼女の顔色は真っ青だ。
「それに……ぐるるるるぅぅぅ……」
リーザちゃんのお腹が、悲しげな、それでいて野獣のような音を立てて鳴った。
「極度の緊張で、胃酸が逆流して……お腹が、ペコペコですの……パンの耳……誰か、タローソンの廃棄弁当を……」
「ダメよ! アイドルが本番直前にそんなジャンクなもの食べたら、ドレスのコルセットが閉まらなくなるし、ゲップが出ちゃうでしょ! 水だけで我慢しなさい!」
限界OL時代、大事なプレゼン前にお腹を壊してトイレにこもった同僚を何度も見てきた私からの、冷酷だが愛のあるプロデューサー指示だ。
「そんなぁぁぁ……餓死してしまいますわぁぁ……」
リーザちゃんがヨロヨロと机に突っ伏した、その時だった。
「――おや。随分とピリピリしているようですな、プロデューサー殿」
テントの入り口の幕が上がり、不作法に一人の男が入ってきた。
昨日、大公様の資金と私のライブ利権をまるごと横取りしようとして追い返された悪徳プロモーター、ザックである。
「あなた……なぜここに? 関係者以外立ち入り禁止ですけど」
私が鋭く睨みつけると、ザックはニヤリと、わざとらしいほどに人の良さそうな笑みを浮かべてみせた。
「いやいや、昨日はどうも申し訳なかった。大公殿下の出資と聞いて、つい私もプロとしての欲が出てしまってね。だが、一晩考えて反省したのだ。君のように若いプロデューサーが、これほどの大舞台を切り盛りしている。なら、業界の先輩として、いがみ合うのではなく応援するべきだとね」
「……」
絶対に嘘だ。
前世で、他人の手柄を横取りしようとする輩が「君のためを思って」とすり寄ってくる時の、あのドス黒い目の奥の光と同じだ。
「もうすぐ開演だというのに、君も随分と顔色が悪い。プロデューサーが倒れては元も子もないだろう? そこで、和解の印に『差し入れ』を持ってきたのだ」
ザックはそう言うと、背手に隠し持っていた美しいガラスのボウルをテーブルの上に置いた。
中には、新鮮なレタスやトマトに彩られた、瑞々しいサラダが盛り付けられている。だが、そのサラダの野菜の中に、どう見ても周囲の野菜とは異質な、ドス黒い紫色をした葉野菜が不気味に混ざっていた。
(ククク……『いただケール』入りの特製サラダだ)
ザックは内心で下劣な笑いを噛み殺していた。
『いただケール』。それは、口にした瞬間、強制的に「差し出した相手の要求」を呑ませる裏社会の危険食材。これを食えば、アマネはプロデューサーとしての全権限、大公とのコネ、そして彼女自身の有能な手腕のすべてを、無条件でザックに「差し出す(頂かれる)」ことになる。
「さあ、遠慮せずに食べてくれ。新鮮な野菜は胃にも優しいし、緊張もほぐれる。これを食べて、昨日の無礼は水に流してほしい」
ザックが、フォークを添えて私にサラダを勧めてくる。
「……お心遣いは感謝しますが、今は本番前で――」
私が丁寧に断ろうとした、まさにその時だった。
「――サラ、ダ……?」
ピクッ。
机に突っ伏していたリーザちゃんの耳(ヒレ?)が、不自然な角度で立ち上がった。
「……新鮮な、野菜のサラダ……それも、誰かのおごりの……無料の……『タダ飯』……?」
ギリギギギ、と首を軋ませながら、リーザちゃんが顔を上げる。
その瞳には、もはや「アイドルの緊張」も「母親への恐怖」も一切なかった。そこにあったのは、毎朝公園で鳩とパンの耳を死に物狂いで奪い合ってきた、最底辺の『飢えた乞食』としての、純度百パーセントの生存本能だけだった。
「リーザちゃん……?」
私が声をかけるより早く、マリンブルーのドレスが青い閃光となって動いた。
「タダ飯ですわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!」
「えっ」
「は?」
私とザックが呆気にとられている間に、リーザちゃんはテーブルの上のガラスボウルを両手で鷲掴みにし、フォークも使わず、そのまま顔をボウルに突っ込んで、ズドドドドォォォッ!! と掃除機のような吸引力でサラダを丸飲みし始めた。
「ムシャァッ! バクバクバクッ! ゴクンッ!! ぷはぁぁぁぁっ! 恵みのタダ飯、ごちそうさまでしたわーーっ!!」
時間にして、わずか三秒。
ドス黒い紫色の葉野菜を含め、ザックが周到に用意した罠のサラダは、腹をすかせた地下アイドルの胃袋へと、文字通り瞬殺で収まってしまったのである。
「な、ななな……」
ザックは目玉が飛び出そうなほどに見開き、空になったガラスボウルとリーザちゃんを交互に指差した。
「き、貴様ぁぁ! なに俺の用意したサラダを勝手に食ってんだ! それはそっちの小娘に食わせるための――ッ!」
「おやおや? 差し入れを誰が食べようと勝手ではありませんの? まさか、この絶対無敵のトップアイドルである私に『食べるな』とでも? ケチくさいおじさまですわね!」
お腹が満たされた(タダ飯を食えた)ことで完全無敵の強気モードに入ったリーザちゃんが、高飛車にふんぞり返る。
私は状況が飲み込めず、「ええっと……差し入れ、ありがとうございました?」とザックにお礼を言った。
しかし、ザックの顔は土気色を通り越して、真っ青になっていた。
(ば、馬鹿な……っ! 『いただケール』の効果は、食った奴の『最も強い能力や財産』を、食わせた側が強制的に頂いちまうんだぞ!? アマネの有能なプロデュース能力と大公のコネを奪うはずが……こんな、どこの馬の骨とも分からん地下アイドルの能力を奪って、どうするってんだ!?)
ザックが頭を抱えてパニックに陥った、その数秒後。
彼のポケットに入っていた魔導通信石が、けたたましいエラー音を鳴らし始めた。
「ビィーッ! ビィーッ! ビィーッ!」
「ひっ!? な、なんだ!?」
ザックが慌てて通信石を取り出すと、そこには彼の王都のメインバンク(ルナミス中央銀行)からの、冷酷な自動音声メッセージが流れていた。
『――警告。お客様の口座残高が、原因不明の現象により【ゼロ】になりました。また、保有するすべての不動産および株券の価値が消失しました。現在の貴方の身分は【最底辺の無一文】です』
「……は?」
ザックの口から、間抜けな声が漏れた。
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