EP 4
「大公の太客宣言と、泥だらけのプロデューサー」
「ドリスちゃん! 左のメインスピーカー、もう十五度内側に向けて! 音が観客席(広場)から漏れちゃうわ!」
「了解ッス、プロデューサー! 魔導回路の結線、五秒で終わらせるッス! ……コーラおかわりッス!!」
「フェイト! そこサボらない! その丸太(ステージの骨組み)をあと十本、日が暮れるまでに右袖へ運んで!」
「ひぃぃっ! コイントスで休む隙も与えてくれない! アマネさん、前世でどんな現場監督やってたんですか!?」
「リンちゃん! レーザー照明(雷魔法)のタイミング、サビの『Love & Money』に合わせてコンマ五秒遅らせて!」
「りょーかい! バチバチーッ!」
「リーザちゃん! 歌の途中でパンの耳かじらない! 振り付けが遅れてるわよ!」
「は、はいですわーっ!!(モグモグ)」
ポポロ村の広場は、凄まじい熱気と喧騒に包まれていた。
週末の女王リヴァイアサン襲来(公式訪問)まで、残された時間はあとわずか。私はタローマン製のバインダーに挟んだ『香盤表』と『進行台本』を片手に、広場を走り回りながら矢継ぎ早に指示を飛ばしていた。
前世のブラック企業で、無茶なスケジュールのイベントを何度も切り盛りしてきた経験が、異世界でこんな形で活きるとは思わなかった。
あの頃は「失敗したら上司に殺される(比喩ではなく社会的に)」という恐怖で動いていたけれど、今は違う。ちょっと残念だけど放っておけない仲間の『夢と命』を守るための、前向きな文化祭準備だ。疲労感よりも、不思議と充実感のほうが勝っていた。
「ふぅ……ちょっと休憩」
私はバインダーをパタパタと扇ぎながら、額の汗を手の甲で拭った。
数日前まで何もない原っぱだった広場には、今や立派な野外ステージの骨組みが完成しつつある。ドリスちゃんの異常な作業スピード(ピザとコーラのバフ効果)のおかげで、音響機材も王都の劇場顔負けのものが組み上がっていた。
「……アマネ」
不意に、背後から深く、そしてどこまでも甘いバリトンの声が響いた。
聞き間違えるはずもない。その声を聞いた瞬間、私の心臓がドクンと跳ねた。
振り返ると、広場の入り口に漆黒の馬車が停まっていた。
そこから降り立ったのは、夜空のような深い藍色の軍服に身を包んだ、帝国の影の支配者たるオルフェウス大公だった。彼は、埃と熱気に満ちた工事現場のような広場には全く不釣り合いな、圧倒的な気品と美貌を放っている。
「た、大公様!?」
慌てて駆け寄ろうとして、私は自分の姿にはたと気付いた。
作業に没頭するあまり、私の服は埃で汚れ、靴は泥まみれ。さっき汗を拭ったせいで、顔にも泥がついてしまっているはずだ。
「あ、あの、申し訳ありません! こんな泥だらけの姿でお出迎えするなんて……!」
私が手で顔を隠そうとすると、大公は長い脚で迷いなく泥の地面を踏み越え、私の目の前で立ち止まった。
そして、彼自身の懐から純白の高級シルクのハンカチを取り出すと、私の顔にそっと触れた。
「――泥だらけでも、埃にまみれていても。君は世界中の誰よりも美しく、眩しいよ」
大公の大きくて冷たい手が、私の頬を優しく包み込む。
そして、シルクのハンカチで私の額や頬の泥を、壊れ物を扱うように丁寧に拭き取ってくれた。
「た、大公様……軍服が汚れてしまいます……っ」
「君に触れて汚れるのなら、それは私にとって最高の勲章だ。……それにしても、随分と大規模な設営をしているね。また何か、君の優しい心が放っておけない『事件』でも起きたのかな?」
大公がクスリと笑う。
至近距離で向けられるその圧倒的な熱情と大人の余裕に、私の顔は泥が取れた端から真っ赤に茹で上がってしまった。
「そ、そうなんです。実は……」
私は動悸を抑えながら、事の顛末を大公に説明した。
シーランの女王リヴァイアサンが娘のステージを見にやってくること。リーザちゃんが普段はパンの耳をかじる底辺生活をしているとバレたら、深海へ強制送還されてしまうこと。それを防ぐために、一週間で『完璧な偽装シークレットライブ』を作り上げようとしていること。
全てを聞き終えた大公は、感心したように、そして心底愛おしそうに私を見つめた。
「女王リヴァイアサンを、偽装のステージで欺こうというのか。一国を揺るがしかねない大胆な企みだ……並の人間なら恐れて逃げ出すところを、君は友人のために迷わず矢面に立つ。本当に、君という女性はどこまで気高く、そして愛らしいのだろうね」
「気高いなんて……ただの限界プロデューサーの意地ですよ」
「謙遜は美徳だが、君のその行動力はもっと評価されるべきだ」
大公は私の手を取り、その甲にそっと唇を落とした。
ヒュッ、と私が息を呑むと、彼は悪戯っぽく目を細めて囁いた。
「アマネ。女王の目を誤魔化すほどの『アイドルのライブ』を成功させるには、最高の舞台と機材……そして何より、『熱狂的なファン』の存在が不可欠だろう?」
「ええ。サクラとして、村の人たちやフェイトを動員するつもりですけど、女王の目を誤魔化すには少し規模(熱量)が足りないかもしれないと悩んでいて……」
「ならば」
大公は、パチン、と指を鳴らした。
背後に控えていた大公の側近が、恭しく一つの木箱を運んでくる。大公がその蓋を開けると、中には眩いほどの金貨と、王家の紋章が刻まれた数枚の『特権通行証』が詰まっていた。
「資金も、権力も、私がすべて提供しよう。王都の業者から最上級の資材を買い集めるのもいい。中央の貴族どもが野次馬に来ないよう、この村の周囲に私の近衛兵を配置して警備を固めるのもいい」
「た、大公様!? こんな大金、受け取れません!」
私が慌てて後ずさると、大公は私の腰をそっと引き寄せ、逃げ場を塞ぐように抱きとめた。
「受け取ってほしい。……君がその少女を輝かせるための『プロデューサー』として奔走するなら、私は君という最高のプロデューサーを支えるための、最初の熱狂的な『太客』になろう。君の描くステージを、この私が一切の妥協なく実現させてみせる」
「太客……!」
その言葉の響きに、私の胸の奥がキュンと、甘く強く締め付けられた。
お金や権力を振りかざして『私を従わせる』のではない。私がやりたいこと、私が助けたいものを、彼自身の全力を懸けて『裏から支える』と言ってくれているのだ。
前世で、責任だけを押し付けて手柄を奪っていった人間たちとは、対極にある存在。私の意志を尊重し、同じ方向を見て一緒に戦ってくれる、最高で最強のパートナー。
「大公様……。本当に、ありがとうございます。私、絶対に最高のライブにしてみせます!」
「ああ。楽しみにしているよ、私だけの愛しいプロデューサー」
私たちが甘い空気の中で見つめ合っていた、まさにその時である。
「ア、アマネ様ぁぁぁーーっ!!」
ドタドタドタッ! と、ステージの上から芋ジャージ姿のリーザちゃんが転がるように駆け寄ってきた。
彼女は木箱の中の金貨の山を見ると、目をひん剥いてその場にスライディング土下座をキメた。
「す、スーパーウルトラ絶対無敵のスパチャ(御縁)ですわーーっ!! 大公様! いえ、大公パトロン様! 私、貴方様のために粉骨砕身、銀河の果てまで歌い切ってみせますわ!!」
「……勘違いするなよ、人魚の娘」
大公は、リーザちゃんを見下ろして、氷のように冷たく(私に向けるものとは百八十度違う声で)言い放った。
「私が資金を出すのは、君の歌に価値を感じたからではない。愛しいアマネが、君のために泥だらけになって奔走しているからだ。もし本番で、アマネのプロデュースに泥を塗るような無様な真似を見せれば……シーランの女王よりも先に、私が君を干物にするぞ」
「ヒィィィッ! か、肝に銘じますわーーっ!!」
大公の圧倒的な威圧感に、リーザちゃんは地面に頭を擦り付けた。
フェイトも遠くで「やっぱあの人、本気で怒らせたらこの世の終わりだな……」と震えている。
「ふふっ」
私は思わず吹き出してしまった。
大公様の、この私に対する『完全なえこひいき(溺愛)』が、今はひどく心地よかった。
「よーし! スポンサーからの特大の支援も入ったことだし、気合い入れ直すわよ! ドリスちゃん、発注した資材が倍になるからね!」
「任せるッス! コーラさえあれば、私の魔導回路は限界を超えられるッス!」
「フェイト! サクラの動き、完全に覚えるまで帰さないからね!」
「ヒッ! ペンライト振りの特訓、再開します!」
大公の絶対的なバックアップを得て、限界プロデューサー・アマネとポンコツスタッフたちによる『偽装ライブ』の準備は、いよいよ佳境へと突入していく。
しかし、王都から莫大な資金が動いたことで、その『甘い利権の匂い』を嗅ぎつけた新たな悪意が、ポポロ村の地下アイドルのステージへと忍び寄っていることに、私たちはまだ気づいていなかった。
読んでいただきありがとうございます。
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