EP 3
「ジャンクフードの悪魔的餌付け」
「アマネさん! 持ってきました! 平らな石と、冷たい湧き水です!」
フェイトが息を切らして戻ってきた。その手には、テーブル代わりになりそうな大きめの平らな石と、木桶にたっぷり入った澄んだ湧き水が抱えられている。
「ありがとう、フェイト。……それじゃあ、いくわよ」
私は一つ頷くと、視界の端の『善行ポイント通販』の画面を操作した。
三日三晩、徹夜で魔導回路と睨み合っている引きこもりエンジニア(ドワーフ)の脳を、一撃で物理的に屈服させるための『最終兵器』。
前世のブラック企業で、デスマーチ中のプログラマーたちを深夜のオフィスに繋ぎ止めるために私が自腹で発注していた、あの悪魔の食べ物だ。
チャリン♪ という軽快な音と共に、平らな石の上に「それ」は出現した。
「……アマネ様。その、四角くて平べったい紙の箱と、黒い水が入った妙な筒はなんですの?」
リーザちゃんが、芋ジャージの袖から顔を覗かせて不思議そうに瞬きをする。
「これはね、地球の労働者たちを虜にする、究極の『背徳の報酬』よ」
私はニヤリと笑い、四角い紙箱――『デリバリーピザ(Lサイズ)』の蓋をパカッと開けた。
――その瞬間。
周囲の空気が、暴力的なまでの『カロリーの匂い』に支配された。
「……ッ!!?」
フェイトとリーザちゃんが、同時に息を呑んで後ずさった。
箱の中に鎮座していたのは、こんがりとキツネ色に焼き上がった分厚いパン生地。
その上には、海のように広がる黄金色のとろけるチーズがたっぷりと敷き詰められ、さらにカリッと焦げ目のついた真っ赤なペパロニ(サラミ)が、これでもかと敷き詰められている。
漂ってくるのは、食欲を直接殴りつけるような強烈なガーリックとトマトソースの香り、そして、ペパロニから染み出したジューシーな肉の脂の匂い。
「な、なんですかこの、嗅いだだけで太りそうなどす黒い暴力的な匂いは……!?」
「でも、すっごく……すっごく、美味しそうな匂いッス……! 喉が鳴る……!」
「さらに、これだけじゃ終わらないわ」
私はもう一つのアイテム、『ペットボトル入りのコーラ(大容量)』を手に取り、フェイトが汲んできた氷のように冷たい湧き水で急激に冷やした。
そして、タローマン製の紙コップに、黒い液体をトクトクと注ぎ込む。
シュワァァァァッ! と、炭酸の弾ける爽快な音が響き渡り、甘く刺激的な香りがピザの匂いと見事に混ざり合った。
「熱々で脂ギトギトのピザに、キンキンに冷えたコーラ。……徹夜明けの極限状態の脳には、どんな高級料理よりも、こういう『塩分と糖分と脂質の塊』が一番効くのよ」
私は前世のデスマーチの記憶を反芻しながら、悪い笑みを深めた。
「さあリンちゃん。あなたの魔法で、この匂いをあの鋼鉄の扉の隙間から、一気に地下工房の中へ送り込んで!」
「うん、任せて!」
リンちゃんが指先で小さな雷のスパークを起こし、周囲の空気を温めて局地的な『風』を生み出した。
フワァッ……と、ピザとコーラの悪魔的な香りが風に乗り、厳重にロックされた鋼鉄の扉の僅かな隙間へと吸い込まれていく。
さあ、どうなる。
私たちは息を潜めて、鋼鉄の扉を見つめた。
一秒、二秒、三秒。
……何も起きない。
「アマネ様、やっぱりダメですわ。あんなコミュ障の引きこもりドワーフ、食べ物の匂いなんかじゃ釣れま――」
リーザちゃんが諦めかけた、まさにその時だった。
『――ガチャン! ガチャガチャガチャッ! ギイィィィィィバンッ!!!』
内側から何重にもかけられていた鍵が、弾け飛ぶような勢いで解除され、分厚い鋼鉄の扉が蹴り破られるように開け放たれた。
「……ハァ、ハァ、ハァ……ッ!!」
そこには、ボサボサの髪を振り乱し、血走った目で周囲を見回すドリスの姿があった。
彼女の鼻はピクピクと激しく動き、口の端からはツーッと一筋の涎が垂れている。三日三晩徹夜した限界の体は小刻みに震え、まるで飢えた獣のようだった。
「な、なんスか……今の、匂いは……ッ」
ドリスはフラフラと覚束ない足取りで、吸い寄せられるように私たちの前――平らな石の上に置かれたピザボックスの前へとやってきた。
そして、箱の中身を見た瞬間、彼女の目の色が変わった。
「こ、これは……ッ! パン生地の上に、チーズと肉が……! 信じられないほどの、脂と塩分の暴力的な輝き……!」
「お疲れ様、ドリスちゃん。徹夜明けの特製まかないよ。遠慮せずに、一口どうぞ」
私は聖母のような(ただし内心は悪徳プロデューサーの)笑みを浮かべ、熱々のピザを一切れ持ち上げた。
とろぉぉぉり……。
限界まで乗せられたダブルチーズが、滝のように長く、長く糸を引く。
「あぁ……ああぁぁぁッ……!」
ドリスはもう、我慢の限界だった。
「い、いただきますッス!!」
彼女は両手でピザを引ったくるように受け取ると、大きく口を開けてガブリと噛み付いた。
「――ッ!!?」
ドリスの体が、ビクゥッ! と大きく跳ねた。
「あ、熱っ! はふっ、ふぁふっ! ……んんんんッ!?」
サクッとしたクリスピーな生地の食感。その直後、口の中に爆発的に広がる濃厚なチーズの旨味と、ペパロニの肉汁。ガーリックとトマトソースのジャンクな酸味が、三日間の徹夜で枯渇しきっていた彼女の脳細胞を、直接ガンガンと殴りつける。
「な、なんスかこれぇぇぇッ! 旨い……! 旨すぎるッス! 脳みそが、全身の細胞が、歓喜の悲鳴を上げてるッス! カロリー! カロリーが直接血管に注射されてるみたいッス!」
「さあ、飲み込む前にこれを流し込んで」
私はすかさず、シュワシュワと弾けるキンキンに冷えたコーラの紙コップを彼女の手に押し付けた。
ドリスはピザを口にいっぱいに頬張ったまま、コーラを一気に喉の奥へと流し込んだ。
「ゴキュッ、ゴキュッ、ゴキュッ……ぷっはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
その瞬間、ドリスの瞳孔がカッと見開かれ、完全に『天を仰いだ』。
氷のように冷たい炭酸の暴力的な刺激が、脂まみれの口の中を一気に洗い流し、致死量の糖分が光の速さで脳髄へと到達する。
ピザ(脂と塩分)→ コーラ(炭酸と糖分)という、人類が到達した最も邪悪で完璧な無限ループ。
「あはっ……あははははっ! 最高ッス! 徹夜明けの体に、この刺激とカロリーは犯罪的ッス! こんな神の食べ物、アナステシア世界のどこを探してもないッスよ!」
ドリスは完全に理性を失い、二切れ目、三切れ目と、熱々のピザを狂ったように貪り食い始めた。その間にコーラを流し込み、恍惚の表情で「ヒャハァッ!」と奇声を上げている。
もはや、さっきまでの「コミュ障で人間嫌いの気難しい職人」の面影は1ミリもなかった。ただの、ジャンクフードの虜になった哀れな限界エンジニアである。
「す、すごいですわ……」
リーザちゃんが、その圧倒的な光景に恐怖すら覚えて後ずさる。
「あの頑なだったドワーフの職人が、たった丸いパンと黒い水で、完全に『堕ちて』しまいましたわ……! アマネ様、恐ろしい女ですの……!」
「……さて。どうかしら、ドリスちゃん。お味のほうは」
私は、ピザを半分布ほど平らげて荒い息をついているドリスを見下ろした。
ドリスはハッとして我に返り、口の周りにケチャップとチーズをべっとりとつけたまま、私を見上げた。
「あ……あぅ……」
「あなたにお願いしたいのは、来週末のアイドルライブの音響機材よ。もちろん、タダとは言わないわ」
私は、ドリスの目の前で、残ったコーラのペットボトルを軽く揺らして見せた。シュワァ、と魅惑的な音が鳴る。
「もし、専属の機材スタッフとして私たちに協力してくれるなら。作業期間中の『まかない』として、毎日このピザとコーラを、好きなだけ提供することを約束するわ」
「――ッ!」
「さらに、ライブが見事成功した暁には、別メニューのジャンクフード……『ダブルチーズバーガーとフライドポテト特盛り』も追加で差し入れしてあげる」
「や、やるッス!!」
ドリスは土下座するような勢いで、私の足元にひれ伏した。
「やらせてくださいッス、アマネプロデューサー!! この神の食べ物を毎日くれるなら、大型スピーカーでも、魔導イルミネーションでも、なんだって作ってみせるッス! コミュ障とか言ってる場合じゃないッス! 私は今から、アマネプロデューサーとリーザさんの専属スタッフッス!!」
「交渉成立ね」
私は前世のブラック上司顔負けの、実に満足げな笑みを浮かべた。
こうして、ポポロ村の地下に引きこもっていた天才ドワーフの美少女職人・ドリスは、地球のジャンクフード(ピザとコーラ)の悪魔的な魅力にあっさりと胃袋を掴まれ、私たちの仲間として着地(陥落)したのだった。
「よし! 音響スタッフは確保したわ! リーザちゃん、フェイト! 本番まであと一週間、死ぬ気でステージの準備を始めるわよ!」
「はいですわーっ!!(お母様に殺されるくらいなら、なんだってやりますわーっ!)」
「ええっ、俺も肉体労働っすか!?」
ポポロ村の野外広場を舞台にした、限界地下アイドルの『完全偽装シークレットライブ』に向けた地獄の特訓と設営が、いよいよ本格的に動き出した。
読んでいただきありがとうございます。
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