EP 8
「愚か者の突撃と、砕け散る防壁」
モーツァルトの優雅な旋律が静かに響くポポロ村のメロロン畑。
その中心で、黄金色に輝く『クイーンメロロン』は、朝露を弾きながらぽよんと豊満な果肉を揺らしていた。私が『善行ポイント通販』で取り寄せた最高級有機肥料のおかげで、もはやただの魔獣植物ではなく、神々しさすら漂う極上の特産品へと昇華している。
そこへ、ドスドスと無遠慮な足音を立ててゲルドが歩み寄った。
口には安物の葉巻をくわえ、ギラギラとした欲望を隠そうともしない、脂ぎった顔。
「へっへっへ……間近で見ると、とんでもねえ極上品じゃねえか。こいつは高く売れるぜ!」
ゲルドは下卑た笑みを浮かべ、クイーンメロロンへとその太い腕を伸ばした。
その瞬間、クイーンメロロンの表面が微かにピンク色に発光した。彼女の周囲数メートルに展開されている、防衛本能としての『魅了』の魔力フィールドである。
「おっと、これが噂の魔性ってやつか? だがな……!」
ゲルドの顔がピンク色のオーラに触れた瞬間、彼の右手の薬指にはめられていた巨大な宝石の指輪――『精神防壁の魔導リング』が、カッと青白い光を放った。
ピンク色のオーラは、青白い光の壁に弾かれ、霧散していく。
「ゲラゲラゲラ! 見たか! 王都の一流魔導具職人に金貨100枚で特注した、この絶対防壁をよ!」
チャームが効かないと確信したゲルドは、これ見よがしに振り返り、遠くから見守っている私たちに向かって勝ち誇ったように叫んだ。
「おい、そこの無能令嬢! お前の警告とやらも、貧乏人の僻みにしか聞こえねえな! 耳栓だのマスクだの、そんなもんはお前らみたいな魔力も金もねえゴミクズどもが使うもんだ! 俺様のような真の強者には、こんなオカルト果実の誘惑なんざ、そよ風以下の――」
ゲルドが饒舌に私を嘲笑っていた、まさにその時だった。
『……ちょっと、うるさいわね』
脳髄を直接撫で回すような、極上のウィスパーボイス。
しかし、昨日まで男たちを惑わせていた「媚び」を含んだ甘い声ではない。
それは、最高級の環境とクラシック音楽によって気高さを極めた、完全無欠の『女王』としての声だった。
「あぁん? なんだ、頭に直接声が……」
ゲルドが怪訝な顔をして、クイーンメロロンに向き直った。
クイーンメロロンは、モーツァルトの調べに合わせて優雅にぽよん……と揺れると、ゲルドの全身を品定めするように見つめ(メロンに目はないが、確かにそんな気配がした)、冷ややかにため息をついた。
『安物の葉巻の匂い。ギトギトの脂汗。それに、他人から奪うことしか考えていない、貧相で底の浅い欲望……。せっかくアマネちゃんがくれた最高の環境とクラシック音楽が、あなたのその悪臭と騒音のせいで台無しよ』
「な、なんだと!? たかが植物の分際で、俺様を愚弄する気か!」
ゲルドが怒りで顔を真っ赤にして怒鳴る。
だが、クイーンメロロンは意に介さず、さらに一段階深く、濃密な魔力を練り上げ始めた。
『それに……あなた、本当はすごく「空っぽ」なのね』
「あ……?」
『お金や権力を振りかざして、他人を見下して……そうやって自分を大きく見せないと、不安で不安で仕方ないんでしょ? 誰も自分の本当の価値なんて認めてくれないって、心の底では怯えている。だから、そんな成金趣味のガラクタで全身を鎧っているのね』
図星を突かれたのか、ゲルドの顔からスッと血の気が引いた。
「う、うるせえ! 俺様は商業ギルドの幹部だぞ! 誰も俺を馬鹿になんてできねえ!」
『可哀想に……。そんなに虚勢を張って生きるの、もう疲れちゃったでしょう?』
クイーンメロロンから放たれたのは、ピンク色ではなく、もはや黄金色に近い極上のオーラだった。
それは、昨日までの「畑のキャバ嬢」のような安っぽい誘惑ではない。相手の心の最も脆い部分、孤独や虚無感に直接入り込み、すべてを母性で包み込む『絶対的救済(という名の洗脳)』の波動。
私があたえた最高級有機肥料の栄養素をフル活用した、クイーンメロロンの全力全開のチャームである。
ビキッ……!
ゲルドの右手に、不吉な音が響いた。
彼が絶対の自信を持っていた『精神防壁の魔導リング』に、細かい亀裂が入り始めたのだ。
「なっ!? ば、馬鹿な! この指輪は金貨100枚もした一級品だぞ! たかが田舎のメロンごときの魔力で……!」
『いくら着飾っても、あなたの心はボロボロよ。……ねえ、もう無理して他人から奪わなくていいの。そんな見栄っ張りの指輪も、お金も、全部捨てて……私のところで、ゆっくり休みなさい?♡』
パリーンッ!!!
メロロンの極上の甘い囁きが臨界点に達した瞬間。
ゲルドの薬指にはめられていた魔導リングの宝石が、内側からの圧倒的な魔力圧に耐えきれず、粉々に砕け散った。
「あ…………っ」
防壁が消失したゲルドの脳内に、希釈率0%、純度100%のクイーンメロロンの魔声が直接叩き込まれる。
『――いい子ね。私が、あなたの全部を認めてあげるから♡』
その瞬間、ゲルドの全身の力が抜け、膝からガクンと崩れ落ちた。
彼の顔から、先程までの傲慢さや、他人を見下す下劣な表情が完全に消え去っていた。代わりに浮かんだのは、まるで母親の胸に抱かれた赤子のような、至福に満ちた、だらしない笑顔だった。
「あぁ……ああぁ……」
ゲルドの口から、だらしない涎が垂れる。
彼は焦点の合わない目でクイーンメロロンを見上げ、震える両手で、自分の首にかかっていた何連もの金のネックレスを引きちぎった。
「そ、そうか……俺は……俺はもう、虚勢なんて張らなくていいんだな……。お前だけが……メロロンちゃんだけが、俺の本当の姿を、全部許してくれるんだな……!」
『ええ、そうよ。全部、私に預けて?』
「うおおおおおん!! メロロオオオオオンちゃんんん!!」
ドサリ、と。
ゲルドは身につけていた高級な上着を脱ぎ捨て、泥まみれになるのも構わず畑の土に這いつくばった。そして、自分の懐からジャラジャラと金貨の詰まった袋を取り出し、狂ったような手つきでメロロンの足元の土を掘り始めたのだ。
遠くからその一部始終を見守っていた私たちは、ただただ無言だった。
「……うわぁ」
フェイトが、過去の自分を見ているかのように青ざめてドン引きしている。
「あいつ、俺より重症っすね。まさか、あの魔導リングが物理的に砕け散るなんて……アマネさん、あの肥料、どんだけメロンのステータス爆上げしたんですか?」
「私はただ、最高の環境をプレゼントしただけよ」
私は肩をすくめた。
「大公様みたいな『本物の愛と信念』を持ってる人には、メロロンのチャームなんて1ミリも効かなかったわ。でも、ゲルドみたいな『他人を見下すことでしか自分を保てない、心の中が空っぽの人間』にとって、あの全肯定の甘やかしは、どんな強力な魔法よりも致死的な毒になるのよ」
ゲルドは、自らの傲慢さゆえに他人の忠告を無視し、大自然の――そして地球の科学で極限まで強化された魔性果実の――真の恐ろしさを前に、なすすべもなく崩れ去った。
私が一切手を下すまでもなく、彼が今まで積み上げてきた「虚栄」と「悪意」の因果が、彼自身を地獄(という名のメロン沼)へと引きずり込んだのだ。
「さあて、ここからが本番ですわね」
リーザちゃんが、芋ジャージのポケットからタローマン製のメモ帳を取り出し、目を輝かせている。
「あの豚……いえ、ゲルド様がどこまで身ぐるみ剥がされて無一文になるか、しっかり見届けませんと。アイドルとして、太客からどこまで搾り取れるかの最高の教材ですわ!」
「リーザちゃん、本当にその解釈やめなさいってば」
私はリーザちゃんの頭を軽く叩きつつ、メロロン畑の中央で土に顔を擦り付けながら号泣しているゲルドを見つめた。
「俺の全財産……権利書も、商会の実印も、全部受け取ってくれぇぇぇ!! 愛してるんだぁぁ!!」
モーツァルトの優雅な旋律の中、悪徳ブローカーの哀れな絶叫が、ポポロ村の青空に空しく響き渡っていた。
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