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鋼の清算 ― 瓦解する利権の砦

ロンドンの夜明けは、霧を切り裂くような冷たい陽光と共に訪れた。


だが、ウェストミンスター宮殿の奥深くに集まった閣僚たちにとって、その光は希望ではなく、自らの破滅を照らし出す冷徹な審判の光であった。


ヨシュア・ゴールドシュミットの突きつけた「最終通告」の衝撃は、一夜にして大英帝国の根幹を揺るがした。


アヘン貿易の全面廃止と、それに伴う利権関係者の全辞職。


それは、帝国の支配層にとって、自らの四肢を切り落とすに等しい苦渋の選択であった。


外務大臣パーマストン卿は、私邸の執務室で、ヨシュアから届いた最後の手紙を握りつぶしていた。


「……たかが金貸し一人が、この大英帝国の国策に土足で踏み込んでくるとは。……ゴールドシュミット、貴様は自分が何を変えようとしているのか、分かっているのか」


パーマストンの前には、昨夜ヨシュアに追い詰められたトレヴェリアン次官が、青ざめた顔で立ち尽くしていた。


「卿、もはや猶予はありません。……ゴールドシュミット銀行が保有する政府系手形が市場に流されれば、ポンドの信用は地に落ちます。……さらに、彼が握っている我々の『裏帳簿』が公表されれば、議会は暴徒化した民衆に包囲されるでしょう」


パーマストンは、窓の外で静かに流れるテムズ川を凝視した。


かつてナポレオンを打ち破り、七つの海を支配下に置いたこの国が、一人の銀行家が操る「数字」の前に膝を屈しようとしている。


「……アヘンを諦めるということは、東インド会社を解体し、インドの統治体制をも根底から作り直すということだ。……それは、帝国の崩壊を意味するのではないか?」


「いいえ、卿。……ゴールドシュミットはこう言いました。……『毒で肥え太る帝国は、内側から腐り果てる。……正当な技術と信頼で結ばれた交易こそが、永劫の繁栄をもたらす』と」


パーマストンは、力なく椅子に身を沈めた。


同じ頃、ヨシュアはゴールドシュミット銀行の本店で、サミュエルと共に次なる一手の準備を整えていた。


「ヨシュア様、パーマストン卿の私邸から動きがありました。……先ほど、外務省の急使が議事堂へ向かったようです。……おそらく、条件受諾への最終調整かと思われます」


「……まだ安心はできない。……窮鼠が猫を噛むように、連中が最後に市場の『自爆』を画策する可能性もある。……サミュエル、ロンドン証券取引所の全ポストに配置した我々の仲買人に伝えろ。……いかなる微細な売り崩しにも、即座に買い向かう準備をしろ。……一ペニーの隙も作らせるな」


ヨシュアの声には、一分の揺らぎもなかった。


彼の目的は、単に敵を倒すことではない。


アヘン貿易という名の巨大な「負の遺産」を、誰にも、そして二度と、再生不可能な形まで粉砕することにある。


午前十時。


ロンドン証券取引所の鐘が鳴り響くと同時に、歴史を左右する「最後の決戦」が幕を開けた。


市場には、政府がアヘン貿易から撤退するという噂が広まり、東インド会社の株価は取引開始直後から、かつてない暴落の兆しを見せていた。


「売れ! 叩き売れ! 会社が潰れるぞッ!!」


「政府はアヘンを見捨てたんだ! こんな紙切れ、持っていてもゴミになるだけだ!」


パニックがパニックを呼び、場内は地獄絵図と化していた。


その光景を、ヨシュアは取引所の特別席から、冷徹な観測者の目で眺めていた。


そこに、血相を変えたパーキンス理事が、衛兵を連れて再び姿を現した。


「ゴールドシュミット! 貴様の望み通り、市場は崩壊したぞ! これで満足かッ!! 帝国が破産し、数万人の市民が路頭に迷う様を見て、貴様は笑うのかッ!!」


ヨシュアは、ゆっくりとパーキンスの方を向き、その瞳を真っ向から射抜いた。


「……パーキンス理事。……相変わらず、物事の本質が見えていないようですね」


「何だと!?」


「暴落しているのは、あなたがたが積み上げた『嘘』の価値です。……アヘンという劇薬で粉飾された、実体のない繁栄が剥がれ落ちているに過ぎない」


ヨシュアは、手元にあった一通の電信を掲げた。


「今この瞬間、私はゴールドシュミット銀行の全資産、および欧州各国のパートナーたちから預かった資金……総額一億ポンド規模の買い注文を、市場に投入した」


パーキンスの顔が、驚愕で引きつった。


「一億……だと……? 正気か!? 暴落している株を買い支えるなど、正気の沙汰ではない!」


「私は、ゴミを買っているのではない。……『未来の英国』を買っているのです」


ヨシュアは、立ち上がり、一歩ずつパーキンスを追い詰めていく。


「アヘンを捨て、正当な工業製品と技術で清国と向き合う新たな東インド会社。……その再生に向けた再建案を、私は既に清国の林則徐、および本国の大蔵省と合意させた。……この暴落は、不浄な血を入れ替えるための『外科手術』に過ぎない」


場内の雰囲気が、一変した。


ゴールドシュミット銀行の圧倒的な資金力が、底知れぬ売り圧力を力尽くで受け止め、株価のチャートが反転し始めたのだ。


「……やられたら、やり返す。……あなたがたが市場を毒で汚したというのなら、私はそれを『信用』という名の薬で浄化してみせる」


ヨシュアの言葉は、怒号の飛び交う会場に、不思議な静寂をもたらした。


「パーキンス理事。……あなたは先ほど、市民が路頭に迷うと言った。……だが、路頭に迷うのは、あなたの私腹を肥やすための汚れた配当金だけだ。……まっとうに働くロンドンの労働者たちには、アヘンに代わる新たな産業が、正当な賃金をもたらすだろう」


「……貴様……、一体何者なんだ……」


「ただの金貸しですよ。……ただし、利息だけでなく『平和』も取り立てる、少々しつこい金貸しですがね」


ヨシュアは冷たく言い放ち、サミュエルに合図を送った。


「始めろ。……アヘン利権に関わった全ての資産の没収、および国庫への還流。……一ペニーの端数まで、徹底的に、だ」


その日、ロンドンの街角には、外務大臣パーマストン卿を含む主要閣僚の総辞職と、アヘン貿易の恒久的な廃止を告げる号外が舞った。


それは、歴史が「大戦」や「略奪」へと向かう分岐点を、一人の男の執念が強引にねじ曲げた瞬間であった。


ヨシュア・ゴールドシュミット。


彼の戦いは、大英帝国の野望を挫くだけに留まらない。


不当な略奪に基づかない、真の平和な世界経済の構築という、人類史上最も困難な「長期返済計画」の始まりであった。

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