↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
42/84

昔馴染のベーコンエピ(前編)

 冬の気配が、少しずつ常磐木町に降りてきていた。朝の空気は冷たく、坂道を吹き抜ける風には、秋の名残と冬の匂いが混ざっている。

 ククノチの店内では、紬が焼き上がったパンを並べていた。

 今日のおすすめは、ベーコンエピ。


 小麦を感じるしっかりとした生地の中に、カリカリのベーコン。


 歯応えがあって、食べ応えがある。


「ベーグルエピは、お腹いっぱい食べたい人に人気だね。」


 千鶴が棚を眺めながら言う。


「昔から変わらないもんね」


 紬は笑った。


「私も小さい頃よく食べていたよね?」


「知ってるよ」


 千鶴が笑う。


「紬ちゃん、自分で作った最初のベーコンエビもどきも、嬉しそうに食べてたもの」


「もどきって言わないでよ。」


「だって、ベーコンが全部片寄ってたじゃない」


 そんな会話をしていると、店のベルが鳴った。


 カラン。


「こんにちは」


 聞き慣れた声。


「藤代先生」


 紬の表情が自然に明るくなる。その変化に、蓮自身は気づいていなかった。


「今日は寒いですね」


「本当ですね」


 蓮はいつもの席に座る。最近では、それが当たり前になっていた。学校帰りに寄る日もある。休日に立ち寄ることもある。パンを買うため。


 ……そう思っていた。


「今日は何にしますか?」


 紬が尋ねる。蓮は少し考えた。


「ベーコンエピをお願いします。おすすめですよね?」


「はい」


 紬は笑う。


「今日は、きっと先生に合うと思います」


 その言葉に、蓮は少しだけ目を細めた。紬はいつもそうだった。何気ない言葉の中に、相手を思う気持ちがある。

 だからなのか。この店に来ると、肩の力が抜ける。


 昼前。ククノチの前に、一台の軽トラックが止まった。


「紬ー」


 男性の声が響く。聞き慣れない声に、蓮は顔を上げた。紬が店の外へ出ていく。


「あ……! 智也くん。久しぶり。」


 その瞬間。蓮は少し驚いた。紬の顔が、いつもと違ったからだ。もちろん笑っている。でも、ククノチで見せる優しい笑顔とは少し違う。

 もっと自然で、もっと素に近いような自然な笑顔。


「久しぶり」


 男性はそう言って笑った。


「棚の修理に使う部品、持ってきた」


「ありがとう。助かる」


「紬、相変わらずだな」


「何が?」


「昔から、パンが似合う。」


 紬が少し困ったように笑う。その会話を聞きながら、蓮は胸の奥に小さな違和感を覚えた。

 この人は。紬さんの昔を知っている。自分が知らない時間を。


「先生」


 千鶴が小さな声で話しかける。


「子どもの頃からこの町にいる人です。紬ちゃんとは、子どもの頃から一緒だったんですよ」


 蓮は頷いた。


「そうなんですね。」


 それだけ答える。けれど、視線は自然と外へ向いていた。紬が笑っている。楽しそうに話している。その姿を見るのは嬉しいはずなのに。なぜか少しだけ、胸が沈んだ。ハッキリとした理由は分からない。ただ、自分はあの笑顔を見たことがなかった。


「彼は智也くん。子ども時代からの知り合いなんです。最近結婚したので、店にはなかなか来れなくて。はじめましでですよね?」


 紬が店に戻ってきて言った。


「ええ、初めて見かけるお客さんでした。」


「奥さんも優しくて素敵な人なんですよ。今度、一緒に来てくれるそうです。」


 蓮は一瞬だけ黙った。


「それは、嬉しいことですね。」


 自分でも分からないほど自然に、安堵していた。そんな自分に蓮は違和感を覚えた。なぜ安心したのだろう? 彼はただ、紬の昔からの知り合いだ。大切な人なのだろう。しかし、さっきまで感じていた寂しさは、何だったのか。


「先生?」


 紬が首を傾げる。


「大丈夫ですか?」


「あ、はい」


 蓮は笑った。


「少し考え事をしていただけです」


 紬は少し心配そうに見る。その視線に、また胸が温かくなる。そして蓮は思った。自分は、いつからこんなにも、この人の一言に心を動かされるようになったのだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。