収穫祭とかぼちゃパン
日曜日の朝。常磐木町はいつもより少しだけ賑やかだった。
商店街のあちこちに色とりどりののぼり旗が立ち、広場には町内会の人たちが朝早くからテントを組み立てている。
八百屋の店先には、大きなかぼちゃやさつまいも、柿にみかん。秋の実りが並ぶ景色は、それだけで町全体を明るくしていた。
ククノチでも、いつもより少し早い時間からパンが焼き上がっていく。
「今日は忙しくなりそうですね。」
紬は焼きたてのかぼちゃパンを鉄板から網へ移した。鮮やかな黄色の生地は、町で採れた栗かぼちゃを練り込んだ秋限定の一品だ。
「収穫祭の日は、毎年みんな寄ってくれるからねぇ。」
千鶴は笑いながら、パンを袋に詰めていく。
「午後には店を閉めて、お祭りに行くんでしょう?」
「うん。、」
紬はうなずく。その返事をした瞬間、ほんの少しだけ胸が高鳴った。今日は、蓮と約束をしている。
それは”お返し”。この前、紅葉のきれいな場所へ連れて行ってもらったから。
今日は自分が、常磐木町の好きな景色を案内する。あくまでも案内、それだけ。そう自分に言い聞かえながらも、パンを並べる手はどこか落ち着かなかった。
「紬。」
「はい?」
「エプロン、そのままで行くつもり?」
「え?」
千鶴は笑いをこらえながら言う。
「今日は休みなんじゃから、私服に着替えんね。」
「あ……そうだよね。」
紬は照れくさそうに笑った。そんな様子を見て、千鶴は心の中でそっとつぶやく。
(昔は、人と約束をすることさえ遠慮しとった子がねぇ。)
それだけで十分だった。紬が人と過ごす時間を楽しみに思えるようになった。その変化が、千鶴には何よりもうれしかった。
午前中は、収穫祭へ向かう人たちで店は大忙しだった。
「かぼちゃパン、まだある?」
「焼き芋の前にパンも買っていこう。」
笑い声が絶えない。ククノチもまた、町の収穫祭の一部だった。
昼を少し回った頃。最後のパンを棚へ並べ終えた紬は、店の時計を見上げる。待ち合わせまで、あと一時間ほど。
窓の外には、秋の陽射しを受けて輝く商店街。その向こうには、常磐木神社へと続く石段が見えていた。
あの鳥居の前で、蓮は待っていてくれるだろうか。そんなことを考えていると、自然と頬がゆるんでしまう。紬は慌てて小さく首を振った。
「……よし。」
今日は、自分が案内役だ。紅葉のお返しに、この町の秋を、精一杯伝えよう。
神社の鳥居の前へ着くと、蓮はすでに待っていた。
柔らかなベージュのニットに濃紺のジャケット。学校で見る教師らしい姿とは少し違い、肩の力が抜けた休日の装いだった。紬は思わず足を止める。
――背が高いからモデルさんみたい。
そんなことを考えた自分に気づき、慌てて胸の内へしまい込む。
「こんにちは。」
蓮が笑顔で手を挙げた。
「お待たせしました。」
「いえ、僕もさっき来たところです。」
穏やかな声に、張っていた緊張が少しだけほどける。
「今日はよろしくお願いします。」
「こちらこそ。」
紬は小さく頭を下げた。
「今日は私の好きな常磐木町を、ご案内しますね。」
「楽しみにしていました。」
その一言がうれしくて、紬は自然と笑みを浮かべた。
商店街は朝よりもさらに賑わっていた。焼き芋の甘い香りが風に乗り、農家の人たちが並べた野菜の前では、近所の人たちが楽しそうに立ち話をしている。
「紬ちゃん!」
乾物屋のおばあさんが手を振る。
「今日はお客さんと一緒かい?」
「こんにちは。」
紬が笑って挨拶すると、おばあさんは蓮にもにっこり笑いかけた。
「先生、この子、町のことなら何でも知っとるから安心してついて行きなさい。」
「はい。今日は案内していただきます。」
「ふふ、それがいいよ。」
そんな何気ないやり取りに、蓮の肩の力も自然と抜けていく。歩けば誰かが紬へ声を掛ける。花屋の店主。魚屋のおじさん。保育園の先生。
誰もが「紬ちゃん」と親しげに呼び、笑顔を向ける。
「本当に、皆さん紬さんのことがお好きなんですね。」
蓮が感心したように言うと、紬は少し照れくさそうに笑った。
「小さい頃からお世話になっている方ばかりなんです。だから、私もパンで少しずつ恩返しができたらって思っていて。」
その言葉に、蓮は静かにうなずく。パンを焼くことは仕事だからではない。この町への恩返し。
そう思って毎日窯に向かっていることが、紬らしいと思った。
焼き芋の屋台の前で足を止める。
「先生、焼きたてですよ。」
「じゃあ、一つ。」
店主が新聞紙に包んだ焼き芋を渡してくれる。
「二人なら半分こで十分じゃろ。」
紬と蓮は顔を見合わせ、思わず笑った。
「そうします。」
紬が半分に割ると、黄金色の湯気が立ち上る。
「熱っ。」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です。」
そう言いながら笑い合う時間が心地よい。ふと蓮は思う。紅葉の日も、くるみパンを分け合った。
今日は焼き芋。一緒に食べることが、いつの間にか当たり前のようになっている。
神社の参道へ向かう途中だった。
「待てー!」
子どもの声が響く。ゴムボールを追いかけた男の子が、人混みを縫うように駆けてきた。
紬はボールを拾おうとした。その先から、別の子どもが走ってくる。
ぶつかる――。
「紬さん。」
蓮の体が反射的に動いた。そっと紬の手首をつかみ、自分のほうへ引き寄せる。ふわり、と距離が縮まる。
子どもたちは笑いながら二人の前を駆け抜けていった。
「ごめんなさい!」
母親が頭を下げる。
「大丈夫ですよ。」
蓮が笑顔で返す。そのあと、二人だけが少し動けなかった。蓮ははっとして、慌てて手を離す。
「あ……すみません。」
「いえ。」
紬は小さく首を振る。
「助けてくださって、ありがとうございました。」
手首にはまだ、蓮のぬくもりが残っている気がした。胸が少しだけ騒ぐ。どうしてだろう。
さっきまでと何も変わらないはずなのに、隣を歩く距離が少しだけ近く感じる。
蓮もまた、照れているのか、無造作にまとめられた頭を掻く。
「大事に至らず良かった。」
「危ないところでしたね。」
紬も笑った。けれど、その笑顔はどこか照れていた。
二人は神社の鳥居をくぐり、境内を横切る。
「この先なんです。」
紬が案内したのは、本殿とは反対側へ続く細い坂道だった。木立の間を抜けると、急に視界が開ける。
夕日に照らされた海が、一面に広がっていた。海面は黄金色にきらめき、ゆっくりと沖へ向かう船が一隻、小さな影を引いている。蓮は思わず息をのんだ。
「……きれいだ。」
「でしょう?」
紬は海を見つめたまま微笑む。
「私、この景色が一番好きなんです。」
風が二人の間をやさしく通り抜ける。紅葉とは別の。けれど同じように、心が静かになる景色だった。
「この前は先生が素敵な場所へ連れて行ってくださいました。」
紬は少し照れながら続ける。
「今日は、そのお返しです。」
蓮はしばらく海を眺め、それから穏やかに笑った。
「ありがとうございます。」
「また一つ、大切な景色が増えました。」
紬はその言葉を聞いて、胸がじんわりと温かくなる。自分の好きな風景を、好きになってもらえた。それだけで十分うれしかった。
一方で蓮は、夕日に染まる海を見つめながら思う。
(この景色が特別綺麗に思えるのは、紬さんが「好き」だと言う景色だからなのだろうか?)
まだ、その気持ちに名前はない。けれど秋の終わりの風は、二人の間に生まれ始めた小さな変化を、静かに運んでいった。




