文化祭と焼きとうもろこしパン(後編)
文化祭実行委員との打ち合わせは、一時間ほどで終わった。
「また後日連絡します。」
実行委員の生徒たちが元気よく頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
紬も笑顔で頭を下げた。焼きとうもろこしパンは試食でも好評で、「文化祭でも食べたい」という声が何度も上がった。
それだけで、この暑い中パンを運んできた甲斐があったと思えた。空になった箱を抱え、教頭先生と職員室へ向かう。廊下には、授業を終えた生徒たちの話し声が響いていた。
「このまま職員玄関までご案内しますね。」
教頭先生が歩き出した、その時だった。
廊下の向こうから、ファイルを片手に歩いてくる人影が見える。
蓮だった。授業を終えたばかりなのだろう。長袖を捲り、ネクタイを少しだけ緩めている。仕事モードな顔つきだ。
紬に気づいた蓮は、一瞬だけ立ち止まった。
「……小鳥遊さん?」
その真面目そうな表情に、ほんの少しだけ驚きが浮かぶ。
「こんにちは。」
紬はぺこりと頭を下げた。
「文化祭の打ち合わせで伺っていました。」
「ああ、そうだったんですね。」
蓮はようやく状況がつながったように笑った。
「藤代先生のお知り合いですか?」
蓮は教頭に会釈すると、一緒に紬を玄関まで案内する。
「先ほど、廊下で授業を少しだけ見てしまいました。」
そう言われると、蓮は少し照れたように笑う。
「見られていましたか。」
「はい。」
「……少し恥ずかしいですね。」
無造作にまとめられた頭を掻く。いつもの力が抜けた様子に、紬もつられて笑った。
「でも、とても素敵な授業でした。」
蓮は照れ隠しのように小さく咳払いをする。
「ありがとうございます。」
そのやり取りを見ていた教頭先生が、にこやかに口を開いた。
「藤代先生は、生徒たちにも人気なんですよ。」
「いえ、そんな……。」
蓮が謙遜しようとした、その時。
「先生!」
廊下の向こうから数人の生徒が駆け寄ってきた。
「さっきのプリント、提出していいですか?」
「もちろん。」
蓮が答えると、生徒の一人が紬へ視線を向ける。
「あれ?」
「先生、この方はどなたですか?」
蓮は何気なく紬を見て、自然に答えた。
「ああ、文化祭の出店の商品を出すかもしれないんだ。僕がお世話になっとるパン屋さんじゃ。」
――言った瞬間だった。
「あ……。」
蓮が小さく目を瞬かせる。廊下が一瞬だけ静まり返る。
「先生。」
男子生徒が吹き出した。
「今の、方言ですよね?」
「えっ、初めて聞いた!」
「先生、訛るんだ!」
次々に声が上がる。蓮は困ったように笑いながら額に手を当てた。
「失礼しました。岡山の実家の言葉です。学校では気をつけているんですが……。」
すると紬が、くすっと笑う。
「パン屋に来ている時はよく聞きます。」
「えーっ!」
生徒たちが一斉に紬を見る。
「そうなんですか!?」
「先生、学校では標準語しか話さないのに!」
「なんか新鮮!」
廊下は笑い声に包まれた。蓮は少し照れくさそうに肩をすくめる。
「……小鳥遊さんの前だと、気が緩むみたいですね。」
何気なく口にした一言だった。言ってから、少しだけ照れたように笑う。紬は一瞬だけ目を丸くした。胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなる。
けれど、その意味を考える前に、
「あーっ。昼休み終わる! またね先生!」
という生徒の声が飛んできた。
「ええ、またあとで。」
蓮はいつもの教師の表情に戻り、生徒たちへ向き直る。その切り替えの早さに、紬は思わず感心してしまう。
職員玄関まで見送りに来た蓮は、空箱をそっと受け取った。
「ここまで持ちます。」
「ありがとうございます。」
校門までの短い坂道を二人で歩く。蝉の声が、夏の空へ響いていた。
「学校の藤代先生。」
紬がゆっくり口を開く。
「少し新鮮でした。」
蓮は困ったように苦笑する。紬には素に近い自分を見られている。
「新鮮に見えますか。」
「はい。」
紬はまっすぐ蓮を見る。
「生徒達にとっても素敵な先生なのだろうと思います。」
蓮は照れたように視線を逸らした。
「あれはなんと言うか、理想の教師を演じていると言うか。パン屋で会う僕の方が、素に近いと思っててください。」
「そうなんですね。」
その言葉に、紬は静かにうなずく。仕事をしている姿を見た今日。
いつものパン屋で見せる笑顔が、もっと素敵に思えるようになった気がした。夕暮れには、きっとまたククノチで会える。約束された当たり前が、少しだけ特別に思えた。
「……いつもお世話になってる、パン屋さんにしては仲が良さそうだけどねぇ。」
途中から気配を消していたが、教頭の目にはしっかりと二人のやりとりが記録されたのだった。




