雨上がりのメロンパン(前編)
夏の空は、気まぐれだった。
朝から照りつけていた日差しは昼過ぎには厚い雲へ隠れ、三時を回る頃には大粒の雨が石畳を白く染め始める。
坂道を行き交う人々は軒先へ駆け込み、商店街の店主たちは慣れた手つきで商品を雨から守った。
ククノチの軒先にも、雨粒が軽やかな音を刻んでいる。紬は窓越しに空を見上げ、小さく息をついた。
「今日は静かになりそう。」
そう思った矢先だった。カラン、と扉のベルが鳴る。
「こんにちは。」
制服姿の女子高生が一人、傘をたたみながら入ってきた。肩まで濡れた髪を気にしながら、店内を見回している。
「いらっしゃいませ。」
紬が声をかけると、少女は少しだけ安心したように笑った。
「雨宿りでも大丈夫ですか?」
「もちろんです。」
イートイン席へ案内すると、少女は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。」
年の頃は十六、七歳。蓮が勤務する坂の上の高校「常磐木高校」の制服だ。鞄には吹奏楽部のキーホルダーが揺れている。
「何かお飲みになりますか?」
「じゃあ……ホットミルクを。」
「パンも焼きたてがありますよ。」
ショーケースを見る少女の視線が、一つのパンで止まった。
「これ……。」
「メロンパンです。」
表面は香ばしく、中はふんわり。焼きたてで、まだほんのり温かい。
「いただきます。」
少女は一口食べる。ほろりとこぼれる甘いクッキー生地。その瞬間、強張っていた表情が少しだけほどけた。
紬は何も言わず、その様子を見守る。メロンパンに触れたときに伝わってきたのは、
ーー失敗したくない。
そんな切実な思いだった。だから今日は、少しだけ優しく。雨が上がるのを待つような気持ちで選んだ。
店の外では雨脚が少し弱まってきた。再びベルが鳴る。
「こんにちは。」
聞き慣れた声に、紬は自然と顔を上げる。
「あ……先生。」
「雨がすごかったですね。」
蓮は肩を軽く払いながら店へ入ってくる。
「こんにちは。」
女子生徒は慌てて立ち上がった。
「藤代先生。」
「佐々木さん。」
蓮は少し驚いたように目を丸くする。
「部活帰りですか?」
「はい。」
少女――美緒は少しだけ困ったように笑った。
「急に降ってきちゃって。」
「今日は楽器、大丈夫でした?」
「先輩が車で運んでくれました。」
そう話しながらも、美緒の笑顔はどこかぎこちない。蓮はそれに気づいたが、あえて何も聞かなかった。
「先生も雨宿りですか?」
紬が尋ねる。
「ここのパンを食べながら、雨が落ち着くのを待とうかなと。」
「雨宿りにうちを選んでもらえてうれしいです。今日は何になさいます?」
蓮はショーケースを眺めながら少し考える。
「じゃあ……。」
「メロンパンですか?」
紬が先に言う。メロンパンはレギュラーメニューで、今日のおすすめパンではない。蓮は思わず笑った。
「どうして分かったんです?」
「今日は先生、甘いものを選びそうな気がしました。」
「また読まれました?」
「パン屋の勘です。」
紬は少し得意気に笑う。つられて蓮も笑う。その穏やかなやり取りを、美緒は静かに見つめていた。
先生は学校にいる時とは少し違う。パン屋の店主も、いつも見かける時とは違う。二人とも、とても自然に笑っている。
「……いいな。」
二人が楽しそうで。思わず小さく漏れた声は、雨音に紛れて誰にも届かなかった。




