第8話 港へ流れた小麦袋
偽印工房が見つかった翌日、港の在庫照合を始めた。
船荷役人の台帳、港税の控え、商会ごとの積出し札。帳簿は別々でも、同じ日に同じ重さの袋が動けば痕は残る。
私は午前いっぱいを数字に沈めた。
昼過ぎ、一本の線が浮かび上がる。
北辺備蓄蔵へ入るはずだった四百八十袋のうち、二百八十袋と同じ重さの荷が、同じ週にヘルマー商会名義で南方酒造へ流れていた。
「小麦を酒造へ?」
ロルフが目を丸くする。
「救恤用の上質麦なら、酒の歩留まりが良いのでしょう」
私は港税控えへ指を置いた。しかも積出し先は王都の高級宴席用の酒を扱う蔵だ。人が冬を越えるための麦が、貴族の杯に変わった。
胃の底が冷える。
そこへ、シュネーハーフェンの港長が慌ててやってきた。
「その帳面、どこから」
「港税庫から正式に借りました」
「王都の差配が入っている荷だ。勝手に見られると困る」
「困るのは、飢える人です」
私は帳面を閉じなかった。
「この荷は救恤用小麦と重量が一致します。しかも港税は一般商材扱いで軽減されている。二重に不正です」
港長の顔が引きつる。
「俺は命令に従っただけだ」
「誰の命令ですか」
彼は口を閉ざした。だが、その沈黙自体が答えだった。
夕方、領主館へ戻る馬車の中で、私は窓の外を睨み続けていた。
「怒っているな」
カイルの声は低かった。
「当然です。飢えを避けるための麦が、宴席用の酒になっている」
「……そうか」
短い返事なのに、妙に重い。
私は横を見る。カイルは手袋を外し、指先の古い火傷痕をなぞっていた。
「昔、北辺で飢饉があった。俺はその時、十三だった」
初めて彼が自分の過去を口にした。
「遅れた荷一つで、人が死ぬのを見た」
私は言葉を失う。
「だから麦の話は嫌いだ。数字の顔をしているのに、人の命に直結する」
「私も同じです」
気づけば、すぐにそう返していた。
カイルは窓の外を見たまま、小さく頷く。
「なら最後までやろう」
馬車が石畳を抜け、領主館の灯りが見えた。
私は帳面を抱き直す。
奪われた席を取り戻すためだけなら、ここまで腹は立たなかった。
これはもう、私個人の問題ではない。
北辺の冬を売り払った人間に、正しい数字を突きつける。
そのためなら、王都の誰が相手でもかまわなかった。




