表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/9

第8話 港へ流れた小麦袋

偽印工房が見つかった翌日、港の在庫照合を始めた。


 船荷役人の台帳、港税の控え、商会ごとの積出し札。帳簿は別々でも、同じ日に同じ重さの袋が動けば痕は残る。


 私は午前いっぱいを数字に沈めた。


 昼過ぎ、一本の線が浮かび上がる。


 北辺備蓄蔵へ入るはずだった四百八十袋のうち、二百八十袋と同じ重さの荷が、同じ週にヘルマー商会名義で南方酒造へ流れていた。


「小麦を酒造へ?」


 ロルフが目を丸くする。


「救恤用の上質麦なら、酒の歩留まりが良いのでしょう」


 私は港税控えへ指を置いた。しかも積出し先は王都の高級宴席用の酒を扱う蔵だ。人が冬を越えるための麦が、貴族の杯に変わった。


 胃の底が冷える。


 そこへ、シュネーハーフェンの港長が慌ててやってきた。


「その帳面、どこから」


「港税庫から正式に借りました」


「王都の差配が入っている荷だ。勝手に見られると困る」


「困るのは、飢える人です」


 私は帳面を閉じなかった。


「この荷は救恤用小麦と重量が一致します。しかも港税は一般商材扱いで軽減されている。二重に不正です」


 港長の顔が引きつる。


「俺は命令に従っただけだ」


「誰の命令ですか」


 彼は口を閉ざした。だが、その沈黙自体が答えだった。


 夕方、領主館へ戻る馬車の中で、私は窓の外を睨み続けていた。


「怒っているな」


 カイルの声は低かった。


「当然です。飢えを避けるための麦が、宴席用の酒になっている」


「……そうか」


 短い返事なのに、妙に重い。


 私は横を見る。カイルは手袋を外し、指先の古い火傷痕をなぞっていた。


「昔、北辺で飢饉があった。俺はその時、十三だった」


 初めて彼が自分の過去を口にした。


「遅れた荷一つで、人が死ぬのを見た」


 私は言葉を失う。


「だから麦の話は嫌いだ。数字の顔をしているのに、人の命に直結する」


「私も同じです」


 気づけば、すぐにそう返していた。


 カイルは窓の外を見たまま、小さく頷く。


「なら最後までやろう」


 馬車が石畳を抜け、領主館の灯りが見えた。


 私は帳面を抱き直す。


 奪われた席を取り戻すためだけなら、ここまで腹は立たなかった。


 これはもう、私個人の問題ではない。


 北辺の冬を売り払った人間に、正しい数字を突きつける。


 そのためなら、王都の誰が相手でもかまわなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ