第5話 飢饉帳の消えた一頁
領主館の書庫で北辺備蓄の原本帳を開いた時、私は王都と同じ削り跡を見つけた。
飢饉帳の第十二頁。
去年の冬前に搬入されたはずの二百袋だけが、行ごときれいに削られている。数字の上から紙目をなでた痕。王都穀倉局で見た削り方と同じだった。
「癖まで一緒ね」
独り言に、書庫番のロルフが顔を上げる。五十歳の男で、帳簿より埃の方が似合うと本人が言う。
「削り方に癖なんてあるんですかい」
「あります。急ぐ人は横へ乱れる。慣れている人は縦に薄く削る。これをやったのは慣れている人」
私は紙を斜めにかざした。削り跡の下に、微かに残った数字が浮く。二百ではない。四百八十だ。
つまり帳簿上から消されたのは二百八十袋。
私は王都から持ってきた控え帳を開く。同じ時期の王都搬出票には、北辺へ四百八十袋を送った記録があった。帳簿は途中で減らされ、その差分がどこかへ消えたことになる。
そこへ、また紙袋の音がした。
顔を上げると、カイルが戸口に立っている。今朝のパンは黒麦と乾果実だった。
「毎朝持ってきてくださるのですか」
「朝は判断が鈍るから」
「パンで?」
「空腹のまま怒ると、余計な敵を作る」
妙に正しいことを言うので、私は少しだけ笑った。
カイルは机の上の原本帳へ目をやる。
「見つかったか」
「ええ。消えたのは二百八十袋です」
私は削り跡と控え帳を並べて見せた。彼は数拍置いてから、低く息を吐く。
「北辺の冬を二度は越せる量だ」
「それを誰かが抜いた」
「王都か、港か」
「両方です。北辺だけでは紙が合わない」
カイルは黙り込んだ後、窓の外を見た。港の向こうで、製粉所の煙突がかすかに白い息を上げている。
「続けろ。必要なら、俺の名で全部開ける」
その言い方に、私は少しだけ驚いた。
王都の男たちは、帳簿を開く前に体裁を気にした。けれどこの人は先に扉を開けろと言う。
「では、荷札庫も製粉小屋も確認します」
「好きに使え」
彼が去った後、私はパンを一口かじった。温かくて、少し塩が強い。
誰かに庇われることには慣れていない。けれど、仕事を進めるために差し出された温かさなら、今の私には十分だった。
削られた頁の上に、新しい紙を置いて数字を書き出す。
二百八十袋。
消された冬を、私はここから一袋ずつ取り戻す。




