第19話 もう鍵は譲りません
王都の一行が去った夜、領主館は久しぶりに静かだった。
私は執務机で補填到着までの暫定配給表を書いていた。公開監査は終わっても、倉の仕事は終わらない。むしろここからが本番だ。
扉がノックされ、カイルが入ってくる。
「まだ起きていた」
「表を今日中に回したくて」
「明日でも」
「明日配る麦は、今日決めないと混乱します」
私がそう言うと、彼は少しだけ笑った。最近わかってきた。彼は本当に少しだけだが、笑う。
「君は徹底しているな」
「今さらです」
カイルは机の向かいに立ち、短く息を吐いた。
「王都から正式書簡が来た。北辺特任監査官の任をそのまま継続してほしいそうだ」
「北辺側の希望ですか」
「俺の希望でもある」
私は羽根ペンを置いた。
「……戻れと言われても戻る気はありません」
「知ってる」
彼はそれから、机の端に置いていた古い鍵束へ目をやった。
「もう一つ。もし君が嫌でなければ、その鍵を今後も君に預けたい」
「穀倉の管理鍵を?」
「それだけじゃない。北辺の備蓄全体の鍵だ」
領主としての正式な任命の言い方だ。けれどどこか、それだけではない響きがあった。
「私はもう、誰かに譲ってと言われても譲りませんよ」
そう言うと、カイルは真っ直ぐ私を見た。
「譲れとは言わない。持っていてほしい」
胸の奥が静かに熱くなる。
王都で奪われた時は、悔しさばかりが残った。けれど今、同じ“鍵”という言葉が全く違う重みで手元に来る。
「なら、お受けします」
私は鍵束を取り上げ、机の上へ置いた。
「ただし条件があります」
「何だ」
「朝のパンは、今後も続けてください」
一瞬だけ、カイルが目を見開く。
それから、本当にわずかに笑った。
「努力する」
その笑顔を見た瞬間、私は思う。
もう鍵は譲らない。
仕事も、居場所も、明日の朝も。
全部、自分の手で持っていく。




