第77話 ユキ、敵の本拠地を見つける
夜が明ける前から、ユキは馬の足跡を追っていた。
逃げ出した黒山軍の小さな男は、一頭の馬を走らせ、ひたすら北西へ向かっている。
ユキは一定の距離を保ちながら、その後を追った。
追いつく必要はない。
戦う必要もない。
タカシから与えられた命令は、ただ一つ。
どこへ逃げていくのかを確認して、戻ってくること。
『あいつ、かなり急いでるな』
ユキは鼻を地面に近づけた。
馬の匂い。
人間の匂い。
踏み荒らされた草の匂い。
それらを頼りに、森の中を走っていく。
朝日が昇る頃には、太狼国からかなり離れた場所まで来ていた。
小さな男は、それでも馬を止めない。
森を抜け、丘を越え、さらに先へ進んでいく。
やがて、道が二つに分かれた。
小さな男は迷うことなく右へ曲がった。
『こっちか』
ユキも後を追う。
しばらくすると、周囲の景色が変わった。
これまで森ばかりだったのに、畑が増えてきた。
畑の中には人間がいる。
家もある。
牛や羊のような家畜も見える。
『村がある』
ユキは足を止めた。
だが、そこで終わりではなかった。
さらに先へ進むと、今度は別の村が見えてきた。
その村からも人間が出てくる。
そして、その先にもまた村がある。
『なんだ、これ』
ユキは驚いた。
いくつもの村が、一本の大きな道で繋がっている。
その道を兵士たちが行き来していた。
武器を持った兵士。
荷物を運ぶ人間。
馬車。
食料を積んだ荷車。
ユキは身を低くして、その様子を眺めた。
『太狼国の周りとは全然違う』
さらに進む。
そして。
丘の上に出た瞬間、ユキは動きを止めた。
『……え?』
目の前に、とてつもなく大きな街が広がっていた。
巨大な木の城壁。
その周囲には堀まである。
城壁の上には見張り台がいくつも建てられ、そこには武器を持った兵士が立っている。
門の前には長い列ができていた。
人間が入っていく。
荷車も入っていく。
兵士も入っていく。
ユキは丘の上から、じっと街を見つめた。
『ここが……あいつの帰る場所か』
先ほどまで追っていた小さな男が、街の門へ向かっている。
門番が男を確認すると、すぐに門が開いた。
男はそのまま街の中へ入っていった。
『間違いない』
ユキは確信した。
『ここが敵の本拠地だ』
しかし、ユキはすぐには戻らなかった。
もう少しだけ調べる。
丘の上から街全体を見渡した。
兵士が多い。
太狼国で戦った黒山軍とは比べものにならない。
だが、兵士全員が鉄の武器を持っているわけではない。
石の槍を持っている兵士もいる。
木の槍を持っている兵士もいる。
黒い鎧を着ている兵士は一部だけだった。
『鉄は、そんなに多くないみたいだな』
ユキはさらに街の周囲を見る。
畑が広がっている。
食料を作っている場所も多い。
そして、その周囲にはいくつもの村がある。
『あの村も、この街の仲間なのか?』
そう考えていると、街の中から兵士が出てきた。
ユキはすぐに草むらへ伏せた。
兵士たちは丘の方向を見ながら何かを話している。
ユキは息を殺した。
しばらくすると、兵士たちは街へ戻っていった。
『危なかった』
ユキは立ち上がる。
これ以上近づくのは危険だ。
タカシから言われた通り、場所が分かった。
それだけで十分だった。
『帰ろう』
ユキは太狼国へ向かって走り出した。
来た道を戻り、森を抜け、丘を越える。
昼を過ぎても走り続けた。
夕方。
ようやく遠くに太狼国の城壁が見えてきた。
城壁の上にいた兵士がユキを見つける。
「ユキだ!」
「ユキが帰ってきたぞ!」
門が開かれる。
ユキはそのまま街の中へ駆け込んだ。
そして、タカシのところまで一気に走っていく。
「ユキ!」
タカシが立ち上がった。
「どうだった?」
ユキは少し息を切らしながら答えた。
『見つけた』
「本拠地か?」
『そう』
タカシの顔が険しくなる。
「どんなところだった?」
『大きい』
「どれくらい?」
ユキは少し考えた。
『太狼国より、ずっと大きい』
その言葉を聞いた瞬間、部屋の空気が変わった。
クロベ。
キバオウ。
リグ。
ライナ。
その場にいた全員が、ユキを見る。
「兵士は?」
『たくさんいた』
「城壁は?」
『大きな木の城壁があった。堀もある』
「鉄の武器は?」
『一部だけだった』
クロベが静かに頷いた。
「つまり、黒山軍はあの勢力の中でも、比較的装備の整った部隊だった可能性がありますね」
「そういうことか」
タカシは地図を広げた。
「周りに村は?」
『いっぱいあった』
ユキが前足で地図を押さえる。
『ここを通って』
次の場所を押さえる。
『ここを通って』
さらに先を押さえる。
『ここに着いた』
最後に、ユキが大きく前足を置いた。
『ここが本拠地』
クロベが地図を覗き込む。
「かなり距離がありますね」
タカシは黙って地図を見つめていた。
これまで太狼国は、自分たちの周囲にある村や部族だけを見ていればよかった。
しかし。
今回の戦いで、それが変わった。
千人の黒山軍。
その背後には、さらに大きな勢力が存在していた。
タカシは地図から顔を上げた。
「俺たちは、知らなすぎるな」
誰も答えなかった。
それは全員が感じていたことだった。
自分たちが作った城壁。
鉄の武器。
食料。
船。
畑。
太狼国は、これまでにないほど大きくなっている。
だが。
この世界には、それ以上の勢力が存在する。
タカシは地図の上に手を置いた。
「まずは、敵を知ろう」
クロベが頷く。
「はい」
ユキが尻尾を振る。
『また行くか?』
タカシは笑った。
「頼む」
『任せろ』
ユキは胸を張った。
こうして。
太狼国は初めて、巨大な敵国の存在を知ることになった。




