第75話 鉄の力
ニュードーが、大きな石の棒を構えた。
ライラは二本の鉄の刀を握り直す。
周囲では。
すでに戦争が始まっていた。
叫び声。
狼の遠吠え。
燃え盛る輜重。
そして、盾を打ち鳴らす音。
しかし。
ライラとニュードーの二人は。
互いの姿しか見ていなかった。
「行くぞ!」
ニュードーが叫ぶ。
「来い!」
ライラが答えた。
ニュードーが大きく踏み込む。
ズン!
その巨体が動いた。
両手で握った石の棒を振り上げる。
「うおおおおおお!」
そして。
全力で振り下ろした。
ゴオオオオオッ!
巨大な石の棒が迫る。
しかし。
ライラは逃げなかった。
「そんなもの!」
右手の刀を構える。
「切ればいい!」
シュン!
鉄の刃が走った。
次の瞬間。
スパッ!
「……え?」
ニュードーの目が止まった。
石の棒が。
途中から。
二つに分かれていた。
上半分が宙を舞う。
ドサッ!
地面に落ちた。
「な……」
ニュードーが。
残った棒を見る。
そして。
ライラの刀を見る。
「鉄……」
その声には。
驚きが混じっていた。
黒山兵団は。
石と木の武器を使っていた。
それが。
当たり前だった。
大きな石。
硬い石。
それを木に固定すれば。
強力な武器になる。
少なくとも。
彼らはそう思っていた。
しかし。
目の前にある。
細く。
美しく。
銀色に光る武器。
それは。
石の棒を。
一瞬で切断した。
「なんだ……それは」
ニュードーが呟いた。
ライラは。
二本の刀を構えた。
「刀だ」
「カタナ?」
「鉄の刀」
ニュードーの顔が引きつった。
「鉄?」
ライラは笑う。
「知らないのか?」
「鉄はな」
一歩。
ニュードーへ近づく。
「強いぞ」
ニュードーが後ろへ下がった。
しかし。
逃げられない。
ライラは速い。
一歩。
さらに一歩。
「待て!」
ニュードーが叫んだ。
ライラは。
二本の刀を。
ニュードーの首元へ向けた。
一本。
そして。
もう一本。
二本の鉄の刀が。
首を挟むように突きつけられる。
「動くな」
ニュードーの身体が止まった。
周囲では。
戦争が続いている。
しかし。
ニュードーの世界では。
その音すら聞こえなくなった。
見えているのは。
二本の鉄の刃だけだった。
ニュードーは。
ゆっくりと膝をついた。
ドン。
巨大な身体が地面に沈む。
「俺の負けだ」
ライラは刀を引かなかった。
「そうだな」
「殺すか?」
ニュードーが聞いた。
ライラは少し考えた。
「……タカシに聞く」
「タカシ?」
「この国の王だ」
ニュードーが顔を上げる。
「王?」
「ああ」
「でも」
ライラは笑った。
「一番戦士は私だ」
すると。
「一番は俺だ!」
また。
遠くからリグの声が聞こえた。
「しつこい!」
ライラが叫んだ。
「今、戦争中だ!」
「だからだろ!」
リグは笑いながら、黒山軍の兵士を槍で押し返した。
「後で勝負しようぜ!」
「絶対負けない!」
ライラも笑った。
その時だった。
ウォオオオオオオオオオン!
狼の遠吠えが響く。
黒山軍の後方。
ハヤテ。
ゴウ。
コマ。
三匹は。
九十頭の狼を指揮していた。
『右へ行け!』
『そっちは逃げる奴が多いぞ!』
『前に出るな! 足だけだ!』
もちろん。
その声が人間に聞こえることはない。
しかし。
狼たちには。
意味が分かっていた。
黒山軍の兵士が。
暗闇の中を走る。
「逃げろ!」
「敵が多すぎる!」
「後ろも駄目だ!」
「狼だあああ!」
そこへ。
一匹の狼が飛び込む。
ガブッ!
「ぎゃあああ!」
兵士の足に噛みついた。
倒れる。
そこへ。
別の狼。
ガブッ!
「痛い!」
「足をやられた!」
狼たちは。
喉を狙わなかった。
首も狙わない。
人間を殺す必要はない。
戦えなくすればいい。
足。
太腿。
ふくらはぎ。
逃げる兵士たちの足へ。
次々と噛みつく。
「狼だ!」
「こっちに来る!」
「助けてくれ!」
倒れた兵士は。
戦えない。
逃げることもできない。
さらに。
他の兵士が。
倒れた仲間を見て立ち止まる。
そして。
その隙に。
また狼が襲う。
ハヤテが叫ぶ。
『深追いするな!』
『一人ずつだ!』
ゴウが別の方向へ走る。
『逃げる奴を止めろ!』
コマも続いた。
『噛んだら離れろ!』
九十頭の狼。
それは。
もはや一つの軍隊だった。
人間たちが。
狼を統率しているのではない。
ハヤテ。
ゴウ。
コマ。
三匹の狼が。
九十頭の狼を。
戦場で動かしていた。
タカシの予想を超える。
恐ろしい援軍だった。
一方。
黒山軍の前方。
「突撃!」
「押せ!」
「鉄の槍を前へ!」
太狼軍が。
黒山軍の正規兵へ突っ込んだ。
黒い鎧。
黒い盾。
黒い槍。
黒山兵団の正規兵は。
逃げていなかった。
「隊列を崩すな!」
「盾を並べろ!」
「槍を前へ!」
整然としている。
さすがは。
正規軍だった。
しかし。
「行くぞおおお!」
太狼軍が突っ込む。
ガン!
鉄の槍と。
黒山軍の槍がぶつかる。
「ぐっ!」
次の瞬間。
バキッ!
「なに!?」
黒山軍の木の槍が。
折れた。
「武器が!」
「なんだ、この槍は!」
鉄だった。
太狼軍の武器。
鉄の槍。
黒山軍の武器。
石と木。
戦士の技量。
人数。
隊列。
それらが同じだったとしても。
武器の差は。
あまりにも大きかった。
太狼軍の槍が。
黒山軍の盾を押しのける。
木の槍を弾く。
石の刃を砕く。
「押せ!」
リグが叫ぶ。
「武器が違うぞ!」
キバオウも。
敵軍へ突っ込む。
「道を開けろ!」
鉄の槍が走る。
黒山軍の兵士が。
一人。
また一人。
武器を落とす。
「俺たちの武器が通らない!」
「鎧も硬いぞ!」
「なんだ、この軍は!」
黒山軍の正規兵。
彼らは。
初めて理解した。
敵は。
ただの原始的な村ではない。
目の前にいる者たちは。
未知の武器を持っている。
鉄。
黒山軍の兵士たちは。
その名前すら知らなかった。
「押し込め!」
太狼軍が。
隊列へ食い込んでいく。
黒山軍の正規兵は。
必死に抵抗した。
しかし。
すでに。
後方が崩壊している。
食料は燃えている。
狼がいる。
仲間が逃げている。
前方では。
未知の鉄の武器を持つ軍隊が迫っている。
「下がるな!」
「隊列を維持しろ!」
指揮官たちは叫ぶ。
だが。
一人が下がる。
二人が下がる。
やがて。
隊列に隙間が生まれた。
「そこだ!」
太狼軍が突っ込む。
「うわあああ!」
黒山軍の正規兵が。
ついに後ろへ下がった。
その瞬間。
隊列は崩れた。
「押せええええ!」
「おおおおお!」
太狼軍が。
一気に押し込む。
圧倒的な武装度。
圧倒的な武器の性能。
そして。
すでに混乱している敵軍。
黒山兵団は。
次々と制圧されていった。
その様子を。
本営の近くから見ていた。
小さな男。
先ほど。
ニュードーに顎で命令を出した男だった。
「……馬鹿な」
小さな男の顔から。
初めて余裕が消えた。
「なぜだ」
周囲を見る。
後方。
燃えている。
「輜重が……」
狼。
「狼まで……」
そして。
正規兵。
「ニュードーも負けた?」
小さな男は。
ニュードーを見る。
巨大な男が。
地面に跪いている。
その首元には。
二本の刃。
「ありえない」
小さな男が呟いた。
「ニュードーは」
「黒山兵団一番隊長だぞ」
さらに。
前方を見る。
黒山軍の正規兵が。
次々と押し込まれている。
「まさか……」
小さな男の目が。
太狼軍の武器へ向いた。
「……あれは何だ?」
銀色の槍。
銀色の刀。
石でもない。
木でもない。
見たことのない武器。
「こんなに」
小さな男が呟く。
「こんなに強いとは……」
その時。
近くの兵士が叫んだ。
「隊長!」
「どうします!」
小さな男は。
答えなかった。
戦場を見る。
後方は壊滅。
輜重は燃えている。
兵士は逃げている。
狼が襲っている。
正規兵も押されている。
「……撤退」
小さな男が呟いた。
「隊長?」
「撤退だ!」
突然。
小さな男が叫んだ。
「撤退しろ!」
しかし。
その声は。
戦場の音に消えた。
誰にも届かない。
小さな男は。
周囲を見回した。
そして。
一頭の馬を見つけた。
黒山軍に。
唯一存在する馬だった。
「これを!」
兵士が言う。
「隊長! お乗りください!」
小さな男は。
迷わなかった。
馬へ飛び乗る。
「待ってください!」
「我々は!」
兵士たちが叫ぶ。
しかし。
小さな男は。
振り返らなかった。
「生き残りたければ!」
馬の上から叫ぶ。
「逃げろ!」
そして。
手綱を引いた。
「行け!」
唯一の馬が。
地面を蹴る。
タタタタタタタタ!
炎の光の中。
馬は。
黒山軍を置き去りにした。
「隊長が逃げたぞ!」
「逃げた!」
「指揮官が!」
その言葉が。
黒山軍の中を走った。
「隊長が逃げた!」
「俺たちを置いていった!」
「終わりだ!」
そして。
最後まで戦っていた正規兵の一人が。
武器を落とした。
カラン。
その音が。
妙に大きく聞こえた。
「……」
次の瞬間。
「逃げろおおおお!」
一斉に。
黒山軍が崩れ始めた。
千人の軍勢は。
完全な潰走へ向かっていた。
遠くから。
その様子を見たタカシは。
小さな男が馬で逃げていくのを見つけた。
「あいつ!」
タカシが叫ぶ。
「逃げたぞ!」
しかし。
馬は速い。
人間が走って追いつけるものではない。
闇の中へ。
小さな男の姿が消えていく。
クロベが言った。
「追いますか?」
タカシは。
しばらく考えた。
そして。
「いや」
首を横に振った。
「今はいい」
「なぜです?」
「敵はもう」
タカシは戦場を見る。
「戦争どころじゃない」
燃える輜重。
逃げる兵士。
武器を捨てる正規兵。
そして。
戦場を駆け回る狼たち。
「まずは」
タカシが言った。
「この勝利を確実なものにする」
その夜。
太狼国は。
初めて。
千人規模の軍隊を相手にした。
そして。
勝った。
ただし。
タカシはまだ知らなかった。
馬に乗って逃げた。
あの小さな男が。
後に。
太狼国にとって。
とてつもなく大きな存在になることを。




