第71話 敵の弱点
その日の夜。
太狼村の城壁が静まり返った頃だった。
見張りの兵士たちすら気づかないうちに、三つの影が城壁の近くを走っていた。
ハヤテ。
ゴウ。
そしてコマ。
三匹の狼は、タカシの命令を受けていたわけではない。
自分たちで考え。
自分たちで判断し、夜の闇に紛れて城外へと出ていった。
黒山王国の軍勢が現れてから、村の空気は明らかに変わっていた。
人間たちは緊張している。
城壁の外には千人もの敵がいる。
狼たちにも、それは分かっていた。
『ハヤテ、どこまで行く?』
ゴウが小さな声で尋ねた。
『味方を探そう』
ハヤテは迷わず答えた。
『ユキなら行くなって言いそうだぞ』
『ユキはタカシのそばにいる』
『だから俺たちが行くんだ』
コマが前方を見つめた。
遠くに火が見える。
敵の夜営地だった。
三匹は地面を蹴り、闇の中へ消えていった。
翌日。
太陽が西へ傾き始めた頃。
太狼村の門が開いた。
「帰ってきたぞ!」
見張りの兵士が叫ぶ。
門の前には、五人の男が立っていた。
昨夜、リグが送り出した偵察隊だった。
全員無事だった。
その知らせを受け、タカシはすぐに会議を開いた。
太狼村の中心にある建物へ、主要な者たちが集まる。
タカシ。
クロベ。
キバオウ。
リグ。
アグニ。
ライナ。
そして各部族の代表者たち。
「報告してくれ」
タカシが言うと、偵察隊の一人が前へ出た。
「はい」
男は地面に枝を使って簡単な図を描いた。
「まず、敵の軍勢ですが」
皆が息を呑む。
「全体で、およそ千人です」
「やはり千人か」
リグが腕を組んだ。
「ただし」
偵察兵は続けた。
「全員が同じ兵士ではありません」
「どういうことだ?」
キバオウが聞いた。
「先頭にいる者たちです」
男は図の前方を指差した。
「黒い装備をしています」
「黒い槍。黒い盾。黒い鎧」
「恐らく、あれが正規兵です」
「何人だ?」
タカシが聞いた。
「三百人程度です」
「三百」
タカシは小さく呟いた。
太狼村の戦士も三百人を超えている。
敵の精鋭部隊と、ほぼ同じ数だ。
「後ろの兵士は?」
クロベが尋ねた。
「装備がバラバラです」
偵察兵は答えた。
「木の槍を持っている者もいます」
「石の槍もあります」
「中には、まともな盾すら持っていない者もいました」
リグが顔をしかめた。
「寄せ集めか?」
「そう見えます」
偵察兵は頷いた。
「戦い慣れている者もいるでしょうが、全員が正規兵という感じではありません」
タカシは腕を組んだ。
千人。
その数字だけを聞けば圧倒的だった。
しかし。
中身は違う。
精鋭三百人。
残り七百人は、寄せ集めの兵士。
「他には?」
「一番後方です」
偵察兵が図の後ろを指差した。
「荷車がありました」
「輜重か」
クロベが呟く。
「はい」
「全部で五台です」
「何を運んでいた?」
「食料だと思います」
偵察兵は答えた。
「兵士たちに、小麦を練ったものを配っていました」
「小麦か」
タカシが考える。
パンのようなものだろうか。
あるいは、ただ小麦粉を水で練ったものか。
どちらにせよ。
敵軍の食料であることは間違いない。
「五台だけ?」
「確認できたのは五台です」
「なるほど」
タカシの口元が、わずかに上がった。
「ご苦労だった」
偵察兵たちは頭を下げた。
「次は俺から報告します」
クロベが前へ出た。
手には木の板を持っている。
どうやら、一日かけて数字を調べていたらしい。
「現在、太狼連合で戦える戦士は318人です」
「318」
タカシが繰り返す。
「17歳以上の戦闘可能な者を数えました」
クロベは続ける。
「ただし、それだけではありません」
「他にもいるのか?」
「はい」
「予備戦力が428人です」
その数字に、会議の参加者たちがざわついた。
「428?」
アグニが聞く。
「予備戦力ってなんだ?」
「女や高齢者です」
クロベは答えた。
「槍を持って戦える者ばかりではありません」
「ですが」
クロベは周囲を見回した。
「石なら投げられます」
その言葉に、タカシは思わず笑った。
「なるほどな」
「城壁の上から石を投げるだけでも、十分な戦力になります」
クロベはさらに続けた。
「非戦闘員は201名」
「生まれたばかりの子供」
「幼い子供」
「そして、戦闘も避難も難しい老人などです」
タカシは、改めて数字を頭の中で整理した。
戦士。
318人。
予備戦力。
428人。
合計すれば、700を超える。
しかも。
城壁がある。
「武器は?」
タカシが聞く。
「鉄装備は280人分です」
クロベは即座に答えた。
「現在も生産しています」
「一日で20セットほど作れます」
「二日後には?」
「戦士全員に鉄装備が行き渡ります」
会議の空気が変わった。
千人の敵。
その言葉だけを聞いた時。
太狼村の者たちは恐怖した。
しかし。
実際の数字を並べてみる。
敵の正規兵。
3百人程度。
太狼村の戦士。
318人。
二日後には、全員に鉄製の武器が行き渡る。
さらに。
城壁の上には428人の予備戦力がいる。
「食料は?」
「問題ありません」
クロベは答えた。
「まったく生産がなくても、35日は持ちます」
「35日」
タカシは笑った。
「なるほど」
そして。
会議に集まった全員を見回した。
「蓋を開けてみれば」
少し間を置く。
「圧倒的に有利じゃないか」
「え?」
アグニが首を傾げた。
「敵は千人ですよ?」
「千人だからって、全員が強いわけじゃない」
タカシは地面に図を書いた。
「敵の精鋭は3百」
「残りは寄せ集め」
「そして、俺たちは城壁の中にいる」
さらに。
「食料は35日分ある」
「敵は?」
タカシは敵の図を指差した。
「荷車5台」
クロベの目が光った。
「……なるほど」
「分かったか?」
「はい」
タカシは笑う。
「籠城してもいい」
「城壁の中で35日待つ」
「敵の食料がなくなるまでな」
リグがニヤリと笑った。
「それだけでも勝てるかもしれねぇな」
「だが」
タカシは続けた。
「もっと早い方法がある」
全員がタカシを見る。
「敵の輜重を燃やす」
一瞬。
建物の中が静かになった。
「5台の荷車を?」
キバオウが聞く。
「ああ」
「食料を燃やす」
「そうすれば?」
アグニが尋ねる。
「千人が食うものがなくなる」
タカシは言った。
「腹が減れば、戦争どころじゃない」
クロベが頷く。
「確かに」
「食料を失えば、敵は補給を受けるために戻る必要があります」
「戻る途中で襲うこともできる」
ライナが言った。
「逃げるなら、背中を射ればいい」
「いや」
タカシは首を横に振った。
「まずは逃げ道を作る」
ライナが不思議そうな顔をする。
「なぜ?」
「追い詰められた敵は強い」
タカシは答えた。
「逃げられると思わせた方がいい」
クロベが感心したように頷いた。
「なるほど」
「敵を全滅させる必要はない」
タカシは言った。
「黒山王国に、太狼村は簡単に潰せないと思わせればいい」
そして。
タカシはキバオウの方を見た。
「キバオウ」
「は!」
キバオウが立ち上がった。
「深夜」
「精鋭百人を密かに城外へ出せ」
「敵の後方へ回れ」
キバオウの目が鋭くなる。
「そして」
タカシは笑った。
「敵の輜重を燃やしてやれ」
キバオウも笑った。
「全部ですか?」
「盛大にな」
「はっ!」
その時。
建物の外から。
バン!
勢いよく扉が開いた。
全員が振り返る。
「どうした?」
そこには。
三匹の狼が立っていた。
ハヤテ。
ゴウ。
コマ。
全身が泥だらけだった。
『帰ったぞ!』
ハヤテが嬉しそうに尻尾を振る。
タカシにしか、その言葉は分からない。
「お前たち……」
タカシは目を丸くした。
『見てきた!』
『敵!』
『いっぱい!』
三匹は興奮している。
タカシは思わず笑った。
「まさか」
「お前たちも偵察に行っていたのか?」
『そうだ!』
『ユキに言うなよ!』
『怒られる!』
三匹は一斉に言った。
タカシは頭を抱えた。
「……お前ら」
しかし。
すぐに顔を上げる。
「敵のこと、何か分かったのか?」
三匹の狼は。
一斉に頷いた。
そして。
ハヤテが言った。
『あいつら』
『夜になると』
少しだけ声を落とした。
『ものすごく怖がってるぞ』
タカシとクロベが顔を見合わせた。
「……怖がっている?」
『ああ』
ゴウが続ける。
『夜になると、火をたくさん焚いてる』
『火の外には』
コマが言った。
『誰も出ない』
タカシの表情が変わった。
黒山王国。
千人の軍勢。
しかし。
その軍勢には。
まだ。
何か知られていない秘密があるようだった。




