第16話 川を制する者
ユナは、息を切らしながら村へ駆け込んだ。
「聞いて! 新しい場所がある!」
広場にいた村民たちが、一斉に振り向く。
その中心に、ゆっくりと立ち上がる男がいた。
――長だ。
「……落ち着け、ユナ」
「落ち着いてる! でも急がないと!」
ユナは必死に言葉を繋ぐ。
「川の下流に、大きな水――海があったの! 塩も取れるし、魚もいる! それに……太狼神様が、そこに街を作るって!」
ざわ、と空気が揺れた。
“太狼神”
その言葉だけで、場の温度が変わる。
長は静かに目を細めた。
「……太狼神の、要請か」
ぽつりと呟く。
それは、この村において“絶対に逆らえないもの”を意味していた。
ユナは力強く頷く。
「そう! あの人は本物! 火を起こして、狼を従えて、冬の病の獣を倒した!」
村民たちが顔を見合わせる。
恐れと、期待と、不安。
長はしばらく考え――やがて、口を開いた。
「……全員で行く」
「えっ」
「残る理由がない。太狼神が導くなら、それが生きる道だ」
一瞬の静寂。
そして――
どっと歓声が上がった。
「おおおおおっ!!」
迷いは、なかった。
この世界では、“強い者に従う”のが生きる術だ。
そして今、その頂点にいるのは――タカシだった。
準備は、驚くほど早かった。
毛皮、石器、乾燥肉。
持てるものは全て持つ。
とはいえ、数百人分の荷物は人の手だけでは限界がある。
その時だった。
「……川を使えばいい」
低い声が、背後から響いた。
振り返ると、一人の男がいた。
無精髭、日に焼けた肌、鋭い目。
「アグニだ」
短く名乗る。
ユナが小声で説明する。
「変わり者だけど……腕はある」
「聞こえてるぞ」
アグニは鼻で笑った。
「俺は、小舟を作った」
「小舟?」
ユナが目を丸くする。
アグニは顎で川の方を指した。
そこには――確かにあった。
木をくり抜いて作った、一艘の舟。
荒いが、形にはなっている。
「これで荷物を運べばいい。人は歩け。軽くなる」
「……危なくないの?」
「危ないに決まってる」
即答だった。
だが、その目は笑っている。
「だから面白い」
「……馬鹿だ」
「よく言われる」
ユナは呆れたが、長は頷いた。
「やれ」
それだけで決まった。
そして――川下りが始まった。
アグニは一人、小舟に乗る。
毛皮、石、貴重品。
全てを積み込んだ。
「沈まないのか、それ」
「沈んだら終わりだな」
あっけらかんと言う。
「じゃあな」
「ちょっと待ってよ!?」
ユナが止める間もなく――
アグニは、川へと漕ぎ出した。
ギィ……と木が軋む音。
流れに乗る。
最初は穏やかだった。
だが、すぐに変わる。
水流が速くなる。
岩が増える。
白い泡が立つ。
「うおっ……!」
舟が大きく揺れた。
激流だ。
左右から岩が迫る。
ぶつかれば終わり。
だがアグニは――笑っていた。
「いい流れだ……!」
櫂を操る。
流れを読む。
岩の隙間を、紙一重で抜ける。
だが――
ゴッ!!
「ちっ!」
舟が岩にかすった。
バランスが崩れる。
荷物が揺れる。
もう少しで、全てが川へ落ちるところだった。
「まだだ……!」
歯を食いしばる。
腕に力を込める。
流れに逆らわず、滑るように――
抜けた。
激流を。
そのまま、下流へ。
海へと向かっていく。
一方その頃。
タカシたちは、海辺で作業を進めていた。
円を描いた地面。
直径一キロ。
そこに、石が積まれていく。
だが――
「……崩れるな」
タカシは腕を組んだ。
丸石ばかりで、うまく積めない。
すぐに崩れる。
「どうする?」
村民が聞く。
タカシは、地面を見た。
土。
湿っている。
ふと、ある考えが浮かぶ。
「……混ぜるか」
「何を?」
「石と、土」
タカシは石の間に土を詰め始めた。
押し込む。
固める。
さらに積む。
前より、安定する。
「おお……!」
村民たちがざわつく。
「でも、これだけじゃ弱いな」
タカシは呟く。
もっと硬くする方法――
そうだ。
「焼く」
「焼く?」
「最後に火で焼けば……固まるはずだ」
完全な知識じゃない。
でも、直感が言っている。
いける、と。
「……やってみるか」
タカシは笑った。
その時だった。
遠く、川の方から。
小さな影が見えた。
「……来たか」
タカシが目を細める。
揺れながら、近づいてくる。
そして――
ザバァッ!!
勢いよく、砂浜に乗り上げた。
「ははっ……!」
舟から降りた男が、笑った。
「最高だったぞ」
アグニだ。
全身びしょ濡れ。
傷だらけ。
だが――生きている。
「……お前、船で来たのか」
タカシは呆れながらも笑う。
アグニは肩をすくめた。
「当たり前だろ。誰だと思ってる」
その背後には――
無事な荷物。
毛皮も、石も、全部ある。
村民たちが歓声を上げた。
水路が、繋がった。
村と、海が。
文明が、一歩進んだ瞬間だった。




