第15話 二女帰国
第15話 二女帰国
「お父ただいま。
お爺の家に住んでるっていうから来たよ。」
イギリスに留学してそのままロンドンで結婚した二女が、突然帰って来た。
夫のジョンも一緒だ。
「お父、再婚したって言うからビックリした。どうしたの?」
「結婚相手のリサだよ。病気だから静かにしてくれよ。日本はずいぶん久しぶりだろ。」
「あの、有名な山口リサと結婚したって聞いたから、一体どうしたのかと思ってた。日本にはジョンの仕事で来たんだよ。」
ジョンが
「オトウ、ご無沙汰しております。
ボクはアニマルドネーションの仕事で日本に来ました。
日本で募金活動をするためです。すべての動物には生きる権利がある。」
それを聞いていたリサが
「こんにちは。ああ初めまして、かしら。ヒロシが嬉しそうね。」
「リサ、2番目の娘の花だよ。」
花は子供の頃から動物が好きでペットブリーダーの会社に就職したのだが、ペット業界の杜撰な裏事情に精神を病んで退職した。
まる庵の近くの山の中にあるその会社は、劣悪な環境の中、まるでペット工場だった。小さい頃から動物好きで犬や猫を可愛がっていた花は、耐えられなかった。法制化も進んでいない日本のペット業界は、動物が好きな人間にはとてもつとまらない。ミックス犬が流行っている裏で、掛け合わせた動物がいつも可愛いとは限らない。可愛くない仔はすぐに殺処分だが,そのやり方はいたいけな仔を生きたまま冷凍庫に入れて凍死させる、と言う方法だった。花には出来なかった。かと言って全部を引き取ることも出来ない。無理に発情させて仔を産ませるのも惨い事だった。ペットブームの闇を見た。
アニマルドネーションを学ぶためにドイツに渡った。そこで熱心な運動家のジョンと出会って結婚したわけだ。
その話を聞いたリサは
「私はもうあまり長くは生きられないから、遺言を残すわ。
あなたたちの運動に私の遺産を寄付するわ。こんな私でも役に立つ事があって良かったわ。」
「リサ、そんな話はやめてくれ。
生きるんだ。まだまだ生きるんだよ。」
(死ぬのは怖い。誰もがみんな、ひとりぼっちで死んで行く。
人間はどんな生き方をしたって、最後は一人ぼっちで死んで行くんだ。
寂しい。寂しくてたまらない。
助けて!誰か助けて。)
心の叫びは誰にも聞こえない。
リサは弁護士を呼んで遺言状を書いた。言っていた通り、自分が死んだ後、必要経費を引いた残りを全額,ジョンと花のいる動物保護団体に寄付する、と言う内容だ。
墓はいらない、ということで海洋散骨を申し込んだ。ヒロシは自分も申し込む事にした。後を追うわけではないが同じ海に眠りたい。
「お爺がまだまだ元気なんだから,しっかりしてよね。」
花に言われた。ヒロシは自分も死ぬ事に囚われていた。
(まだやる事があるなぁ。)
施設に入っている認知症の父親は、身体的には健康で99才、白寿を迎えた。
ヒロシが最後を看取る事になっていた。高名な物理学者も年を取ればジジィになるだけだ。
第16話 永遠の別れ
5月の晴れた日に、リサは、逝った。
苦しそうになったので医者にモルヒネを頼んだ。最後はヒロシの腕の中で眠るように、逝った。
リサを抱いている腕が軽くなったのがわかった。
(ああ、リサは、逝ったんだな。)
ヒロシには魂の重さが、このわずかに軽くなった事で実感出来た。
(天国へ旅立ったと思う事にするよ。)
今まで一度も信じた事のないその存在に今は縋りたい。
遺言通り葬儀は行わず、火葬だけをしてお骨を持ち帰った。花とジョンが立ち会ってくれた。死んだ後は出来るだけひっそりと送られたいものだ。
リサの覚悟は、並大抵の事ではなかっただろう。
華やかな表舞台から降りるように、誰にも知らせず、ひっそりと死ぬ。
ヒロシは誰もいなくなってから、ひとり、泣いた。静かに送るつもりがいつの間にか、号泣していた。男泣きに泣いた。
「リサ、愛してるよ。どんなおまえでもいい。そばにいて欲しかった。
俺もそっちに行きたいよ。一人にしないでくれ!」
こんなに泣いたのは子供の時以来だ。
一晩中泣き明かした。一生分泣いたような気がする。
そんなに長く一緒に暮らしたわけではない。ほんの一年に足りないくらいだった。それなのにものすごい喪失感。
それでもリサの望み通りのやり方で送った事でなんだかホッとした頃に,その騒ぎは起こった。
リサの所属していたSモデルクラブから「お別れの会」をやってほしい、という要請が来た。別れたカメラマンの元夫が言い出した事らしい。
「リサは日本のファッション業界でも、世界に通用した、先駆けのような存在なのです。結婚していてもご主人が独占する権利はないでしょう。」
青天の霹靂だった。
リサは離婚当時、このカメラマンの夫の嫌がらせで、モデルの仕事は激減した。
「オレを敵に回すと、この業界では生きていけないぞ。」
という見せしめだったか。その頃モデルしかやった事のない彼女は、どこにも居場所を見つけられず、辛酸を舐めた。
やっと慕ってくれるモデル仲間の協力でブティックを開いた。バブル景気で高級品が売れたおかげで、生きる道を見つけたのだ。
元夫は何も助けてくれなかった。逆に足を引っ張り、嫌がらせをして来る。彼女に未練があるとも思えないが。
彼には長年、妻同然の女性がいた。当時のリサはそのことを知って傷付いた。
そして諦めた。カメラマンはリサに元々愛情など無かったのだ。有名なモデルを妻にする、ただの売名。
(そんなものかなぁ。私は人形みたいな存在?飾りの薔薇は何にも言えないの?)
そんなリサに
「可愛げのない女だ。抱く気にもならないよ。」
ひどい言葉を投げつける。
カメラマンの元夫は、被写体にすぐ手を出す男だったが、逆らえば干されるから、みんな我慢していた。
そのカメラマンの元夫がSモデルクラブを使って「お別れの会」を、と言い出したのだ。静かに送って欲しい、というリサの望みにはお構いなしだった。
ヒロシは以前から知っている父の弁護士に相談した。
この弁護士が中々優秀で、リサの法的根拠のある遺言状が力を発揮した。希望通りのやり方が認められた。
静かに送られたい。
・葬儀はやらない
・火葬のみ
・海洋散骨
・遺産は一部を除いて
動物保護団体に寄付する。
・その他一切を配偶者の高山ヒロシに
一任する。 高山リサ
もちろんリサはヒロシの姓、高山だ。
貪欲な元夫をヒロシは理解出来なかった。リサに未練があったのか?自分の思い通りに出来ない者は完膚なきまでに叩くのか?金か?
(昔、ちょっと有名だった事で、死んでまで、人を食い物にするのか?
人間の浅ましさにもううんざりだ。生きるのは醜いことだ。自分の飽きて捨てたおもちゃでも,他人が喜んで拾い愛でると惜しくなる。子供の感情だな。)
ヒロシが生きて来た年月に出会った人は何人いるだろう。全世界の人口のごく一部だ。それで人間という存在を語るのはおこがましいが、ますます人間嫌いになってしまいそうだ。




