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第13話 同居

 モデルの山口リサは、引退し離婚してから始めた高級輸入雑貨店が当たり、それなりの資産が出来た。聞けば,今住んでいるマンションも六本木の一等地にあり、かなり高額で売れそうだ。

「でもヒロシは、女の資産なんか当てにするタイプじゃないでしょ。

 変な噂だと思ったのよ。同級生というのも当たってないし。これは確認の必要がある、と思って朝食をご馳走する事にしたの。でも本当に結婚を考えていたなんて。ヒロシはいくつになったの?」

凪の言葉に

「73才だ。リサも同い年だよ。」

「ヒロシ、よく考えたの?気は確か?

もうそんなに長く生きないでしょ。

お金なんかたくさんあっても仕方ないじゃない。お荷物を背負い込むだけよ。

煩わしいことが嫌だから離婚したのじゃなかったの?」


 ありがたい事に、ヒロシは金に執着するような年令を超えた。自分の築き上げた店も土地も全部、離婚の時に前妻に渡して来た。多くの金など必要ない。

 父親の不動産収入を兄弟と分けても、暮らせるだけのものは入ってくる。

 リサの資産などに興味は、ない。

リサの家に通っていたのは純粋に楽しかったからだ。

 二人の蜜月はしばらく続いた。それは夢のような日々だった。

 リサは小枝のように痩せている。

「恥ずかしいわ。

もう裸を見せるような年ではないの。」

ヒロシは,少女のように恥じらうリサに初めて本気で愛しさを感じた。

「いいよ、見ないよ。リサが嫌がることはしない。電気を消そうか?」

 暗い部屋で二人、ベッドに入っても、ただ愛しさだけでその身体を愛撫する。

(愛しさとは不思議なものだ。おまえが笑うだけでいいんだよ。)

 リサの骨のような足。細くて折れそうな腕。ほとんど膨らみのない胸にひからびたような乳首が付いている。ヒロシはそれを大切に触る。決して乱暴には、しない。

「ああ、こんな胸でも気持ちよくなるのね。」

 リサの身体をゆっくりと撫で回す。華奢な骨を抱いているようだ。

「ああ、気持ちがいい。身体中痛い所ばかりで、マッサージを受けても効かなかったのに。ヒロシに触られると気持ちいいわ。ほぐれて行くみたい。

 私はヒロシに何をしてあげればいいかしら。」

「なにもいらないよ。こうやってリサの温もりを感じていれば。暖かいよ。俺のリサは生きている。」

 ヒロシの手が優しく身体中を揉みしだく。絶頂はないけれど静かな快感に、いつのまにかリサは眠りにつく。

 この時間が二人の至福の時だった。

裸で、一糸まとわぬ姿で抱き合って眠る夜が、今のヒロシは何物にも代え難いのだった。

 朝方着替えをしに自分のアパートへ帰る。一応生活のリズムは崩したくないので仕事は辞めていない。生活に困らないからと言ってリサのジゴロになるつもりはない。

「リサ、仕事に行く時間だ。また、夜までのお別れだね。」

 リサはもうずいぶん前から目覚めていたが,眠ってるふりをしていた。

(もうこの年では、お別れの言葉は永遠のお別れになりかねないわ。

 さよならと言ったら本当にさよなら。

次に生きて会える保証はない。

 だから眠ったふりをするわ。)

自分に残された時間があとどれくらいあるのか、わからないがそんなに多くはないだろう。片付ける事は片付けないと。

焦る。


 リサは、税理士を呼んで財産の整理をする事にした。

「このマンションは売りに出して。

ちょっと居心地のいい施設を探すわ。」

 不動産の売却は思いのほか早く決まった。六本木の一等地だ。高めに設定したのにすぐに買い手が付いてしまったのだ。すぐに出なければならなくなった。

「ヒロシ、私行く所が無くなっちゃった。」

「じゃあ俺の所に来るかい?」

 そんな訳でヒロシはリサを実家に引き取る事にした。

 90才を過ぎて認知症の気配が現れた父親は、以前から契約していた高級老人ホームに入ったから、実家には誰も住んでいなかった。ヒロシは急遽アパートを引き払い葬儀社を辞め、実家にリサを引き取った。

 リサの病気の事は主治医から聞いていた。乳がんが肺と肝臓に転移している。

持ってもあと三ヶ月だろう、とのことだった。

 ヒロシは生まれて初めて人の介護をする事になった。

「あんた、正気の沙汰じゃないね。他人の介護なんて。」

 親戚は今度こそ本当に縁を切ると言って来た。

(すぐ縁を切るという。これが初めてじゃない。せいせいしたよ。)

 しかし、介護の壁は厚かった。赤の他人を介護する事は中々ハードルが高い。

 リサは引っ越しで体力を使い果たしたように、ヒロシの家に来てからは寝たり起きたり、の毎日だった。病気はどんどん悪くなっているようだ。

 リサには他に係累は無いらしい。莫大な資産を持っていても寂しい人生だ。


第14話 介護と結婚

 ヒロシは綺麗なバラを花束にしてもらった。バラ色のバラ。

 以前からヒロシは、オレンジとピンクを混ぜたような色が本当のバラの色だ、と思っていた。一番好きなバラだ。

「ただいま、リサ、具合はどうだい?」

「すごい、綺麗な薔薇!どうしたの?」

「俺、今日はリサにプロポーズしようと思う。」

「どうして?急な話ね。」

この所、ヒロシは考えていた。

 赤の他人が介護するのは法律的に難しいのだ。手術や治療の承諾も、介護保険やケアマネジャーとの話し合いも、必ず他人ではダメだ,という壁にぶつかる。

法律の壁が立ち塞がる。 

 それでヒロシは結婚をすれば一番簡単に事が運ぶのを知った。

 今更だが、結婚なんてただの紙切れだ。どうって事はない、と考えたのだ。

 凪に話すと

「ダメよちゃんとして。

結婚はいくつになっても女のロマン、なのよ。ちゃんと手順を踏んでプロポーズするのよ。指輪も用意して。

 お姫様抱っこでベッドに行くのもいいわね。年は関係ないわ。うんとロマンチックに演出するのよ。

 私がして欲しかったわ、

ヒロシのバカ。」

「おまえ、人妻じゃないかよ。

でもありがとなぁ。」

「財産目当てだと思われるわよ。

ヒロシはお金に興味ないだろうけど。」


 芝居がかって花束を渡し、リサを抱いて熱いキスをした。

「リサ、俺と結婚してください。

愛してるよ。死ぬまで一緒にいよう。」

「ヒロシ、こんな私でいいの?

私73才なのよ。」

「俺だって73才だ。何の問題もないよ。

ずっと一緒だよ。」

「死ぬ間際にこんな幸せが待ってたなんて。嬉しいわ。私たち常軌を逸してるわね。」

 それからの日々は夢のようだった。

リサは、元気を取り戻しまるで治ったかのように明るかった。

(たとえ手続き上の不便さを考えての結婚だったとしても、嬉しいのは何故かしら。ヒロシ、こんな気持ちがまだ私に残っていたのを教えてくれてありがとう。

今更だけど新婚って幸せなものね。)

 結婚生活はこんなにも楽しいものか。

幸せってこんな事か。初めての感覚だ、とヒロシも意外に思った。

 以前の結婚は子育てのための共同作業だったが、今度の結婚は二人だけのものだった。二人だけの時間。

 少しも飽きない。ただ,寄り添っているだけなのに満ち足りた時間なのだ。

 ベッドで寝たきりのリサを抱いて、褥瘡が出来ないようにする。

 優しく抱いて向きを変える時、いつも熱いキスをする。リサが笑う。

「こんなおばあちゃんに親切ね。」

「リサはいつもセクシーなんだよ。

こうして抱いているだけで欲情するね。」

「ふふふ、慰めでも嬉しいわ。」

「俺はいつでもリサとイチャイチャしていたいよ。」

 トイレに行くのも大変なのでオムツをしている。ヒロシはオムツ替えが少しも嫌ではないのだが、リサは嫌がる。

 それでベッドの真ん中にカーテンをつけた。下半身が見えないようにする。

 下半身は別人格だ。

「リサ、愛してるよ。ちょっとムラムラさせて。」

 そんな冗談を言ってカーテンを引きオムツを替える。少ししか汚れていないのが悲しい。生理現象も弱々しいのだ。汚いとは思わない。リサが生きている証拠だ。排泄物さえ愛しいのだ。

(俺は頭がおかしくなったのか。

愛しくてならない。)

「ヒロシ、見ないで。」

リサの性器はもう不潔さは全くない。ひたすら愛しい。綺麗に洗って綺麗に拭き取る。最後にリサの好きな香水を一滴たらしたお湯で絞ったタオルで仕上げる。

そしてそこにくちづけをする。

「ヒロシ,恥ずかしいわ。」

「リサのあそこは可愛いよ。大好きだ。」

 もう陰毛もほとんど残っていない。若い頃はふっくらとしていただろうその場所も、今はシワシワで萎れた感じだが、ヒロシには愛しい。

 年を取ったら、また、違った愛情表現があるのだろう。毎日新たに発見する日々だ。

 お風呂に入れるのも嫌じゃないのだが、ケアマネジャーがデイサービスを申し込んだ。

「ご主人もたまには休まないと続きませんよ。」

「俺なら平気だよ。リサと離れたくないよ。」

「まあまあ、幸せな事。

こんな介護は素敵ですね。」

 それでも、リサがデイサービスに行っているわずかな時間は、それなりに忙しかった。

 主治医に話を聞かなくてはならない。

「先生、リサの具合はどうなんだ?」

「もう、半年が過ぎているんだよ。

よく持っている。顔色もいいし、なにしろ気持ちが元気だな。しかし、もう覚悟はしていてほしい。連絡する所には早くした方がいい。あと,どれくらい,なんて読めない段階に来ているんだよ。」

医者は言った。

「それなら最後まで俺はリサを抱いていたい。どうしたらいいんだ。

 痛みがあるならそれを取る薬をくれ。」

「モルヒネがあるが、それを使うと眠ってしまう。そのまま逝ってしまうってこともあるからね。」

「痛みがあるなら使ってくれ。

眠ったままで死ねるなら幸せじゃないか。」

「人それぞれだが,彼女はどう考えているかな。」

 もうそんな段階に来ているのか。ヒロシは実感がない。寝たきりでも生きていてほしい。

 リサは一日のほとんどを眠ったり少し起きたり、ゆっくりと弱っていくようでツラい。

「ヒロシ、怖い夢を見た。きっと私一人だけで遠くに行かなくちゃならないのね。最後は一人ぼっちで。」

 ヒロシは愕然とした。その通りなんだろう。死ぬっていうのはどういう事だ?

わかっているつもりでも実は何もわかっていない。

 ただ抱いている事しか出来ない。

ヒロシは日々の雑用を淡々とこなす事でなんとか正気を保っていた。

(俺も生きていたって仕方ない。

リサが逝ったら後を追いたい。)

こんな事ばかり考えるようになっていた。介護鬱。多いらしい。

 

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